国際学術シンポジウム「音楽×ジェンダー平等 女性奏者の創造と挑戦―ブルース、ジャズ、ポピュラー音楽まで」(2025/11/29)レポート
2026.01.19
国際文学館副館長 佐久間由梨
国際学術シンポジウム「音楽×ジェンダー平等 女性たちの創造と挑戦―ブルース、ジャズ、ポピュラー音楽まで」では、日仏4名の研究者による発表と質疑応答が行われ、およそ130名のオーディエンスが参加しました。
ジェンダー平等という考えが社会に浸透してきているとはいえ、「音楽とジェンダー」や「音楽と女性」というテーマは、まだなじみがないのではないでしょうか。シンポジウムの目的は、一般・学生を含む参加者とこのテーマを共有し、ともに考えることにありました。
シンポジウムで扱われたテーマは多岐にわたり、日本の女性音楽批評家から、アメリカの女性ブルースおよびジャズ、さらには現代日本のジャズ界に至るまで、時代、国、ジャンルを横断するものでした。しかし、すべての発表を聞いた後、共通する問題意識があることも分かりました。いずれの発表者も、ジェンダー規範や性別役割分業、そしてそれらを自明なものとして受け止めてしまう無意識の偏見が、音楽実践や評価のあり方に関与していることを指摘していました。
各発表の内容を簡単にご紹介させていただきます。
永冨真梨氏は「音楽は私たちを自由にするのか?」というタイトルで、日本社会に根付くジェンダー規範が、女性が音楽を公に語る行為を制限してきたことを指摘しました。音楽を理性的・専門的に語ることが「男性的」とされる一方、流行やスターを追う行為は「女性的=ミーハー」とみなされてきました。そうした状況のなかで、1960年代に音楽雑誌『ミュージック・ライフ』編集長も務めた星加ルミ子は、男性中心の音楽批評の世界に参入するため、あえて期待される「女性らしさ」を演じる戦略をとりました。しかし、その戦略によりジェンダー規範が再生産されてしまうという矛盾もありました。
ウェルズ恵子氏は、「女性フォークブルーズのヴァナキュラーな声の行方――アイダ・コックスとメンフィス・ミニーの歌詞」というタイトルで、20世紀初頭の黒人女性ブルース歌手であるコックスとミニーが、自作の歌詞を通して黒人女性の日常や欲望を表現するヴァナキュラーの担い手であったと語りました。しかし、1930年代以降、ブルース業界が男性化していくなかで、女性は作詞家ではなく歌い手という役割に限定されるようになりました。男性によって定式化されたブルースの歌詞には、悲劇的なブルース・ウーマンという型にはまった物語が反復され、その歌詞と結びつけられた女性ブルース歌手の人生そのものも商品化されていきました。
佐久間由梨は「包摂的なジャズ研究と実践に向けて―デューク・エリントンからテリ・リン・キャリントン」というタイトルで、1980年代以降のアメリカにおいて、ジャズ教育や研究が男性主導主義からより包摂的な方向へと転換してきたことを紹介しました。バークリー音楽大学の「ジャズとジェンダー正義のための研究所」を例に、女性を既存の男性中心の枠組みに同化させることで見かけ上の多様性を演出するというアプローチに代わって、教育、雇用、オーディション、メディアといった制度自体に内在する家父長制や無意識の偏見を問い直す動きが進んでいることを取り上げました。
マリー・ビュスカート氏は、“The Paradoxical Feminization of Japanese Jazz: Ways and Reasons”というタイトルで、日本のジャズ界を対象にした調査結果を発表しました。日本の女性奏者が直面する困難の要因として、男性中心のネットワークへの参入の難しさ、性別役割分業、「女性的である」という否定的ステレオタイプによって正当に評価されにくいことなどが挙げられました。一方で、こうした障壁にもかかわらず、近年の日本では女性ジャズ・ミュージシャンが増加しています。強固なジェンダー規範が残る社会でありながら女性奏者が増えているという日本の事例は、女性が音楽教育にアクセスできる制度の整備や、女性の雇用を可能にする制度改革によって、芸術分野におけるジェンダー平等が推進されうることを示しています。




