現職:早稲田大学大学院日本語教育研究科博士後期課程学生
「中国へは甘い気持ちで留学してはだめだ」とは、『遥かなる絆』*の中で、主人公の父親(元中国残留邦人)が、娘の中国留学に反対して言った言葉である。この父親の言葉を聞かなくても、日本人の中国留学には、ある種の覚悟と「明確な自分」が必要であると想像できた。だから、私は日本語教師になってからも、日本語教育で中国に行こうとは思っていなかった。しかし、その私が中国、それも満州国があった地方に派遣されることになった。
中国派遣の話は、修士論文を書き上げる前に、東京外国語大の教授からいただいた。有難くも感じ、恐ろしくも感じた。私の中に「明確な自分」があるのか不安だったからである。子どもの時から、自分の意見を持っているつもりであった。しかし、意見を主張することは、協調を乱すと考えていた。謙虚な人間が美しいと考えていた。「明確な自分」を持つことは、応用の利かない協調性のない人間になることだと思っていたのかもしれない。
中国派遣の話から二月ほど、博士課程の進学準備をしながら、修士論文を書き上げた。書き上げて、論文完成より別のものの手応えを感じた。それは自分の教育観の明確化である。論文を書き直すうちに、自分の貫きたい教育観が明確化されたのである。日研に入院する前から、教育に対する意見を持っているつもりであったが、それは自分の教育観と呼べるほど明確なものではなかったようだ。教育観がはっきりしたら、中国赴任に対する不安が軽減された。
ところが、東日本大地震が起こり、留学生の宿舎でRAをしている私に、再度不安が襲いかかった。どんなに朝から夜まで、留学生の心に寄り添おうとしても、言葉が通じない気がした。いや、日本が通じない気がした。「日本が好きだったのに」という英語を何人からも聞いた。そんな時に日研留学生の言葉は有難かった。親日の意味を考えさせられた。親日を「日本が好き」という意味で終わらせない日本語教育を行おうと今、中国で教壇に立っている。
*2009年 NHKで放送