Graduate School of Japanese Applied Linguistics早稲田大学 大学院日本語教育研究科

その他

渡辺祐子(日研修士12期生)『こころとことばを学んだ2年間』

現職:スウェーデン国立ルンド大学 客員講師

現在私が日本語を教えているスウェーデン国立ルンド大学に赴任してから、早いもので今年で3年目になる。北欧に住む学生たちにとって、日本は物理的にも経済的にも遙か遠い存在の国である。どんなに恋い焦がれても日本への留学の夢を実現できる学生は、残念ながら数える程しかいない。日本からの客員講師である私にできることは、せめて学生たちの心を少しでも日本へ近づけてあげることである。とは言っても、スウェーデン人の心に触れることはなかなか至難の業である。スウェーデン人は日本人に似て、心の中の思いをなかなか語らないからである。日本人と異なるのは、スウェーデン人には「語らずとも相手は私の気持ちを悟ってくれるだろう」という甘えたところがない点である。会話のクラスに来て、口も心も頑なに閉ざし始終黙り込んでいる学生にとって、コミュニケーションは一体何なのだろうかと頭を抱えることもある。それでも彼らは授業を休むことなく必ずやってくる。そこで、ことばなき学生の心をどう受け止め理解できるのか考えてみた。私は教育現場で壁にぶち当る度に日研での院生時代を振り返ることにしている。日研は、日本語教師として再出発する原動力を与えてくれた私の知識と力の源だからである。

日研での研究生活においては、様々な国籍や文化あるいは信念や価値観を持った院生に多く出会い、互いに知恵と力を合わせ、時にはぶつけ合いながら、自分なりの教育観を構築した。社会に出れば、体面や表向きの調和を保つために自分の心を語ることはなかなかできないが、日研ではそれができた。それはきっと、私の心と私のことばを使って表すことに誰も否定も批判もせずに、ただ受け止めてくれたからであろう。今思えば、自分の心をどのような形(ことば)にして表せば相手に伝わるのか、それを考えることのできる場が日研という風土であったと言える。ことばなき学生にも「心」はある。心を語らずとも、出席義務のないクラスに毎回やってくるのは、日本語を聞きたい、日本に触れたい、という学生たちの無言のメッセージなのかも知れない。「まずはありのままの彼らを受け止めることから始めよう。日研の風土がありのままの私を受け止めてくれたように。閉ざした貝は力づくでは決して開かないのだから」と考えるようになってから、不思議なことにそれまで俯いていた学生たちの顔がまっすぐ前を向くようになったのである。彼らの視線の先には何が見えるのか、今の私にはまだ分からない。

ただ私を通して「日本」を体験し、今後の新たな夢に向かって行って欲しいと切に願っている。できればいつか、教え子たちがいつか私の誇りである母校に留学し、私と同じように様々な人の心とことばに触れてみてくれたら、これ以上の喜びはない。

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