-将来やりたいこと・ビジョンはどうやったら見つかるのか-
この問いに対するヒントを見つけていくSCSのインタビュー企画「いきさつ」。
「利他的」かつ「長期的」なビジョンを持ち、すでに活動している現役早稲田生の人生を振り返り、ビジョンを見つけるためのヒントやマネできるポイントを掘り出していきます。
第5回はアラブに対して強烈な愛を持つ玉澤恵理さんの“いきさつ”をお届けします。やりたいことが分からない状態でも枠を超えて活動し続け、ファッションショーの運営など類いまれない実践力に裏打ちされたパワフルなエピソードです。強烈な「好き」と「使命感」に基づく玉澤さんのいきさつをご堪能ください。
※記事の内容及びプロフィールは取材当時(2019年2月)のものです。
インタビューイ紹介
玉澤恵理さん(政治経済学部4年)
東京都出身。中高一貫の女子校を経て早稲田大学に入学。短期留学や国際会議への出席、外務省でのインターンなど国際分野をメインに活動。アラブ圏に圧倒的な情熱を持ち、就活と並行してアラブファッションショーを開催。卒業後は記者としてファーストキャリアを始める。好きなものは写真を撮ること、ファッション、アラブ。
本記事の流れ
・入学時の夢は外交官
・使命感を抱かせるほどの刺激的な出会い
・自分の手で新しいものを生み出し続ける
・ドはまりしてしまったアラブ
・本音を打ち明けられる父と友人の存在
・尊敬している人をくまなくメモする
【入学時の夢は外交官】
―よろしくお願いします!まず簡単に自己紹介をお願いしてもよいでしょうか?
2019年3月に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業する玉澤恵理と申します。国際関係を専攻していて、主に移民や難民の研究をしていました。ゼミでは企業のCSR活動に対して難民問題がどのような影響を与えたのかについて研究していました。難民問題を調査することに加えて、利益を追求する企業の泥臭い面に関しても深堀りできてすごく面白かったです。
―大学時代は国際交流からファッションショーまで多岐に渡って活動されてきたと聞いているんですが、ざっくりどんな学生生活だったか教えてもらっても良いですか?
大学1年生の時はまずコミュニティに属そうと思って、テニスサークルと英語ディベートサークルに入りました。また夏休みにオーストラリアに語学留学しました。正直大学1年生のときは何をやって良いか分からなかったし、2か月に亘る夏休みはあまりに莫大な時間があって困惑していた気がします(笑)。
留学は興味があったので行ってみたという感じでしたが、結果的に国際交流に興味を持つきっかけになり「もっと枠の外に出なきゃ!」という意識を持つようになりました。みんな溢れるほど語学留学に行っているから差別化できた訳ではないけど、興味の入り口になりました。
大学2年生になってある程度大学に慣れてからは、高校生の頃から夢として持っていた外交官を目指して頑張ってみようと思いました。きっかけは単純だけど、杉原千畝のスピーチを聞いた時に感動して涙が止まらなくなってしまったんですよね(笑)。外務省のインターンを2年生の後半に始めました。
あとUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の東京駐在所でのインターンにも取り組みました。外務省が日本の機関であるのに対してUNHCRは国際機関の日本支部という立ち位置だったので、それぞれどういう職場環境なのか等ベーシックなところを知ろうと思ってインターンをしました。
―インターンをしてみてどんな感触を得たんでしょうか?
一言で言うとやって良かったです。特に外務省では外交官と関わることができて、激務の様子を目の当たりにしました。必死になって国益を守ろうとしている最前線の姿を間近で見ることができ、とても刺激になりました。
一方でUNHCRの方はちょっと物足りなかった。事務作業のようなパソコン作業ばかりだったので。弁務官の話を聞いたり、一緒に自撮りしたりと面白いことはあったんですが(笑)。この頃は勉強・サークル・インターンで忙殺され周りにキャッチアップすることで精一杯だったので、自分の軸が分からなかった時期でもありました。
―もともと描いていた「外交官」の夢は現在どうなったんですか?
