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7,400通の書簡は何を伝えるか 「大隈に手紙を寄せた人びと 大隈重信へのまなざし」

大学史史料センター所長 大日方教授

大学史資料センター所長 大日方純夫教授

10月12日、シンポジウム「大隈に手紙を寄せた人びと──大隈重信へのまなざし」が、大隈記念講堂小講堂にて開催されました。このシンポジウムは、大隈重信に宛てられた7,400通もの書簡を翻刻・整理した『大隈重信関係文書』の全巻完結を記念したものです。早稲田大学所蔵「大隈文書」に所収された手紙を解読するむずかしさ、その内容を読み解くおもしろさなどを紹介し、そしてそこから見えてくる大隈像を明らかにすることが、このシンポジウムの趣旨です。

はじめに大日方純夫・文学学術院教授(大学史資料センター所長)から、問題提起を含んだ挨拶がありました。大日方教授は「『大隈重信関係文書』には、大隈とともに明治維新を推進した政治家からの書簡、近代史上に知られたひとびとからの手紙だけでなく、今となっては詳らかには知られていない膨大なひとびとからの手紙が収められています。そうしたひとびとが、いったい大隈に何を期待したのか、大隈の何に希望を託したのか、それが気になります。三人の先生方にお話と討論をいただき、時代を探るてがかりをつかめればと思います」と述べました。

五百旗頭薫・東京大学教授の講演

五百旗頭薫・東京大学教授

五百旗頭薫・東京大学教授

歴史学は、過去への逃避ではありません。曇りのない目で現代をみつめ、反省力と想像力を得るための基礎となる、それが歴史学です。歴史研究者として、過去と現在との巨大な相互関係の一齣の解明にとりくんできましたが、本日はみなさんにも歴史研究を好きになってほしい、という思いで登壇しました。

近代史、あるいは戦前の歴史を、戦後の日本人はどう考えてきたのでしょうか。大きく言って3つの段階があります。

戦後直後の段階では、国家と社会とを対立させる見方が支配的でした。それは国家による社会への抑圧、国家と社会との闘争を描く歴史像です。このような歴史像の背景には、その当時の多くのひとびとが疑問に思っていたこと、すなわち「なぜ軍国主義になったのか、なぜ戦争になったのか」という問いかけがありました。

次の段階は、国家と社会との協力・協調関係に注目する見方です。紆余曲折はあったけれども、日本の近代化はうまく行った、国家の発展に向けてさまざまなアイデアがあったけれど、それらは基本的には一致していた、という見解が背後にあるのでしょう。そこで注目されたのが、対立を調和させる賢明なリーダーとしての伊藤博文でした。同時にこのような歴史学は、なぜ自民党政権が長期にわたって維持されているのか、という問題についても、合理的な説明を与えることかできました。

そして第三の段階。国家は一つではなく、そこにはさまざまな国家構想があったのではないか、という見方です。その背後にあるのは、日本人は戦後の繁栄を謳歌しているけれども、冷戦体制の集結や財政悪化など、世の中がますます不透明になりつつある、という不安でしょう。合理的な政策を持った野党が現状とは異なった国家構想を提案できないだろうか、という現実的な政治課題ともつながります。このように考えたとき、政治史で重要なのは、大隈重信です。戦前もある時期においては、曲がりなりにも二大政党制が機能していました。第三段階における近代史の秘密は、大隈重信について考えることによって、はじめて解き明かすことができるのではないか。山県有朋や伊藤博文など、藩閥主流とは異なって、大隈は外交立ち上げの立役者、財政のプロとして信頼を基礎に、最終的に第二党をつくり、政治に対立とダイナミズムをもたらしたのです。大隈の成功と限界を知る必要がある──その成果が、『大隈重信と政党政治』(2003年)に書いたことです。

けれどこの本には大きな欠落がありました。それを気づかせてくれたのが、今回の『大隈重信関係文書』の刊行です。

この本は社会から目を背けすぎていたのです。国家と社会が対立しているか一致しているかという見方は避けましたが、国家構想の複数性に議論が集中し、結果政治エリートの言説上の対立の外部を、描けませんでした。エリートたちの対立を支える、社会に内在する対立に目が行かなかったのです。もういちど社会に目を向けなければならない。そして今日の政治を考える上でも、社会に降りなければならない、と思います。新自由主義的な改革の持っているうつろいやすさ、予想可能性の低さを考えるための想像力を得るうえで、大隈の支持基盤の構造を読み解く必要がある、と思うのです。

