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1962年4月、大隈講堂鐘楼からの眺め
Tue 28 Apr 26
Tue 28 Apr 26
早稲田大学歴史館には、数多くの写真資料も所蔵されています。未整理・未公開のネガフィルムから、この記事では1962年4月に撮影されたと推定されるキャンパス風景写真をご紹介します。
正面に図書館(現・2号館)。右側に2号館(現・1号館)と1・3号館(現・3号館)、左側の三階建ては診療所。
「第8回早稲田祭パンフレット」(1961年)掲載のキャンパスマップ。現在とは号館表示が大きく異なる。
図書館(現・2号館)の奥は4号館(現・8号館)、そのさらに奥のかまぼこ状の建物が記念会堂(現・早稲田アリーナ)。
正面に21号館(現・10号館)。
学生ホール(現在は大隈会館)、左には都電早稲田電車営業所(現在は都営バス早稲田営業所)。奥には神田川、目白台。
学生ホール。1991年3月、ホール北側の校友会館および手前東側の大隈会館とともに解体された。
[創立八十周年:引用者注]記念事業の最初の槌音は二二号館で鳴り響いた。大正十四年に大隈会館敷地内に建てられた鉄筋コンクリート二階建の学生ホール(二二号館)は戦災を免れ、昭和三十一年二月から八月にかけて改装・増築工事が施され、教職員用食堂が二階に設けられた。その間、第四巻一一二四頁に既述した二十七年竣工の共通教室(二一号館)が学生数の増大に伴い手狭になっただけでなく、狭隘な本部キャンパスでの新教室建築が不可能だったので、三十五年八月二十日、この学生ホール二階の上に更に一階の増築に着手し、新三階を第二共通教室に充てた。三十六年九月六日竣工後は延一〇五二・二一坪となる。この結果、学生ホールの前面は二階までの吹抜けとなり、専用階段で三階の大教室に通じるよう改装された。第二共通教室は千二百余人を収容でき、各学部が共同で使用した。
──『早稲田大学百年史』第五巻・第十編・三より
大隈会館(当時)のカープール。Mercedes-Benz が目立つ。
学生ホールと校友会館、大隈会館(当時)、大隈庭園。
完之荘。
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大隈庭園。
戸山キャンパス。撮影と同じ1962年4月に完成し、第一文学部・第二文学部・文学研究科が移った。
文学部は従来本部キャンパス図書館脇の四号館を使用していたが、高等学院が上石神井校地に移転した跡、すなわち戸山町四十二番地に、文学部専用の新校舎群が建設された。三十五年十二月八日起工式挙行、三十七年四月三日に完成し、第一、第二文学部ともここへ移った。二五号館は十一階(水槽・機械室の上二層を加えると十三階)最高高度三七・二三メートルの研究室棟を中心とし、これと直交する七階建の研究室棟が建てられ、これに接する一部は平屋一部二階建の大講堂棟となる。記念会堂に側面した部分には、その前庭から地上四階建の教室棟(二四号館)が建てられた。これらの建物は、改装された旧高等学院の鉄筋校舎(一八号館)や木造校舎(一七号館)と連絡するよう配置された。記念会堂前のスロープを登って教室棟の下をくぐり抜けた所は中庭の如き形となり、この中庭から直接出入りできる所に、七百人収容の前記の大講堂棟がある。また四階建の教室棟は、一階に学生食堂・学生控室・サークル部室等が設けられ、二階以上が教室となっている。以上の新築校舎の総坪数は三〇三七・七六坪である。なお、研究室棟には大学院が統合され、学部とその同系の大学院とがこのようにまとまったのは、早稲田としては最初のものであった。
第八図 創立八十周年記念事業建築配置図(文学部)
──『早稲田大学百年史』第五巻・第十編・四より
鐘楼の鐘。
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- 著者名:早稲田大学歴史館
- タイトル:1962年4月、大隈講堂鐘楼からの眺め
- 掲載サイト:早稲田大学歴史館
- 公開日:2026年4月28日
- URL:https://www.waseda.jp/culture/archives/other/2026/04/28/7379/