質疑応答では、時間を超過するほど多くのオーディエンスから質問が寄せられ、活発な議論が交わされました。特に印象に残ったのは、ビュスカート氏による、音楽界におけるジェンダー不平等や差別が、必ずしも当事者に明確に自覚されていない場合があるという指摘でした。女性自身が差別や機会の不平等に気づいていない場合があること、また男性側も必ずしも悪意をもって女性の機会を奪ってきたわけではないことが示され、問題の所在が個人の意図ではなく、構造的なものだということが確認されました。
同様の点は、永冨氏の発表においても指摘されていました。問題は「男性が女性を差別している」という単純な図式にあるのではなく、むしろジェンダー規範が社会制度やシステムの中に深く組み込まれ、人々の行動や思考を無自覚のうちに規定しているところにあります。

本シンポジウムは、ジェンダー規範が埋め込まれた制度、男性中心の音楽業界、男性による表現内容のプロデュース、マーケットからの要請といった制約のなかで、それでもなお、自らの声を表現しようと試行錯誤を重ね続けてきた女性奏者や女性の書き手たちの創造実践について知る機会となりました。また、女性の参加を妨げてきた社会制度や慣習を問い直すとともに、より包摂的な芸術表現と研究・教育の場を育んでいくための方策を考える機会にもなりました。登壇者ならびに参加者の皆様に、心より御礼申し上げます。

最後に、イベント運営を力強く支えてくださっている国際文学館のスタッフの皆様、質疑応答の場面で素晴らしい同時通訳を務めてくださった詩人・翻訳家の高田怜央さん、そして企画・運営のお手伝いをしてくださった国際文学館助手の佐藤優果さんにも、深く感謝申し上げます。

永冨真梨
関西大学社会学部メディア専攻准教授。専門はアメリカ文化越境史、ポピュラー音楽研究。主な著書に『クリティカルワード―ポピュラー音楽』(共編著、フィルムアート社、2023年)、『入門ポピュラー音楽の文化史―〈戦後〉日本を読み直す』(共編著、ミネルヴァ書房、2024年)、『カントリー・ミュージックの地殻変動―多様な物語り』(責任編集、河出書房新社、2024年)など。
ウェルズ恵子
詩、歌、物語の研究者。立命館大学特別任用教授。「声」や「音」と関係が深い文学と、文学が成り立つ環境としての文化についても広く研究。専門は英米文学・比較文化。おもな著書に、『フォークソングのアメリカ』(南雲堂、2004年)、『黒人霊歌は生きている』(岩波書店、2008年)、『魂をゆさぶる歌に出会う―アメリカ黒人文化のルーツへ』(岩波ジュニア新書、2014年)、『アメリカを歌で知る』(祥伝社新書、2016年)。近刊に『おとぎ話はなぜ残酷でハッピーエンドなのか』(岩波ジュニア新書、2024年)がある。『狼女物語』(編・解説、工作舎、2009年)で第一回亀井俊介賞受賞。
マリー・ビュスカート
パンテオン・ソルボンヌ大学(パリ第一大学)社会学教授。労働、ジェンダー、芸術に関する質的調査が専門。西洋、北米、日本の芸術界における女性やノンバイナリーの人々が直面する困難、ジェンダーに基づく暴力についても研究している。主な著作に『女性ジャズミュージシャンの社会学―音楽性・女性性・周縁化』(中條千晴訳、青土社、2023年)、Making Jazz in Contemporary Japan: A Passionate Search for Self-expression(Routledge, 2024年)、Gender-Based Violence in Arts and Culture: Perspectives on Education and Work(共著、Open Book Publishers、2025年)など。
佐久間由梨
早稲田大学教育・総合科学学術院教授、国際文学館(村上春樹ライブラリー)副館長。専門はアフリカ系アメリカ人文学・文化、日米のジャズ文学、ジェンダー・フェミニズム研究。主な論考に「ブラック・ライヴズ・マター時代のジャズ―クリスチャン・スコット・アトゥンデ・アジュアとテリ・リン・キャリントンの即興実践」(『現代思想 10月臨時増刊号 Black Lives Matter』 2020年)、「ジャズとアフリカ系アメリカ人文学」(『文學界』11月号、2022年)など。
【開催概要】
・開催日時:2025年11月29日(土)14時30分~16時40分
・会場:早稲田大学早稲田キャンパス3号館401教室
・主催:早稲田大学国際文学館
※募集時の案内はこちら
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