Waseda University Senior High School早稲田大学 高等学院

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【連載 Gakuin Alumni 第1回】
2003年卒業 小西孝明さん

高等学院を卒業後、様々な分野で活躍する先輩に、学院時代から現在に至るまでの足跡や在学生・受験生へのメッセージなどを寄稿していただきます。
ぜひ、将来の進路や職業の選択に役立ててください。

第1回目の今回は、2003年高等学院卒業の小西孝明さん。学院在学中、大学在学中、そして現在の職業などについてご紹介いただきました。

小西さん(2021年ニューヨークにて)

◆ 学院在学中、どのような生徒でしたか?

自主性を磨いた部活動

私はバスケットボール部(以下、”バスケ部”)に所属し、東京都ベスト16入りを目指して、週6日練習に打ち込んでいた。当時の私は、身体が小さく、技術・体力面で上級生に追いつくことを考えて、走り込みやシュート練習に多くの時間を割いていた。居残り練習をしているとよく用務員さんに消灯や閉校を告げられていたのを思い出す。

上級生が引退し、自分たちの代になったところで長年ヘッドコーチを務めていた赤さん(敬意を表してこの呼び名をさせて頂く)が他界し、アシスタントコーチを務めていた杉山教諭(体育科)が引き継ぐことになった。新体制で臨む日々の練習ではコーチが不在の時もあったが、自分たちで規律を守り、意識高く、練習に集中することを心掛けていた。私は副キャプテンとして、時に厳しくチームをまとめる場面もあった。バスケ部体力強化の恒例メニューの一つにスリーメン(Three-Men)という、3名の選手がドリブルをせずに3回のパスだけでフルコートを駆けるシューティング兼ランニング練習がある。ミスをするとやり直しを課す「リピート」というルールを入れながら練習していたが、僅かなミスも厳しく指摘していたため、今でもバスケ部OBで集まると、小西は厳しかった、と言われる。

練習内容や進行にばかり気を遣っていたため、今思えば高校3年間の主要な大会である、春の関東大会予選、夏前のインターハイ予選、秋の新チームで臨む支部大会の開催時期から逆算して、今どのような練習をしなければいけないのか、をもっとチーム内で話し合い、練習を徹底しておけばよかったと反省するばかりだ。

◆ 大学在学中、どのような学生でしたか?

交換留学で掴んだ自信

大学生活においても、人生においても最大の転機となったのはアメリカへの交換留学だった。4年間で何か成し遂げたいと思っていた私は、入学前から英語の勉強を始め、TOEFL(主に大学への入学のための英語能力測定試験)のスコアアップを目指した。同時に、交換留学のプロセス・選考スケジュールを調べ、留学経験者を訪ね体験談に耳を傾け、モチベーションを維持しながらプログラムに申し込んだ。

2年生の後期のある日、講義の前に学部内のPC端末でメールをチェックしていた。学院バスケ部の親友Tと教室でハイタッチをしたほど嬉しかった合格通知の瞬間を鮮明に覚えている。入学当初からの一つの目標が達成した瞬間でもあった。

立ち止まっている時間はなく、どんな留学生活にするか、ということを考え始めた。異国の地での生活や、新しい文化に慣れることを大事にし、その上で経済学やビジネスのクラスを受講することにした。英語で学び直す経済学は入門ながらも大変だったが専門用語を何とか覚えていった。朝8時からのビジネスのクラスは教授をコの字型で囲み、映画館のように段差のある座席に50人の学生が活発な意見交換が行われ、特に模擬の株式ポートフォリオに関する講義は楽しかった。

留学先はポートランド州立大学(Portland State University, “PSU”)で、オレゴン州最大都市に位置していたため、NBAの試合もよく観に行った。幸か不幸か当時のブレーザーズ(Portland Trail Blazers)があまり強豪ではなかったため、チケット代がとても安かった。

さて、話を戻すと、授業の内容・スピードにも慣れてきて留学期間の終わりが見え始めたころ、就職活動(以下、”就活”)への準備を本格化する必要があった。海外に居ながら日本の就活準備をするのは、会社説明会に出席できず情報収集ができないデメリットもあった、一方で自分がどのような性格で、どのような人物なのかを把握する、いわゆる「自己分析」に時間をかけることができた。このお陰で面接で話す内容にも軸ができ、物怖じせずに自信を持って自分の言葉で伝えることができた。また、早稲田大学に交換留学できていた時に知り合った日系アメリカ人の親友R(PSU卒業)と共に、海外留学生向けの最大の就活イベント「ボストンキャリアフォーラム」へ挑んだことも、日本への帰国してからも焦らずに就活ができた要因だった。