『大隈重信関係文書』に収められた書簡には、もっと大隈がリーダーシップを発揮してくれ、もっと大隈が支持してくれ、という手紙が多いようです。九州は放置するのか、という苦情もあります。もしかすると、これは大隈の戦略かもしれない、と思うのです。明治17年、改進党が党員名簿を廃棄するか、あるいは党を解散するかで揉めたことがありました。内部対立は深刻です。これについて今回翻刻された手紙に、山田一郎の提案が収められています。この提案は、「これ以上の論争は禁止、理由は言わない」という策をとれ、という実に無責任なものです。さて結果的に大隈が実行したのは、大隈と河野敏鎌だけが脱党する、という策でした。あっけにとられた党員たちは、むしろ一挙に団結したのです。対立していたひとびとが、ひさびさに顔を見合わせて、どうしようかと議論するうちに、です。このことからわかる大隈の戦略は、社会を突き放す、というものです。それを大隈は、さまざまな場面で繰り返します。したがって当然、党員から不平不満の手紙がたくさん来ます。大隈は、強力なリーダーシップによって社会に手を突っ込むのではなく、既存の社会に手を突っ込みません。むしろ無為無策なのです。

『大隈重信関係文書』には、さまざまな可能性があります。ぜひ、歴史学を好きになってほしいと思います。多くの史料を読んで欲しいのですが、それらの史料の中心に、大隈を据えて欲しいのです。なぜ大隈について学ぶべきなのでしょうか。みなさんが早稲田大学の学生だから、早稲田の関係者だから、ではありません。いま、それが必要なことだから、なのです。

大庭邦彦・聖徳大学教授の講演

大庭邦彦・聖徳大学教授

大庭邦彦・聖徳大学教授

歴史学の営みには、2つの柱があります。

第一は、史実の確定。第二は、歴史像の構築です。必要条件としての第一がなければ、第二は単なる物語に堕してしまうでしょう。第一の前提となるのが、史料です。

さて、史料は事実を語るのでしょうか。史料が事実を示しているかどうか、そのことを吟味してゆく作業を、史料批判と呼びます。『大隈重信関係文書』に収められた史料はすべて書簡です。書簡の特性はどのようなものでしょうか。

書簡は日常的な意思伝達手段でしたから、お互いに了解している事実が前提にあります。双方の了解事項は、いちいち書き残しません。したがって、くずし字を解読できても、内容がよくわからない、ということは一般的なことです。書簡そのものには長短さまざまありますが、どちらかというと短いものが多いようです。したがって情報量が限られています。往翰・来翰の相互を踏まえて、できるだけ多くの書簡を収集することによって、情報の穴を埋めてゆく必要があります。これが作業の第一歩になります。

しかし書簡は、なかなかよい具合には残っていないものです。ふつうは部分的にしか残っていません。そもそも『大隈重信関係文書』は、大隈に宛てられた書簡を収録したものですからで、大隈からの返信は収められていません。大隈への来翰7,400点が、いま残っているというだけでも稀有なことなのです。史料を残してゆく責任を担った機関・個人の努力の賜物なのです。

さて、書簡を書く・送る行為の背景には、作る側の目的・意図があります。書簡を出す必要があるから出す、ということです。では、はじめにどこに着目して読んだらよいのでしょうか。一般的には、誰から来たのか、つまり差出人を確認するでしょう。しかしなかには、名前が読めない手紙もあるのです。くずし字で読むのが難しいのは、固有名詞です。というのは、文章は文脈から推読できますが、固有名詞はそうはいかないからです。次に読むのは、差出人の履歴です。著名人ならば、年代推定の手がかりがつかめるでしょう。では未知の人の場合はどうしたらよいでしょうか。形式と内容、その双方を分析する作業が必要です。史料に出てくるキーワードに目を奪われがちですが、それだけでは読み違える可能性があります。

真辺将之・文学学術院准教授

真辺将之・文学学術院准教授

真辺将之・文学学術院准教授

利用者にとって、『大隈重信関係文書』という編纂物をどうやって使ったらよいのか、ということについて考えてみたいと思います。

まず、編纂物の性格をよく把握する必要があります。大庭先生がご説明したとおり、年代推定は大変な労力を要する作業ですが、だからといって鵜呑みにしてはなりません。大隈という人物がどういう人物かを知らなければ、うまく読み解くことができません。

では政治家としての大隈の特徴とはどのようなものでしょぅか。まず、非常に政治生命が長く、活動分野も幅広いことが挙げられます。したがって長いスパンで大隈を見ることが必要です。ゆえに、大隈の全体像を把握すること、一研究者が大隈の全生涯を研究することは非常に難しいと思います。さらに、大隈の地位には変動があります。明治14年の政変で政府を追放され、その後は政党を足場に活動していた人物です。この地位の変動は、『大隈重信関係文書』にも反映されています。史料群の性格が、政変前後で変わるのです。政変前は、政治に関する重要な情報が含まれていましたが、政変後には一挙になくなってしまい、大隈系政党のひとびと、また無名の民衆からの要求などが増えます。伊藤博文関係文書や山県有朋関係文書と、かなり性格が異なるのです。

