Global Japanese Studies早稲田大学 文学学術院 国際日本学

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シェイクスピア戯曲の魅力

シェイクスピア研究者(視覚表象研究)
冬木 ひろみ(ふゆき ひろみ)/文学学術院(文学部)教授

シェイクスピア研究者(受容研究)
本山 哲人(もとやま てつひと)/法学学術院(法学部)教授

映画・文学研究者(シェイクスピアのアダプテーション研究)
森田 典正(もりた のりまさ)/国際学術院(国際教養学部)教授

シェイクスピア戯曲の魅力と日本における上演の多様性

英国バーミンガム大学との大学間研究連携合意(2016年3月)に基づき、「早稲田大学国際研究プロジェクト創出支援プログラム」の下、国際学術院・森田典正教授、文学学術院・冬木ひろみ教授、法学学術院・本山哲人教授らのチームはシェイクスピア研究所(バーミンガム大学付属大学院)と共同研究を続けています。このほど、本山教授らの成果の一部として、日本におけるシェイクスピアの舞台台本を英語に翻訳し解説した書籍が2021年2月に英国Bloomsbury社から出版されることになりました。3名の先生方からシェイクスピアの魅力とモチベーション、出版される書籍について伺いました。(鼎談日:2020年8月26日)

シェイクスピアの魅力

冬木 私は、現在は「視覚表象とシェイクスピア」を中心に研究しています。文字として印刷されたテクストであるシェイクスピアの戯曲ですが、舞台で演じられたときの視覚的印象あるいはイメージは、舞台を観た後の記憶まで想定して書かれたのではないか、というのが近年の主題です。16世紀に英国でも隆盛であったエンブレム(モットー、図像、格言的な短い詩で構成された絵画や版画)やマニエリスムなどの絵画的表現手法と、シェイクスピアの舞台芸術との関係性を追究しています。

冬木先生は、これらのようなエンブレムをシェイクスピアの『お気に召すまま』のテクストに読み込む
(冬木先生提供、早稲田大学『英文学』106号、2020年)

本山 冬木先生の視点もそのひとつですが、古今東西の演劇作品において、シェイクスピアほど多様な解釈があり、様々な視点から議論されている作家はいないのではないかと思います。私はシェイクスピアの受容性、すなわち、様々な国の書籍や上演、映画などを通して、シェイクスピアがどのように理解され、受入れられているかということに関心を持っています。シェイクスピアの作品が広い受容性を持っているからこそ、観る人によって、現代の問題を扱っているように感じられたり、英国とは全く異なる日本の社会を反映した内容に感じられたりするという面白さがあるように思います。

森田 私は翻訳も含めた脚色、翻案、改作など「アダプテーション」を専門としています。近年は、文学を映像あるいはオペラやミュージカルなど、別の媒体に改作する、ということについて研究しているため、シェイクスピア作品も重要な研究対象のひとつとなっています。シェイクスピアと並び立ち英国ルネサンス期を彩った詩人エドマンド・スペンサーをきっかけとして文学研究の世界に入ったため、今でも、詩・言葉に対して強い関心があります。シェイクスピアの演劇にはブランク・バースと呼ばれる詩が多く散りばめられており、上演された際にも言葉の持つ魅力が非常に高いように考えていますが、特に日本語に翻訳されると、言葉の美しさや、それが持つ含蓄、リズムが失われやすいように思います。

(左)森田先生、(中央)本山先生、(右)冬木先生

シェイクスピア作品における詩的表現のアダプテーション

冬木 有名な例としては「To be, or not to be, that is the question」(『ハムレット』3幕1場)の翻訳でしょうか。これまで多くの先達が40を超える日本語訳を世に送り出してきました。1928年に日本で初めてシェイクスピア全作品を完訳した当時早大教授の坪内逍遙(当時、早大教授)は、「存ふか、存へぬか、それが疑問ぢゃ」、「世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ」など、存在の「存」と「在」の両方を用いて一種の存在論として表現することを試みています。この他にも、小田島雄志「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」、松岡和子「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」、河合祥一郎「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」などがあり、これらは「to be」という、日本語では表現しづらい動詞が用いられているがゆえの苦悩であると思います。英語のままであれば、ハムレットの心情や社会的情勢などを含めた状況として認識できるものと思いますが、いざ、日本語の文章として落とし込もうとすると、ひとつの表現に絞るのが非常に難しいのです。

本山先生が指摘された解釈の多様性についても付け加えさせていただくと、シェイクスピアの戯曲には背景説明やト書きがほとんどありません。例えば『ロミオとジュリエット』において、モンタギュー家とキャピュレット家がなぜ争っているかについては、最後まで描かれていません。読み手が想像する余地、演出を様々に加える余地があるのです。現代の様々な社会情勢や、何らかの理由により引き裂かれた恋人たちにあてはめることができるという曖昧性のために、国や文化に依らず各々が自分のこととして解釈できてしまいます。シェイクスピアがそこまで計算していたとは思えないのですけれども。

本山 「Fair is foul, and foul is fair」(『マクベス』1幕1場)も、同様ですね。たとえば、小田島雄志「いいは悪いで、悪いはいい」、福田恆存「きれいは穢い、穢いはきれい」などがありますが、やはり多くの翻訳者が頭を悩ませています。仙台にあるシェイクスピア・カンパニーでは、同じ上演のなかで仙台弁、津軽弁、一般的な東北弁でfairとfoulの持つ様々な意味を訳し分けています。