実際に外交官の話を何度も聞いた結果、ちょっと違うかなぁという結論に達しました。良く言われますが学閥などキャリアパスの面に自分との親和性を感じられなかったり、少し枠から飛び出すのが難しそうだなと思い、一旦距離を置きました。
―高校生の時に描く職業は少ない選択肢の中から選んでいるので、職業は実際のところ代わってナンボなのかもしれません。
【使命感を抱かせるほどの刺激的な出会い】
-大学2年生の時はめちゃくちゃ色々やっていた時期だったんですね。
続いて3年生では留学センターやキャリアセンターのプログラムを使ってインターンをしたり、国際会議に参加していました。北米地域と日本の学生が交流する架け橋プログラムと台湾での学生会議に参加しました。プレゼンをしたり海外の優秀な学生と交流する機会を作ったりするなど活動にフォーカスし、夏にはオーストラリアに行きハーバードの学生が主催するHPAIRという会議に参加しました。出席した会議の中ではこれが一番良かったです。
-たくさん国際会議に出席されていること自体が稀有な経験だと思うんですが、HPAIRは特にどういった点が良かったんですか?
何が良かったかというと参加者が全員優秀でした。「○○を成し遂げたい」というビジョンをみんなが持って会議に来ているから、話していて飽きないし新しい知識をたくさん吸収できました。たとえば医者になるという日本で一般的な一本道のキャリアに対して、医療に加えAIなど技術面を当然のように組み合わせて考えている海外学生が多く、一つに絞らず複合的な目を持って将来ビジョンを描いていました。
他にも日本の学生とは比べ物にならないほど必死で貪欲で情熱がある海外学生の姿勢を目の当たりにして、「私も本当に頑張らなきゃ」という起爆剤になりました。
―僕もめちゃくちゃ行ってみたいです!
本当にいいよ、おススメ!他にも3年生ではサブでスピーチコンテストをやったり、あとはミスユニバースに出場したかな。
―スピーチコンテストはサブの活動に当たるんですね(笑)。
ミスユニバースは諸事情があり途中で辞めましたがHPAIRで貪欲に努力している学生の姿に感銘を受けた経験も合わさって、自分がマネジメントする側に立ち世界目線で何かインパクトを与えるものを作りたいと思いました。それで時期としては就活と丸被りでしたが、「何かやらなきゃ」という使命感に駆られ大学3年の冬からファッションショーに取り掛かりました。ここから就活とファッションショーの話を分けて話そうと思います。
【自分の手で新しいものを生み出し続ける】
―まず就活に関して聞いてもよいでしょうか?
11月当たりから周りがみんな就活の準備をしていたから、すごい焦りました。私もスーツや靴・カバンを買って形から準備しました。1月頃になると周りが必死でwebテストの対策をしていて、私も訳も分からないまま真似して就活に取り組みました。でも行きたい会社は1つもなくて、焦りのどん底にいました。
―それはめちゃくちゃ意外です。
2・3月になって企業研究を本格化させてもまだ決まらなくて。説明会にいっても良いことしか聞こえてこないし、仕方ないからもう直感で決めようと思いました。
―思い切りが良すぎませんか(笑)。
結果としてやはり面白い結果になりました(笑)。全く気持ちを込めないで受けた企業は全落ちで、キラキラ系も全部落ちてしまいました(笑)。最終的に6社内定をいただき、報道系の企業を選んだのですが、きっかけは「人」でした。
企業研究をした上でOBの方も含めてたくさんお会いしたんですが、みなさん謙虚だけど物凄く深みがありずっと話したくなってしまうような方々でした。社員の方に素敵な方が一杯いらっしゃり「人が好きだな」と思って最終決定をしました。
あと私は飽き性なので(笑)。常に情報の最先端に立つことができる、プラス個人が原点になって情報を発信するため個の力が最大限発揮できる環境だと思いました。卒業後は記者として仕事をする予定です。若いうちに海外勤務もできそうで、今からワクワクしています。
―キャリアプランやゴール、なりたい姿など将来像はどのように描いてらっしゃるんですか?持ち前のエネルギーが何に投資されるのだろうと気になります。
ビジョンはまだはっきりとは分かりません。ただ漠然としていますが、プラットフォームを作り育てたいという思いは強いです。適切に運営され、かつ社会にインパクトを与える繋がりを生み出すプラットフォームを理想としています。具体的に将来のプランは立てていませんが、ファーストキャリアではひとまずビジネスの基礎や人間関係を勉強して、日本企業がどういう風に機能しているか学びたいと思っています。