やや言い難いことですが、伊藤文書にくらべると、大隈文書はちょっと内容が薄い気もします。重要情報が少ないからです。なぜ重要情報が少ないかといえば、政変によって政府を出ただけでなく、そもそも大隈が文字を書かなかったからでしょう。コミュニケーションのとり方が、大隈は他の政治家と全く異なっています。大隈からの返信もありますが、多くの場合は代筆で、ときどき印刷物もあります。

これが従来の大隈研究に問題を引き起こしている、と言えます。大隈側の情報が少ないために、14年政変では大隈の事実上の政敵、佐々木高行の日記をもとに研究せざるを得ません。そのような研究には、実像とかなり異なる大隈像が描かれている可能性があります。原敬日記についても同じことが言えます。歴史学者は大隈嫌いが多いのですが(笑)、それは原敬日記の大隈像に引きずられているからです。また密偵情報も、それ自体は興味深いのですけれど、しかし相互に矛盾する情報が書かれていることも多々あります。つまり虚偽の情報が含まれている、ということです。これらをもとに従来の研究がなされているとすると、ずいぶん危ない点が多くあるのではないか、と思うのです。

ふたたび大隈の特徴に戻りましょう。大隈の活動は、演説や座談が中心になりますが、その数が多すぎて、網羅することはとてもできそうにありません。またメディアに書かれた大隈の談話が、必ずしも正確だとも言えません。

さて、『大隈重信関係文書』の性格とはどのようなものでしょうか。書簡は、そのほとんどを所収しています。しかし書簡を所収した、ということは、書類は入っていない、ということです。では書簡とは何でしょうか。書簡で行われているのは、情報提供や、あるいは腹の探り合いです。重要な決定を、手紙で済ますことはほぼありません。重要な問題ほど、顔つき合わせて決める、といのが政治では一般的です。ですから、書簡からだけではみえないものがあります。早稲田大学図書館が所蔵する大隈文書には、書類も含まれています。これらによって情報を補うことが必要です。

ところで『大隈重信関係文書』は、差出人の名前の順番に整理されています。特定の人物をまとめてみるには便利ですが、大隈の活動を追う上ではとても不便です。隈板内閣の成立によって、堰を切ったように大隈のもとにさまざまな手紙が来ます。就職斡旋の依頼や政策上の要求、また返事がないことに対する苦情など、です。年代順の整理であれば見えてくるものが、名前順だと見えないことが多々あります。大隈の活動を追う上では、年代順の目録が必要です。目録情報だけでも年代順で並べ替えられるようにして欲しい、とセンターにお願いしたいと思います。また図書館所蔵の大隈文書の情報は、大学史の情報によっていまだ修正されていません。図書館には、これを修正して欲しいと思います。古典籍総合データベースは優れたものですが、並び替えや詳細検索ができないようです。これらの環境整備もお願いしたいと思います。

将来的には『大隈侯八十五年史』を書き直す必要がありますが、まずは史料状況の整備と、研究者の育成が目下の課題だと考えます。

全体討論

全体討論eyecatch質疑応答につづき、大日方教授の司会のもと、全体討論が行われました。書類と書簡、書簡と日記の形態的差異と移行性、日記も手紙も書かない、そもそも文字を書かない大隈を研究するための方法とその今日的意義、また大隈と福沢諭吉との政治スタイルの比較などについて、三人の講演者が意見を述べました。7,400通の手紙を通じて、さまざまなひとびとの相互のつながりがかいま見えるシンポジウムとなりました。

講師略歴

五百旗頭薫氏

東京大学大学院法学政治学研究科教授。専攻は、日本政治外交史。主な著書として、『大隈重信と政党政治―複数政党制の起源 明治十四年‐大正三年』(東京大学出版会、2003年)、『条約改正史──法権回復への展望とナショナリズム』(有斐閣、2010年)などがある。

大庭邦彦氏

聖徳大学人文学部文学科教授。専攻は、日本近代史。主な著書として、『父より慶喜殿へ──水戸斉昭一橋慶喜宛書簡集──』(集英社、1997年)などがある。早稲田大学大学史資料センター編『大隈重信関係文書』(みすず書房)全11巻の編纂に携わった。

真辺将之氏

早稲田大学文学学術院准教授。専攻は、日本近現代史。主な著書として、『東京専門学校の研究──「学問の独立」の具体相と「早稲田憲法草案」』(早稲田大学出版部、2010年)などがある。早稲田大学大学史資料センター編『大隈重信関係文書』(みすず書房)第4巻から第7巻までの編纂に携わった。

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