早稲田大学アカデミック・ライティング・プログラムは、「自立した書き手」の育成を目指し、全学規模で学術的文章作成の指導・支援を行っています。「自立した書き手」とは、学術的な議論を踏まえて、自分で構想して文章を書き、必要に応じて適切なツールや助言者の力を活用しながら、自分で修正できる書き手です。具体的には、誰に対して、何を目的として、どのような内容を、どのような形式で、どのようなことばで伝えるかを考えて書き、自分で書いた文章を読者の視点から自分で修正できる書き手です。一人で書いている時にも、目の前にはいない他者や自分自身と「対話」することのできる書き手が、「自立した書き手」といえるでしょう。
これからの社会において、「対話」する力はますます重要です。その背景には、二つの動きがあります。一つは、現実に存在する多様性を、認め、尊重しようとする社会の動きです。「移動」が日常的になった現代において、人々の言語・文化背景や経験は非常に多様です。ジェンダーをはじめ、一人ひとりの生き方、あり方を尊重しようとする努力も重ねられています。また、様々な障がいや特性を持つ人が学習や社会に参画できるよう、合理的配慮を行うことが大学を含む、事業者に対して義務付けられています。このように、人々の多様性を認め、尊重する方向へ、社会は動いています。一方で、多様性を拒否し、特定の方向へと収斂させようとする力も強固に働いています。例えば、検索エンジンやSNSにあふれる情報は、一見多様なようでいて、特定の情報を優先的に提示し別の特定の情報は削除するというように、方向づけられています。生成系AIは、主にインターネット上の情報を学習していますので、特定の情報に偏ることは想像に難くありません。このような、相反する動きの中で、自分の考えを持ち、多様な他者を尊重し、関係を構築しつつ自己表現する力、つまり「対話」する力が不可欠です。
レポートや論文作成というアカデミック・ライティングは、「対話」の力を磨く上で最適です。なぜなら、アカデミック・ライティングは「対話」の行為そのものだからです。本や論文を読む時、目の前にはいない著者に対して疑問を投げかけたり、賛同したりします。自分で文章を書く時には、想像上の読者の反応を予想し、それに応えようとします。そして、自分の問題意識や独自の主張は何かを考える時、自分自身と「対話」します。このような「対話」は、初めからできるわけではありません。アカデミック・ライティングに必要な文章作成技術を学び、実際に自分で文章を書き、その文章に対して実在する他者からフィードバックを得ることによって、徐々に、「対話」する力を持った「自立した書き手」へと成長していくことができるのです。
早稲田大学アカデミック・ライティング・プログラムでは、学部生向け授業「学術的文章の作成」、および支援機関であるライティング・センターにおいて、「自立した書き手」の育成を目指した教育実践を行っています。「学術的文章の作成」授業では、履修者は基礎的な文章作成技術を学び、その技術を活用した課題文章を作成します。そして、提出した課題文章に対して、指導員と呼ばれる大学院生TA(Teaching Assistant)からの個別フィードバックを受け取ります。ライティング・センターにおいて、利用者は、チューターと呼ばれる大学院生LA(Learning Assistant)と対話をしながら、これから書こうとしている文章の構想や、書いた文章の修正法を検討します。このような他者からのフィードバック、あるいは他者との対話を通して、書き手は、自分の文章を読者の視点から検討し修正できるようになります。そして、一人で文章を書く時にも、目の前にはいない多様な他者と「対話」できる、「自立した書き手」へと成長できるのです。
早稲田大学アカデミック・ライティング・プログラムの大きな特徴は、大学院生が文章指導に携わっている点です。指導員もチューターも、修士課程や博士課程で研究し、日々アカデミック・ライティングを実践している大学院生です。大学院生が文章指導に携わることによって、数多くの書き手を指導・支援することが可能になっています。それだけでなく、大学院生たちは、文章指導の経験を通して、自分自身の文章作成力と指導力を磨き、大きく成長しています。卒業した指導員、チューターの中には、他大学でアカデミック・ライティング教育を担う教員になった人も少なくありません。文章指導に興味のある大学院生は、「文章指導者の募集」を御覧ください。
早稲田大学アカデミック・ライティング・プログラムは、2004年にライティング・センターを開室して以来、「自立した書き手」の育成を目指して、教育実践を重ねてきました。本プログラムの実践は小規模で始められましたが、学部や大学の全面的な支援により、大きく成長することができました。また、文章指導に携わった大学院生たちの大きな貢献に支えられて発展することができました。心より感謝申し上げます。
生成系AIの浸透を始め、大学を取り巻く状況が大きく変化した現在、大学におけるアカデミック・ライティング教育のあり方が問い直されています。新しい時代に必要なアカデミック・ライティング教育を実践できるよう、早稲田大学アカデミック・ライティング・プログラム関係者一同、精進してまいります。
グローバル・エデュケーション・センター 准教授 太田裕子