―HPAIRも一つのプラットフォームだと思うので、プラットフォームの良さを体感していたことが一つの動機かもしれませんね。
HPAIRはまさにプラットフォームでした。出会った学生同士で起業していたり、起業した会社にHPAIRの参加者が加わっていたりしました。身近でもファッションショーの際に会場をHPAIRで知り合った人に紹介してもらったり、モデルも出てくれたりと会議が終わってからも持続する繋がりが生まれる良いプラットフォームだったなと思います。
一方で自身のありたい姿は明確にあります。一つ目は「枠に囚われないこと」です。大学・会社のような枠内で何かを成し遂げつつも、決して一つの枠にハマらず大きな視点で物事を捉えていきたいと思います。
あとは「常に何かを作り出せる存在」でありたいと思っています。大学でみんなと同じことをしていても、情熱的に取り組めるものを見出すのがとても難しかったです。みんなのやっている活動から少し離れて、自分が作り出す側に回った時にとてもワクワクしました。パッションを持ち自分で計画してゼロからイチが生まれる瞬間を見るのが本当に楽しかった。
―ファッションショーはまさにそれですよね。
そうですね。
【ドはまりしてしまった「アラブ」】
―続けてアラブやファッションショーの話を聞いても良いでしょうか?
アラブとの最初の出会いは1年生の秋でした。大学から歩いて帰っている道中にアラブ人夫婦がいたんですよ。女性は真っ白なヒジャブを被っていて、男性もアラブの伝統衣装を着ていて「なんだこれ!」と興味をそそられました。するとその夫婦が私に道を尋ねてきて、「高速道路を散歩できるか」と聞かれ「それは無理だよ!」など答えているうちに意気投合しました(笑)。
その夫婦はUAE出身でアラブ文化について色々聞いていくごとに「なんか素敵…!」と思って(笑)。空には秋の月が輝き、二人の衣装も美しく「なんかドラマを見ているみたい」という気分だったんですよね(笑)。
―ロマンチックすぎませんか?(笑)
これは本当に実話です(笑)。その出会いからアラブに対して好奇心を持つようになって、2年の時に西早稲田キャンパスで開催されていたシャルジャの文化を紹介するイベントに参加しました。ヘナタトゥーとか伝統衣装の試着体験などを通じて「なんてアラブって素敵なんだろう…。やばい(笑)。」とアラブに没頭してしまい、どこに行ってもアラブ人を探す気持ち悪い人になってました(笑)。
ちなみに外務省のインターンでも中東関係の部署にたまたま配属されたり、3年生の広告代理店のインターンでもトルコの会社を担当したりと何かと中東に愛されている気がします(笑)。
―アラブが好きなことはこれ以上ないほど伝わってきました(笑)。そこからどのようにファッションショーに昇華していったんでしょうか?
ミスユニバースの経験を通して「やはりファッションが好きだ」ということにも気づきました。加えて「自分自身が何かを作る側に回りたい。自分の手でポジティブな繋がりが生まれるプラットフォームを作りたい」という思いがありました。結果的にアラブが好き、ファッションが好き、HPAIRで育まれていた何かを成し遂げなければならない使命感という3つの要素が合わさって、「アラブのファッションショーをやろう」と決断しましたが、就活の準備に忙しない12月の出来事でした。
【本音を打ち明けられる父と友人の存在】
―話を聞きながらめちゃくちゃアクティブだなと感じたんですが、そのエネルギーはどこから来ているんですか?
よく友達にも”over energetic”と言われます(笑)。特に何かを意識している訳ではないんですが、目標があれると頑張れるかなとは思います。あとは好きなことがあったからかなぁ。
―もちろん大変なことはあるけど「やりたいからやってます」的なテンションでいるということですね。
逆にやりたくないこと・ビジョンのないこと、意味付けできないことはとことんやりたくないです(笑)。例えば飲み会にあんまり行かなかったり(笑)。
―やりたいことを見つけてる人はおそらく努力し続けている人で、そういう人は困難があった時にも乗り越えているなと思っています。玉澤さんの場合ミスユニバースは不完全燃焼で悔しさもあったと思うんですが、どうやって再度立ち上がったんでしょうか?
