現職:大学院日本語教育研究科修士課程学生
学会の参加、研究室の輪読会、修論のために収集したデータの文字起こし等、少しも気の抜けない大学院2期目が終わった春休みの日常が、あの日を境に一変した。東北関東大震災。相次ぐ学会の中止。新学期授業開始の延期の知らせ。埋め尽くされたスケジュールは、ぽっかりと1ヵ月間空白になった。
岩手県出身であるわたしは、同級生の「生きてるよ」のメールに安堵し、連日の報道で慣れ親しんだ町の変わり果てた姿を目にし愕然とする。一体わたしは何をやっているのだろう。世のため、人のために働ける2年間を学業に費やすことは賢明だったのか。今、わたしに何ができるのか。
日研に入学してから、幾度となく自分の非力さを思い知らされた。これまで国内でも海外でも日本語を教える仕事に携わってきた。日々の「やるべきこと」の中で工夫しながら充実した教師生活を送ってきたつもりだった。立ち止まって、日本語教育がある意味を、日本語教育に携わる「わたし」を見つめる。決められた「やるべきこと」から外れて「わたしは何をしたいか」「わたしに何ができるか」を問われると、その答えを見つけることは難しい。
そんな中、インドネシアの学生からこんなメールをもらう。
Even tsunami hit Japan, I still keep myspirit to go to Japan. Be strong Japan!
現地に滞在していたときは、学生たちが英語でコミュニケーションをとろうとすることに困惑していた。日本語を教えるために来たのだから日本語で話してほしい、という教師の勝手な思いがあった。学生からのメールはやはり英語だった。しかし、日本語教育がある意味をここに見いだせないだろうか。ことばは人にパワーを与え、国境を越えた人と人のつながりをもたらす。
日研は知らぬ間につけていた鎧をはずし、裸の自分と向き合う場所だ。