朝河貫一没後70年記念シンポジウム
「朝河貫一-人文学の形成とその遺産-」
主催:私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「近代日本の人文学と東アジア文化圏-東アジアの人文学の危機と再生」
共催:スーパーグローバル大学創成支援事業 早稲田大学国際日本学拠点、
早稲田大学総合人文科学研究センター 角田柳作記念国際日本学研究所
後援:朝河貫一研究会、朝河貫一博士顕彰協会、福島民報
日時:2018年7月21日(土)13:30-17:20、22日(日)10:00-16:30
会場:早稲田大学大隈講堂
〈プログラム〉
開会の辞 李成市(早稲田大学教授)
趣旨説明 甚野尚志(早稲田大学教授)
第一部 歴史学者としての朝河貫一 13:50-17:20
司会 武藤秀太郎(新潟大学准教授)
報告1. 近藤成一(放送大学教授)
「朝河貫一の南九州中世史研究」
報告2. 甚野尚志
「朝河貫一の1930年代以降の歴史研究」
報告3. 海老澤衷(早稲田大学教授)
「『大化改新の研究』から115年」
報告4. 浅野豊美 (早稲田大学教授)
「朝河貫一の法制史研究と象徴天皇制の起源」
討論
第二部 朝河貫一の東アジア研究 10:00-12:40
司会 海老澤衷
報告1. 増井由紀美(敬愛大学教授)
「ウィリアムJ.タッカーの大学改革と朝河貫一の役割」
報告2. 冨田(松谷)有美子(清泉女子大学附属図書館司書)
「朝河貫一と日本図書館協会」
報告3. 武藤秀太郎(新潟大学准教授)
「朝河貫一と近代中国」
討論
第三部 朝河貫一と国際平和の提唱 13:40-16:20
司会 山岡道男(早稲田大学教授)
報告1. 山内晴子 (朝河貫一研究会理事)
「朝河貫一の戦後構想「民主主義」とOpen Letter(回覧書簡)の役割」
報告2. 陶波(イェ―ル大学大学院生)
「社会学と社会的福音-太平洋問題調査会(IPR)とプロテスタント宣教師ネットワークの進歩主義的関心」
報告3. 中村治子(イェール大学東アジア図書館専門司書)
「朝河貫一と国際補助語協会」
討論
閉会の辞 海老澤衷
〈開催趣旨〉
イェ-ル大学教授であった朝河貫一は、日欧中世の封建制を比較した研究者として知られるが、それとともにイェール大学で東アジア関係図書の購入責任者として日本研究の基礎を築いた。また日露戦争以降、第二次世界大戦に至る日本の軍国主義の台頭に対しては著作や書簡により様々な批判を行った。朝河の活動は多岐にわたるが、彼の著作や書簡を読むときそこには日本と欧米の学知を総合し、洋の東西を越えた普遍的な人文学を目指そうとした姿が見て取れる。本シンポジウムでは朝河が目指した知の理想を検討し、それにより我々が今後目指すべき人文学のあり方を展望したい。
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朝河貫一没後70年を記念し、シンポジウム「朝河貫一-人文学の形成とその遺産-」が大隈講堂にて2日間にわたって開催された。朝河貫一は、日本人として初めてイェール大学の教授となり、同大学の日本研究の礎を築いた人物である。朝河貫一は、福島県二本松市の生まれであり、本シンポジウムには、福島からも福島県人会や朝河貫一顕彰協会の方々など、多くの来場者が訪れた。2日間の来場者数は300人であった。
まず、本学理事の李成市先生が、朝河貫一について紹介され、同じく東京専門学校(現早稲田大学)を卒業し、コロンビア大学で教鞭を執ることになった角田柳作との関わりなどについて言及された。そして、東西の人文学の知識を深く理解した朝河貫一についての本シンポジウムが、東アジアにおける人文学の危機と再生を考える機会の一つとして位置づけられるとの旨を説明された。
つづいて、本学教授の甚野尚志先生より趣旨説明があり、本シンポジウムでは朝河の様々な側面に焦点を当てて検討していくことが述べられた。具体的には、第一部で歴史学者としての側面から、第二部でアメリカでの日本研究の礎を築いたという側面から、第三部で平和主義者としての側面からの考察を行うというものである。ただし、これら3つの分野はともに歴史学者としての朝河の深い洞察のなかで有機的に結びつくものであり、それを解き明かすことが本シンポジウム全体の目的であると述べられた。そして、朝河貫一の生涯について詳細な説明をされたのち、第一部の司会である、武藤秀太郎先生にマイクを交代された。
第一部では、まず司会の武藤秀太郎先生が、歴史学者としての朝河貫一について、大化の改新や入来文書を中心とした研究実績について紹介された。また、朝河はイェール大学に多数の未刊行の調査資料(Asakawa papers)を遺しており、第一部では主にこれらの未刊行資料に基づき、朝河の歴史家としての全貌を明らかにすることを目指す旨が説明された。武藤先生の趣旨説明の後、近藤成一先生が「朝河貫一の南九州中世史研究」という題目で、甚野尚志先生が「朝河貫一の1930年代以降の歴史研究」という題目で、海老澤衷先生が「『大化改新の研究』から115年」という題目で、浅野豊美先生が「朝河貫一の法制史研究と象徴天皇制の起源」という題目で、それぞれご発表された。その後、討論として、各自の発表とお互いの発表の関連性などを話し合った後、会場からの質問を受け付けた。
2日目には、第二部と第三部について報告と討議がなされた。第二部では、まず司会の海老澤衷先生から趣旨説明があった。朝河には中国に関する分析が多く、特に義和団の変のあたりから朝河は中国に強い関心を抱くようになったようである。当時は東アジアの激動の時期にあたり、緊迫感のある接触であったと言えるが、その中で朝河がどのように東アジアと関わっていったかについて、増井由紀美先生が「ウィリアムJ.タッカーの大学改革と朝河貫一の役割」という題目で、冨田(松谷)有美子先生が「朝河貫一と日本図書館協会」という題目で、武藤秀太郎先生が「朝河貫一と近代中国」という題目で、それぞれ詳細な報告を行った。その後、討論として、増井先生の提示した「コスモポリタン」などのキー・ワードを軸に議論を深めた後、会場からの質問に答えた。
つづいて、第三部では、司会の山岡道男先生より、朝河貫一研究会の歴史についての紹介も交えながら、趣旨説明がなされた。報告では、山内晴子先生が「朝河貫一の戦後構想「民主主義」とOpen Letter(回覧書簡)の役割」という題目で、陶波先生が「社会学と社会的福音-太平洋問題調査会(IPR)とプロテスタント宣教師ネットワークの進歩主義的関心」という題目で、中村治子先生が「朝河貫一と国際補助語協会」という題目で、それぞれご発表された。その後、討論では司会者の方から各発表者へ質問が出され、朝河の平和主義者としての背景などについて議論を深めた後、会場からの質問を受け付けた。
第三部が終了し、海老澤衷先生が閉会の辞において第一部から第三部までの内容を総括し、かつ今後の展望を示したところで、二日間にわたるシンポジウムは盛況のうちに閉幕した。なお、本シンポジウムの内容については、吉川弘文館より『朝河貫一―人文学の形成とその遺産―』(仮題)として、2019年2月に刊行される予定である。