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杉浦非水「東洋唯一の地下鉄道」と早川徳次

大正末から昭和初期にかけて、東京の都市風景は大きく変化しました。その象徴のひとつが地下鉄です。「東洋唯一の地下鉄道」は、東京地下鉄道株式会社が地下鉄開業の周知・宣伝のため制作したポスターであり、図案家・杉浦非水による1927年ごろの作品として知られています。

2000年度工藤弘之氏寄贈資料1「〔ポスター〕「東洋唯一の地下鉄道」杉浦非水画」

画面左中央に、こちらにやってくる黄色い列車が配されています。ひとびとはみなおしゃれな装いで、列車を見つめ、あるいは会話をしています。手前の青い服のこどもはおもちゃを、その上の男性はタバコを持っています。中央の白い帽子のこどもは、列車を指さしています。簡潔で力強い色彩、視線を導く幾何学的な処理には、商業美術家として活躍した杉浦非水の特色がよく表れているように思われます。ポスター最上部には「東洋唯一の地下鉄道」とありますが、1927年(昭和2)、浅草-上野間で開業した東京地下鉄道は、アジア地域で最初の本格的地下鉄として、ひとびとに都市交通の新時代を印象づけました。

この地下鉄構想を推進した人物が、東京地下鉄道の創立者・早川徳次(1881–1942)です。鉄道事業に携わるなかで海外の都市交通に着目し、特にロンドン地下鉄に触れた経験を背景として、東京への地下鉄導入を構想したとされます。資金調達や各方面との折衝など幾多の困難を経て地下鉄建設を実現したことから、のちに「地下鉄の父」とも呼ばれるようになりました。『早稲田学報』第264号(1917年)の「面影」コーナーには、当時のインタビュー記事が掲載されています。

『早稲田学報』第264号(1917年)

明治四十一年大学部法学科卒業と共に実業界に投じて、種々の方面に活動せられ、大正三年海陸交通の研究に地下道に関する視察の為め、先づ英国
に渡航、斯業の視察研究を積まれた後ち、仏蘭西、伊太利、瑞西、カナダ、亜米利加等を絶て旧臘帰朝せられた校友早川次氏の面影を紹介せんと、中渋谷五七五の同氏邸を訪い、初対面一挨の後ち、来意を陳ぶれば

格別御話する程の事もないに御紹介下さるとは恐縮ですが、併し折角の事ですから何か少しく御話する事にしませう

とて承つた御高話の梗概は(以下略)

早川は卒業後も校友として維持員・監事を務め、大学運営にも関与したようです。地下鉄の誕生を告げた一枚のポスターには、近代東京の未来像と、本学に連なる人物の足跡が色鮮やかに刻まれています。


東京メトロ銀座線浅草駅4番出口は、理工学部教授・建築家の今井兼次の設計。坪内博士記念演劇博物館、会津八一記念博物館(旧図書館)なども今井の作品

 

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