日本の小劇場におけるシェイクスピア劇の解説を海外に発信

森田 本山先生が紹介されたシェイクスピア・カンパニーを含め、日本の小劇場で上演されているシェイクスピア劇は海外の研究者の関心も高く、観劇のために来日される方もいらっしゃいます。しかしながら言語のハードルが高く、文化的背景やセリフ選びの細かなコンセプトなどが伝わらない。来年、そのコンセプトを英語で解説した書籍が出版されるということは、海外の研究者にとっても大変有意義であると思います。

本山 2021年2月に英国Bloomsbury社から出版される書籍『Re-imagining Shakespeare in Contemporary Japan』では、日本の小劇場で上演されてきたシナリオ3本を紹介しています。海外で紹介されるアジア圏におけるシェイクスピア劇は、蜷川幸雄やシンガポールの演出家オン・ケンセン(王 景生)などによる伝統芸能を組み込んだ演出や、大きなプロダクションが参画しているものがほとんどです。日本におけるシェイクスピアの受容を議論する場合、小劇場の作品が欠かせない、という思いをずっと持っていました。小劇場は資金面、舞台の大きさ、役者など何らかの制約がある=それを補うための新しい試みが生み出されるところであり、アダプテーションの最前線とも言えます。バーミンガム大学シェイクスピア研究所との共同研究プロジェクトの一環で早稲田に滞在していた博士学生(当時)のロザリンド・フィールディングさんが、同じ関心を持っていることが分かり、早稲田出身のシェイクスピア研究者である今野史昭先生も加わり、共同で翻訳に取り掛かることになりました。

書影(bloomsbury社から許可を得て転載)

本山 特に難航したのは、先にご紹介したシェイクスピア・カンパニーの『新ロミオとジュリエット』ですね。舞台は昭和50年代東北の温泉街、登場人物はシェイクスピアの詩のリズムに替えて、テンポ良い東北弁で話します。東日本大震災の後に作られた作品で、被災者の娯楽になれば、との思いで喜劇としてアダプテーションされました。このような日本の社会的背景、大きな転換期が小劇場演劇でどのように表現されているかということも解説に含めています。シナリオ自体については、「Matagi(マタギ)」や「Juri-ppe(ジュリっぺ)」など日本語的な要素を残すことを心掛けながら、全体は一般的な英語ではなくスコットランド英語でまとめました。翻訳者の誰もスコットランド英語話者ではありませんでしたので、スコットランド英語が使われている映画を観て学んだり、スコットランド出身の方に校閲していただいたりしながら、試行錯誤の末、完成させました。

シェイクスピア・カンパニーによる『新ロミオとジュリエット』上演の一場面
(シェイクスピア・カンパニーの許可を得て掲載)

森田 シェイクスピア研究所は文献研究に定評があります。一方で、所在地でありシェイクスピアの故郷でもあるストラトフォード・アポン・エイヴォンには、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーがあるため、上演研究も盛んに行われています。そのため、彼らは小劇場演劇の研究にも興味を示してくれたのだと思います。保守的な人は文献研究や文学的批評をシェイクスピア研究の中心と考え、上演研究を研究扱いしないということもありますから、その意味でもシェイクスピア研究所は我々にとって非常に良いパートナーなのです。

次回は、書籍の出版の基盤となったバーミンガム大学シェイクスピア研究所との連携について伺います。

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関連情報
プロフィール

冬木 ひろみ(ふゆき ひろみ)
早稲田大学大学院文学研究科修了。早稲田大学文学部助手、非常勤講師、東京工業大学非常勤講師、拓殖大学政経学部専任講師、早稲田大学文学部専任講師、准教授を経て、2011年から現職。研究教育の傍ら、早稲田大学研究推進部副部長も務める。出版物に『近代人文学はいかに形成されたか』(分担執筆、勉誠出版、2019年)、『シェイクスピアの広がる世界-時代・媒体を超えて「見る」テクスト』(本山先生との共編著、彩流社、2011年)、『ことばと文化のシェイクスピア』(編書、早稲田大学出版部、2007年)など。日本シェイクスピア協会委員。

 

本山 哲人(もとやま てつひと)
バーミンガム大学シェイクスピア研究所修士課程、国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程修了。博士(学術)。早稲田大学法学部専任講師、准教授を経て、2016年から現職。出版物に“The Shakespeare Company Japan and Regional Self-Fashioning” (今野史昭との共著、Bard Bites、Edgar Elgar出版、2021年刊行予定)、『シェイクスピアの広がる世界-時代・媒体を超えて「見る」テクスト』(冬木先生との共編著、彩流社、2011年)など。

 

 

森田 典正(もりた のりまさ)
早稲田大学大学院文学研究科修士課程、ケント大学大学院英米・英語圏文学研究科博士課程修了。英文学博士。早稲田大学法学部非常勤講師、専任講師、助教授、教授を経て、2004年から現職。早稲田大学国際学術院長、同大国際担当理事や、国際日本学会理事などを歴任。著書に『Japan Beyond Borders』(Seibunsha、2020年)、『マージナリア』(共著、音羽書房鶴見書店、1993年)、翻訳に『近代とホロコースト』(筑摩書房、2020年)、『リキッド・モダニティ』(大月書店、2001年)、『ポストモダニズムの幻想』(大月書店、1998年)など多数。

鼎談場所

本鼎談は早稲田キャンパス8号館で行われました。また、撮影場所として早稲田大学坪内博士記念演劇博物館にもご協力いただきました。

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