現職:早稲田大学日本語教育研究センター 助手
誰もが一度は4つ葉のクローバーを探した経験があるだろう。
なぜなら、4つ葉のクローバーを見つけた人には幸運が訪れると言われているからだ。
子供の時の私は、いつもその4つ葉のクローバーを探すことに夢中だった。
5歳か6歳の時だったと思う。その日も汗を流しながら、公園の芝生で4つ葉のクローバーを探していた。
「やった!」私はとうとう見つけたのだ。
風で飛ばされるかのように、誰かに取られるかのように、葉っぱが落ちるかのように、4つ葉のクローバーを小さな手に大切に握って、遠くから私を見守っている母のところへ走っていた。
「ママ、ラッキーが訪れるよ。」
「本当に良かったね。」母も喜んでくれた。
「でもね、3つ葉のクローバーの花言葉とは何か知っている?」
「3つ葉のクローバー?」
3つ葉のクローバー。その花言葉は「幸福」だそうだ。
私は、少し前まで4つ葉のクローバーを探していた芝生を見つめた。「「幸福」をぜんぶ踏んでしまった…。」
その日以来、私は「4つ葉のクローバー」を探すことをやめていた。
日研の生活7年を振り返り、そして、今も日研で生きる私は、忘れかけていた母の教えをやっとわかるようになった。
「幸運」とは必死で見つけようするものではなく、「幸福」の中で訪れるものである。
日研は私にとって「「幸運」と「幸福」の芝生」なのだ。そこには、現職の日本語教師や海外で日本語を教えていた人、サラリーマンだった人、留学生、学部を卒業したばかりの人など、異なる背景を持った人たちが集まっている。そしてその異なる背景を持った人たちと先生方とともに、理論においても、実践においても、研究においても、またはただのおしゃべりにおいても、お互いの持つ日本語教育観を出し合い、とことん議論し、また考えていきながら、それぞれの研究と実践に向き合い、それらをきわめている。それが日研の醍醐味でもあろう。もちろんそのすべてが嬉しくて楽しかったわけではない。大変な時も、辛くて泣いた時もある。それでも、「ここにいてよかった」と感じたし、私を成長させてくれた日研での日々を幸せだと思う。それだけではなく、その「幸福」の中でたくさんの「幸運」を見つけていた。
日本語を一生懸命に勉強している学生たち、日本語ライフヒストリー研究で巡り会った人たち、良い仲間、尊敬できる先生に出会ったこと、そして私の可能性を見つけたこと、私にはそれが何よりの「幸運」である。
現在、博士論文を書いている私に多くの人が尋ねる。「つらいでしょう。」、「博士論文を書き上げたら終わりだからね。」
「博士論文」や「修士論文」というのは「4つ葉のクローバー」のように思われているようだ。なかなか見つけ出すことができない4つ葉のクローバーのように大変だからであろう。論文を書き上げることが大学院に入った目標であるかのように言う人もいるし、みんなそれを掴むために一生懸命でもある。もちろん、理解はできる。しかし、「「幸運」と「幸福」の芝生」である日研で生きる私にとって、博士論文を書き上げることだけが「幸運」ではない。
日研で生きる「今――ここ」を「幸福」だと感じている私は、誰よりも「幸運」な人なのかもしれない。