留学中の街歩き (2005年ポートランドにて)

◆ 現在の職業について教えてください。

ステップアップが出来るステージに身を置く

「海外で働きたい・活躍したい」という目標を一つの基準にして総合商社や金融、外資金融、メーカーなど幅広に選考プロセスを進め、最初に内定を頂けたのが今の会社。

入社後、社会インフラセクターの本店営業部へ配属され、社会人としての心構え・立ち振舞い、金融業界の基礎を学ぶ。金融業界は比較的部署異動が早いと聞いていたが、2年目から、「海外」のキャリアの第一歩が始まった。

国際審査部では、米州非日系案件のリエゾン(海外案件を本店会議体に付議する補佐)、在日外資企業と金融機関向け案件審査を担当。社会人としては若手ながらも、営業部や海外拠点から申請されてきた案件を、経緯・リスク・取り組み意義などを丁寧に精査し、資料をまとめ、社内承認を得る。収益機会が生まれると同時に信用リスクと呼ばれる企業の財務健全性を見極める重要な業務だった。

4年目には、「顧客営業(フロント業務)」および「プロダクツ」というスキルが新たに加わった。日本国内のシンジケートローン(協調融資)のオリジネーション業務に従事するようになり、顧客の資金ニーズに合わせた提案やシンジケーション戦略の構築、契約書のドキュメンテーション、資金実行までを、スケジュールを守りながら堅確に遂行していく。私の場合は東南アジアに進出する日系海外子会社を担当していたため、シンガポールやタイ、マレーシア、ベトナムへ出張し、海外拠点の現地スタッフと意見交換し、顧客へも直接提案する貴重な経験ができた。

7年目となった2013年に、ニューヨーク転勤の通知を頂き、世界トップの金融街で働く機会は今後のキャリアにおいて大きなステップになることは間違いなく、現地で起こるすべての事象を理解し吸収しようと意気込んだ。JFK空港に降りマンハッタンを目指す車中、いきなりの雨という洗礼はあったが、それよりも摩天楼のように高層ビルが立ち並ぶ街への期待で胸が高まったのを今でも思い出す。

日系企業の大型設備資金ニーズや米企業の買収ファイナンスに対してシンジケートローンのオリジネーション業務を行いつつ、北米の金融資本市場の厚みや構成、商慣習といった知識を蓄えていった。欧米金融機関と伍していくために、北米ビジネスのプラットフォーム強化という少しマネジメント目線の業務にも携わることができるのは純粋に楽しい。

こうしてこれまでの社会人生活を振り返ると、ステップアップできるステージを設定し、日々の業務に精進しながら着実にスキルアップしていく継続性が自分には合っている、と改めて感じる。

もう一つの趣味のマラソン(2019年シカゴマラソンにて)

◆ 受験生や在学生に期待することやアドバイスを教えてください。

自由という校則

自由闊達という校風をそのまま実現できる環境が学院にはあり、学院生が自ら考え行動し、たとえ失敗したとしても、支えてくれる先生方、仲間が周りにいます。私の場合には自由という校則を実践できたのが部活動(バスケットボール部)でした。

生涯の友との出会い

3年間で何に、いつ、誰と打ち込むかは学院生一人ひとりに選択権があるので、クラスメイトや部活動、周りの先輩後輩の輪を広げられるだけ広げることをお勧めします。ここでの輪・人脈が大学へ進んでも社会人になっても、案外結びついてきたり面白い出会いが待っていたりします。学院時代の仲間の雰囲気や、ともに過ごした日常がとても居心地良く、後輩や自分の子供たち世代にも是非同じような思いに至ってほしいと願っています。

 

プロフィール
早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
大学在学時のアメリカ・オレゴン州ポートランドへの交換留学をきっかけに海外で活躍することを夢見て、学部卒業後、2007年大手金融機関へ入社 。
国内の大企業営業、国際審査、シンジケートローンを経て、2013年からニューヨーク支店と現地法人証券会社にて投資銀行業務(キャピタル・マーケッツ、シンジケートローン)に従事。

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