【Translators Talk】海外に広がる日本文学 その2 ブラジルの場合(2025/11/12)レポート
2025.12.24
早稲田大学大学院文学研究科博士課程 石川亮太
今回のイベントは、「【Translators Talk】海外に広がる日本文学 その2 ブラジルの場合」と銘打たれ、国際文学館顧問・柴田元幸さんを聞き手に、村田沙耶香や村上春樹といった日本の現代作家の作品をポルトガル語に翻訳されており、国際文学館「翻訳者レジデンシー」で来日中のヒタ・コールさんをゲストにお迎えしての開催となりました。
イベントの前半は、ヒタ・コールさんによる、ブラジルにおける日本文学の受容の歴史についてのプレゼンテーション、後半は翻訳自体にフォーカスを当てたお話と質疑応答という構成で進行しました。
ブラジルにおける日本文学の受容の歴史を紐解くと、1940年代の徳永直らの作品の他言語を介した翻訳から始まるそうです。そして、1950年代、特に60年代からは日系人が作品を選び、翻訳し、出版するというプロセスを経た翻訳作品が見られるようになり、それらはビジネスとしての側面よりも、日本文学を読者に紹介するという側面が強かったというお話もありました。
また、1960年代は大手の出版社も日本文学に目を向け始めた時期で、その理由として、東京オリンピックや経済成長などで日本自体に注目が集まっていたという点のほかに、川端康成のノーベル文学賞受賞、アメリカにおける三島由紀夫の人気も影響したという見方があるそうです。しかし、日本文学に注目が集まったその一方で、この年代の翻訳は、英語、フランス語、イタリア語からの重訳となっていたそうで、当時の翻訳者たちも質の高い翻訳を提供することを誇りとしていたものの、当時の質の高い翻訳の基準に関しては、他言語を介しての重訳でも問題がないとされており、日本語に精通している翻訳者よりも知名度のある翻訳者が優先され、そういった知名度のある翻訳者は必ずしも日本文化に精通していたわけではなかったことから、西洋の文化や思想に基づいた解釈が見られたそうです。
そのようなブラジルにおける日本文学の受容のターニングポイントとなった作品は、吉川英治の『宮本武蔵』を翻訳した、レイコ・ゴトウダ訳のMUSASHIであったとヒタ・コールさんは言います。このMUSASHIの出版は、出版社からの依頼ではなく、レイコ・ゴトウダさんが私的に翻訳し、のちに出版社に持ち込んで出版に至ったという異色の経緯がありながらも、結果として、ベストセラーになり多くの人に読まれたことで、他の出版社も日本文学に目を向けることに繋がったそうです。そして、質の高い翻訳の基準にも変化が訪れることになり、他言語を介した重訳は好ましくなく、日本語からの直接の翻訳を良しとする考え方が一般的になり、重訳で出版されていた翻訳作品が日本語からの直接の翻訳で新たに出版されるという動きも見られるようになっていったとのことでした。

イベント後半では、翻訳という作業そのものに焦点が当たったお話が中心となり、ヒタ・コールさんが翻訳された村田沙耶香の『コンビニ人間』のタイトルの決め方が話題にあがりました。英語ではConvenience Store Womanとされていますが、ヒタ・コールさんは英語でいうところの “Dear Conveni” にあたるQuerida konbiniというタイトルにしたそうで、“Convenience Store Woman” にあたるポルトガル語にしなかったのは、響きがあまり良くないものになってしまうという理由のほかに、物語の内容を考慮したときにタイトルに「女性」という言葉を使い、主人公を「女性」と言ってしまうことは主人公に悪いという気持ちがとても強かったという理由があるとのことでした。
また、ポルトガル語には名詞に男性系、女性系があることから、ポルトガル語に存在しない「おにぎり」のような言葉の性はどのように決めたのか、という質問には、ポルトガル語におけるライスケーキを表す語が男性系であるということ、そして、oの音で始まることから「おにぎり」は男性系としたというヒタ・コールさんからの回答があり、日本語話者の私たちからは見えづらい、名詞の性という細部に至るまで考え抜かれたうえで為される翻訳という作業の途方もなさが垣間見える場面となりました。

そして、終盤には、柴田先生の言葉に「翻訳とは誤解を通じて理解すること」とありますがどのように思われますか、という質問への回答があり、柴田先生からは「そんなこと言った覚えは……」という言葉こそあったものの、知らないものを理解しようとしたら誤解というものはあるという柴田先生のお話から、翻訳というものへの考え方、完璧な翻訳は存在しないなかで、その作品では何が大事なのか考え、それをどのように翻訳先の言語で再現するのかを考えるというお話がヒタ・コールさんからあり、その後もイベントの終了時刻が訪れるまでお二人で質問に答えていただき、終わりが惜しまれるなか、この度のイベントは幕を下ろしました。
ヒタ・コールさんが完璧な翻訳というものは存在しないというお話をされるなかでおっしゃった、「日本語とポルトガル語はもともと違うもの」という言葉がとても印象的で、対応する言葉もなかなか無い言語間において、完璧な翻訳など存在しないなかでどこに重点を置き、それをどのように翻訳先の言葉で再現するのか、この先あらゆる翻訳作品に触れる際にその見方が変わるような素晴らしいTranslators Talkでした。

ヒタ・コール
1984年ブラジル・サンパウロ生まれ。現在、日葡翻訳者として活動中。サンパウロ大学卒業、東京大学大学院修士課程修了(比較文学・比較文化)。村田沙耶香、小川洋子、村上春樹、有川浩、津島佑子らの作品など多数の日本文学作品をポルトガル語に翻訳。村上春樹の作品『風の歌を聴け・1973年のピンボール』(Alfaguara、2016年)の翻訳が2017年のJabuti賞翻訳部門を受賞した。
柴田 元幸
米文学者、早稲田大学特命教授、国際文学館顧問、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、スチュアート・ダイベックなどアメリカ現代作家を中心に翻訳多数。文芸誌『MONKEY』日本語版責任編集、英語版編集。
【開催概要】
・開催日時:2025年11月12日(水)18時30分~20時
・会場:早稲田大学国際文学館 地下1階
・主催:早稲田大学国際文学館
※募集時の案内はこちら
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