Graduate School of Japanese Applied Linguistics早稲田大学 大学院日本語教育研究科

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チューシー・アサダーユット(日研修士6期生・博士6期生)『西早稲田物語』

現職:タイ王国チュラーロンコーン大学 講師

早稲田大学西早稲田キャンパスで学んだといっても、わたしは学究生活のほとんどを校外の22号館で過ごした。2002年に来日して、西早稲田の外れにある若き日研と出会い、共に成長してきた。日研で最初に受けた授業は、今でも大人気の「待遇コミュニケーション」だった。留学生と日本人は、ほぼ半分ずつの割合で、共に議論を戦わせていた。日本語の授業だからといって、日本人学生を中心とすることもなく、互いに情報を交換することができた。これこそ日研の特色である。もちろんもし留学生の数が少なかったら、自信をもって話せなかったかもしれない。だから、このような環境にいる留学生は恵まれていると思う。ここでは、自分の国や日本のことだけではなく、研究仲間の国の事情なども知ることができた。まるで、小さな世界のテーマパークにいるようだった。

春学期なら日本人のフレッシュな大卒生、秋学期なら現役(ちょっと年配?)の日本人教師が多いのが特徴だ。私は秋学期に入学したので、様々な経歴をもつベテラン教師と共に学び、仲間となり、交流することができた。1年間の科目等履修生、2年間の修士課程の間の思い出…。学部のように期末試験に追われたあの授業、研究科のすべての先生方と会うことができるあの授業、実践研究に取り組んだあのハードな日々、研究室が合同して行った軽井沢の合宿、そして、そこで出された独特な昼飯…。いま忙しい日々にあっても、これらのことを思い出すと思わず笑みがこぼれてしまう。

修士課程を修了し、博士課程に進学した。30人ほどいた6期生のうち8人が博士課程の6、7期に残ったが、先生方のお手伝いをしたり、共に授業を受けることもなくなり、次第に会うことも少なくなった。寂しさを感じることもあるが、これも大人の辛さなのだろうか。今10年が経ち、当時の若々しい雰囲気を感じることは少ないかもしれないが、新しい学生のためにはタフな日研に変わらなければならないのだろう。学生が投稿にチャレンジできる紀要の数が十分でないとか、手続き上のルールが厳しいとか、不満を感じる面もなくはないが、それも日研のための不可避な変化かもしれない。

スタートしたばかりの組織とはあまり縁がない私だったが、日研との出会いによって、ドラマのような喜怒哀楽を体験することができた。そして成長することができた。これから離れ離れになるが、旧い仲間と日研のこれからの成長を見守りたいと思う。

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