Graduate School of Japanese Applied Linguistics早稲田大学 大学院日本語教育研究科

その他

鄭相美(日研修士3期生・博士3期生)『「縁」に関する「深イイ話」』

現職:新羅大学校人文社会科学大学日語日文学科(韓国) 助教授

早稲田を離れてからもう今年で4年目に入る。私は修士・博士ともに3期生で、今は「外国語教授法研究室」と名称変更したが、大学院入学当時、「文型・文法教育研究室」だった川口義一先生のゼミで5年間修学した。

以前からいわゆる条件表現の指導法と習得に興味を持っていた私は、2001年、「文型・文法教育研究室」を目指し、日研に志願書を出した。ところが、な、なんと、志望した研究室の指導教授が川口義一先生だったのである。

私がこんなに驚いたのにはワケがある。その話をするためには時計の針を1996年にまで戻す必要がある。1996年は、私が川口先生に初めてお目にかかった(正確には「テレビで拝見した」)年であるからだ。大学院で勉強することなど全く頭になかった当時、企業や日本語学校などでフリーランスで日本語を教えていた私は、土曜の午後、時間を持て余し、テレビの前でリモコンをいじっていた。その時、私の目にとまったのは「奇人列伝」という番組だった。それは普段周りでめったに見られない芸を持っている人が出演し、その珍しい芸を視聴者に披露する番組だった。特に私の視線を引いたのは、あの名門(^^)早稲田大学の教授が両膝にノコギリを挟み、それを弾いている様子だった。「へえ、面白い人だなぁ。でもすごいなぁ~、早稲田の教授がかわった趣味を…」その意外さに感心し、次の週、私が受け持っていたクラスで生徒にそのテレビの話をしたものである。

その翌年、いろいろなことがあって、私は母校の韓国外大の大学院に入り、再び学生に戻った。そんなある日、大学院の主催で講演会が開かれ、そこに参加した私は思わず「えっ」と声を上げてしまった。会場の演壇に立っていたのはテレビで見たあの「奇人」の川口先生だったからだ。講演が続いている間、私はずっと芸能人にでも逢ったような不思議な気持ちに包まれていた。また、講演の後は司会者の提案で例のノコギリが登場し、私はその演奏を生で聴くこともできたのである。

その後、時は過ぎ、早稲田にも無事に合格し、テレビの中の「奇人」は私の指導教授になった。私にとって、テレビの中の芸能人だった川口先生は、今は「産み」の親がわり、「教え」の親になっているのである。

2007年帰国した私は、その次の年から韓国のEBS(「韓国教育放送公社」、日本の「NHK教育放送」にあたる)のラジオで「初級日本語」という番組を任され、その放送教材の執筆と番組の進行を担当している。月曜から水曜までの三日間、午後9時から20分間放送される番組だが、たまにうちの大学の新入生の中にその番組のファンと名乗る子がいて、サインを求められることがある。おそらくその子にはラジオのDJが現実に出てきたような感じなのであろう。私にとって川口先生がそうであったように…

そんな時、私の夢はさらに先を行く。川口先生と私が10年の時を重ね、早稲田の森で子弟の縁で結ばれたように、その子たちが10年後、教壇で自分の教え子に私との深イイ縁を語る夢…。

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