卒業生からのメッセージ
「教師として、コーチとして、審判員として」
平原 勇次(1995年3月卒業)
「オリンピック、決まったよ」。今年2月、担任として高校3年生の朝のホームルームをしていた最中、日本協会の審判部長から届いた一報。生徒たちに一番はじめにその驚きを伝えたことを覚えています。

高校での指導中
中学時代に始めたバスケットボールの指導を生涯続けたいという理由から迷わず選んだ人間科学部スポーツ科学科。在学中から出身高校のコーチをしていました。審判活動を始めたのもその頃。当時顧問をしていた恩師(日本バスケットボール協会の公認審判でした)から、「バスケットボール技術の指導をする上で審判をしっかりできることはとても重要である」ということを教えていただいたことがきっかけです。
当然ながら当時はオリンピックなど夢にも思っていませんでした。しかし高校生の指導をしながら指導技術や審判技術の向上にについて多くの先生方と情報交換していくうちに、審判と指導の両立を追求したいと強く願うようになりました。チームも強くしたい、審判でも上を目指したい…周囲からは、チャンスと同時に時には厳しい指導も受け、教師として、バスケットボールの指導者として、審判員として育てていただきました。

五輪女子決勝直後、3人のクルーで
2004年、実技(実際の試合を吹いて評価される)、英文のルールテスト、英会話、フィットネステストのすべてに合格し、国際公認審判の資格を取得。何度かの国際試合を経験して2006年に日本で開催された世界選手権にノミネートされました(日本人2人)。それから2007年にはセルビアで行われたU-19の世界選手権にノミネートされ、そこでは3位決定戦の審判を担当することができました。
正直この数年で担当するゲームが、劇的に変わりました。国内でもウィンターカップ決勝、トップリーグであるスーパーリーグのファイナル、天皇杯の決勝など、めまぐるしく変わっています。そんな激変の中で知らされた今回の北京オリンピックノミネートでした。
国際試合では英語でコミュニケーションできなければ、厳しいゲームを担当することができません。簡単な英会話だけでなく、選手やコーチとバスケットボールの技術的な点においてもコミュニケーションできなければ様々な場面に対応できないからです。担当する試合はすべての日程において、前夜遅くに知らされます。それまでの試合を吹いた様子を細かく評価され、実力のある審判員にはそれだけ厳しいゲームが任されます。私は幸運にも今回女子決勝を担当するという栄誉に恵まれましたが、日本人だけでなくアジアの審判がオリンピックの決勝を担当するということは初めてに近いことだということで、非常に驚きました(東京オリンピックの時に日本人が地元として決勝を務めて以来だそうです)。 |
![]() 予選リーグの中国-ニュージーランド戦 |
早稲田大学で様々な授業やゼミ活動などを通じて学んだことは、学業だけでなくコミュニケーション能力を高めることだったと感じています。初対面の人でも臆することなく、すぐにうち解けて同じ目的のために協力し、困難を解決していくという集団があちらこちらにありました。今思えばそこで自然と物怖じせずに、大舞台でも緊張しない自分が形成されたのだと思います。特に人間科学部スポーツ科学科では、常に「スポーツマンとはこうあるべき」という人間像について教えられました。みんなから注目される存在であること、子供の見本とならなくてはならないことなど、人間性の向上がもっとも大切であるということを、当時もそうでしたが、より今の方が強く感じています。 今後も自分自身より高い目標を設定し、教師として、指導者として、審判として活動していきたいと考えています。 |
![]() 予選リーグの中国-ニュージーランド戦 ![]() 仲間の審判とのコミュニケーションもすべて英語 |
平原 勇次(ひらはら・ゆうじ)
1995年早稲田大学人間科学部スポーツ科学科(現、スポーツ科学部)卒業 卒業後、非常勤講師を経て都立高校教諭に。現在都立葛西工業高等学校勤務。同校バスケットボール部のコーチを務めるとともに、日本バスケットボール協会AA級審判員、FIBA国際バスケットボール連盟国際審判員として国内、外の様々なゲームを担当している。
2008.10.14 update