「外部」と「内部」の凸凹 ボランティアが求める、求められるものとは
~体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」5~
新井 国憲(教育学部4年)
山梨県丹波山村。東京都奥多摩から、さらに奥地に位置する人口約500人の小さな村だ。東京・新宿から丹波山村へ行くには、電車とバスを利用して約2時間半。都心の喧騒とは無縁の大自然に出迎えられ、コロナ禍で注視される「密」もない。「田舎暮らし」に憧れる人にはうってつけの場所だ。しかし、全国の市町村と同じく、いや一層深刻に、この村も少子高齢化に伴う、人口減少という課題を抱えている。講義名からもわかるように、私たちはこの村の抱える課題に「地域おこしボランティア」として、向き合った。
丹波山村では、過疎化に伴う管理人不足や所有者不明などによって、空き家の廃墟化が進んでいる。廃墟化を野放しにしておくと、村の景観を損ねるだけでなく、地域おこし事業そのものの妨げになる。実際、村で起業し、地方創生事業を行っている保坂さんが、共に狩猟するメンバーを募集したところ、定員の約15倍に至る応募があった。しかし、住む家がないことが一因となり、採用できなかったという。私たちは、そうした状況を改善する一助となるべく、空き家の修繕活動を行った。
率直にいえば、修復する空き家を初めて目の前にしたとき、筆舌に尽くしがたい空虚感に襲われた。色褪せた床板に、室内は埃っぽい。作業自体も単調なものがほとんどだ。モヤモヤした感情が、汗と共に拭い切れなかった。
同じような感覚は、事前学習の段階でもあった。私たちは、現地へ行くまでの間、村の課題解決の為のイベント企画を提案したが、人手不足や持続性の問題がネックで保留となった。
その際の、「外部に求めるのは、アイディアと労働力。村内でもアイディアがないわけではないので、この2つがないと…」という保坂さんの言葉を思い出した。
頭のどこかでは分かっていたが「労働力」として現場へ向かう意味を、私は忘れてしまっていた。「労働」には当然ながら見返りが求められる。ボランティアとして参加する側の私たちは、いったい何を「見返り」として求めているのだろうか。
ボランティア当事者が求める「見返り」は、経験や人間関係など、様々考えられる。しかし、特に大切なことは、社会貢献できているのか=人のためになっているかという点ではないか。
空き家へ再び現地へ足を運んだ際、以前覚えた違和感は、頭の中から消し飛んでいた。私たちの努力が、当初とは想像できないほどの綺麗な内装という形になって、可視化されていたたからだ。
地域おこしに参加する「外部」の人と、地域に住む「内部」の人の間には、問題認識のズレが生じやすい。こうした認識のズレを放置すると、事業の継続性が失われてしまう可能性がある。当講義を通して、相互のズレを少しでも解消するためには、「内部」の現状と求めるものを「外部」が理解し、「内部」の者が社会貢献という点から、目に見えるメリットをできる限り提示することが重要ではないかと感じた。
ボランティアは、現場と向き合う行為だ。現地に足を運ぶことで、机の上では学べないような、複雑な問題と対峙する。私たちは考える。そしてまた、現地へと足を運ぶ。こうして現場を行き来する過程で、私たちは着実に変化し、その変化は現地にも影響を与える。ボランティアは、可能性で溢れている。
≪体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」のこれまでの連載記事はこちらから≫
https://www.waseda.jp/inst/wavoc/news/2021/10/22/6915/