確かに私にも岐路がありました。ミスユニバースの経験を十分に消化できていないタイミングで、父親とドライブする機会がありましたがこれが転機でした。
―どんなやり取りをされたんでしょうか?
父親から「学生時代にやり残したことはないのか?」と質問が飛んできて、私はとても深刻に受け止めました。ミスユニバースも不完全燃焼に終わったし、国際会議に出たのは良かったけどお金を払って出たままになってしまっている。「何かやらなきゃいけないとは分かっているけど、どうしたらいいか分からない」と率直な気持ちを父にぶつけました。
そしたら「好きなものは何?」って言われたから、「写真を撮ること」「ファッションかな」と答えたら「本当にやりたいと思ってる?」と何度も聞かれました。そうやってアラブが好き、ファッションが好き、やらなきゃいけないという使命感の3つの気持ちにたどり着きこの思いを父親に伝えたところ「じゃあやるしかないよ。制限時間はあと一年間もないから絶対にやり遂げなさい。でも資金援助はしないよ。」と言われました。
「きついこと言うじゃん(笑)。」と思ったけど絶対にやると約束しました。これがファッションショーの始まり。「もうミスユニバースは過去のこと。これを成功させたら全ての思い出が良いものに変わる」って確信しました。このやり取りが、今の道に進んだきっかけだと思います。
―ファッションショーはどうやって作ったんですか?
スポンサーを付けて開催しました。全部自分でアポ取りからやりましたね。結構きつくて8か月かかりましたが、何とかやり切りました。
―転機にはお父さんの存在があったんですね。本当に感動しました。加えて苦しい話をぶつけられる友人も本当に大切だと思ったんですが、そういう友達はどうやって見つけたんですか?
私の場合は同じ学部に世界に挑戦している友達や起業してる友達がいたから、そういう人たちに相談していました。パッションを持って行動に移している人たちとは話が合うので、悩みも打ち明けられました。色々自分が動いていると自然とそういう人が集まってくるなぁと感じています。
【尊敬している人をくまなくメモする】
―では最後に「やりたいことを見つけたいけど、何をしたらよいか分からない」という方に向けて一言お願いしても良いでしょうか?
自分もそうだったんですが大学1・2年生の時はやりたいことが分からず、ひとまずサークルとか勉強とかインターンとかみんながやっていることに取り組んでみるんだけど、やっぱり見つからなくて。苦しくて苦しくて不完全燃焼で終わっている自分がいました。
でも3・4年になってくると、やりたいことのきっかけになる出来事が増えてくると思います。自分の好きなものに出会ったり、好きなものがある人に出会う機会が増えていくかなって思う。さらに後輩を持ったり、ある程度大学でやりたいことをやったと思えるから自信もついて来て好きなことにチャレンジしやすくもなると思う。
だからまず1・2年生の内には自分の興味持ったことには全てトライしてみて、合わなかったら辞めて好きだったら続ければいいかなと思う。あとは常にアンテナを張って、「すごいな」と思った人は必ず書き留めて忘れないようにしておく。私は「なんで尊敬するのか」「何を尊敬するのか」を箇条書きにしてまとめていました。
―それは今すぐマネできる超具体的なアクションですね!
3・4年生の人は就活があると思うんですが、自分がやりたいことを実現させる方がもっとプライオリティが高いから決して消さないで欲しいなと思います。就活は必ず両立できるからやりたいことにプライオリティを置き続けて欲しいです。
あとロールモデルになる人は、写真でも撮って常に見れるようにしておくとモチベーションを高められるような状況を作れると思います。
―たしかに1・2年生のうちは蓄えを作る期間で、3・4年になったころに「やりたいこと」として花開くのかもしれないなぁと思いました。アンテナを張って枠を広げ続けるのが本当に大事ですね!貴重なお話を本当にありがとうございました!
このインタビューはキャリアセンターの「学生キャリアスタッフ」が企画・実施しました。