

言葉の響きを通じて語られる物語は翻訳可能なのか。小野正嗣著「夜よりも大きい」を英訳したデビッド・ボイドさんに聞く――
2022.05.19
- デビッド・ボイド
- 小野正嗣
聞き手:辛島デイヴィッド
邦訳:平塚隼介
2015年に芥川賞を受賞した『九年前の祈り』など、小野正嗣は多くの作品で故郷の海辺の集落をモデルにしている。それらと対照的な、黒い森、運河、野原、建設現場などを舞台にした短編集『夜よりも大きい』は、発表誌も時期もさまざまだった各作品を、無題にして収録している。初出時に「まよなかのこどもたち」と題された短編をめぐり、作者とのコミュニケーションなどを含めて、他の回では聞き手を務めているデビッド・ボイドさんに聞いてみた。
Q.「夜よりも大きい」に惹かれたきっかけを教えてください。また翻訳はどのような形で進めたのですか?
最初に関心を持ったのは、小野さんからそれが翻訳不可能な小説かもしれないと聞いたからです。きっと忠告してくれていたのでしょうが、むしろ火がついてしまった。実際に一読してみてその意味がよくわかりました。「夜よりも大きい」は言葉の響きを通じて語られる物語ですが、音を翻訳に残すのは簡単なことではない。だからこそ惹かれました。英語にするとこの音がどうなるのか知りたかった。
翻訳の進め方はふだんとはすこし違いました。何と言っても小野さん自ら訳に目を通してくれることになったことが大きかった。とても有難い話でした。作家にそこまでしてもらえることはめったにありませんから。一度目は直接会い、ごく初期の訳稿を二人で読んでいきました。二度目はオンライン上でやり取りしました。Googleドキュメントで文書を共有し、双方がテクストと言葉の響きに満足できるところまで仕上げていった。その点では共訳と言ってもいいかもしれません。思いついたことがあれば小野さんの意見を求められた。翻訳というのはある意味ではつねに作者と作品を共有する営みですが、このときの経験は格別で、とても楽しみながら訳すことができました。
Q.「夜よりも大きい」は一人称で語られますが、「わたし」という語は第二段落まで出てきません。しかし英訳では第一段落の冒頭から出てきます。I を用い始めるタイミングはどう考えて決めたのでしょう?
こういうことは日英翻訳ではよくありますね。だからこそこの訳のように処理しました。日本語の原文で「わたし」が明示されていないのはまったく不自然ではなく、読んでいてもいっさい引っかかりを覚えません。しかし英語ではそうはいかない。I を避けるのは並大抵のことではありません。根本的に言語の仕組みがそうなっているので、避けようとすればそれ以外のすべてをいじくらないといけない。しかもなんとかなくせたとしても、今度はI がないことが悪目立ちしてしまう。原文で目立っていない特徴を翻訳で再現する必要はないでしょう。
自分にとって第一段落で「わたし」がないこと以上に印象的だったのは、むしろ主語が次々に変わることでした。night(夜)からsky(空)へ、そしてcries(泣く声)へと語り手の焦点が移っていく。この作品を形作るうえではこちらの方が重要に思えました。くるくる変わる主語はI の存在感を少しは追いやってくれてもいます。さらにそれらを指す英単語――I、night、sky、cries――が同じ音(「アイ」)を含んでいたのは、幸運でした。
Q.小野さんの文章は、たとえば「わたしは猿を追い猿はわたしから逃げ、猿はわたしを追いわたしは猿から逃げて」(日本版『モンキービジネス』vol.9、2010年春号)のように一文が長いことで有名です。しかしこの作品の最初の段落は引き締まった短文が続き、そのほとんどが「~た」で終わっている。ここのリズムはどのような方針で訳したのですか?
リズムについては初稿に取りかかった段階からじっくり検討しました。中盤、他の部分に手を入れていたらそれまでのリズムがやや崩れてきてしまったので、最後の段階でまた整え直さないといけませんでした。言葉の響きをなるべく壊さないように気を配った。第一段落では十三ある文のうち十二が「~た」で終わっていますが、この頻度でくり返しを再現しようとはしませんでした。それでは同じ効果にならないでしょうから。英訳では六回wasを用いていますが、そのくらいが適量だと思いました。
Q.それ以外の反復に対してはどのように取り組みましたか?
反復は効果的なときとそうでないときがあります。テクストに反復を見つけたらまずそれが原文でどのような働きをしているか、それが訳文でも同様の効果を得られるかを考えます。「夜よりも大きい」には様々な種類の反復がある。さきほど、第一段落で十二回くり返される「~た」を英語では再現しにくいという話をしましたが、他にも一文をまるごと(またはほぼ同じ形で)くり返している箇所もある。冒頭の二段落からしてもWhen night came(「真夜中になると」)と出だしが一緒で、第三段落もWhen night is close(「真夜中近くになると」)とわずかに違うだけ。反復はいたるところにあり、それが物語をまとめ上げている。また語り手の心理とも密接に結びついています。その点は英訳でも伝えないといけない。反復が生む効果は作品ごとに違うので、それを見極めたうえで反復をなくしたり減らしたりするのかを考えます。編集者にそう勧められることもありますけどね。
Q.「記憶そのものは決してなくなることはなく」と語り手は言っていますが、どういう意味だと思いますか?
そうですね。この作品では記憶が重要な役割を担っていますが、この単語(memory/記憶)が現れるのはこの場面だけです。そしてこのあと語り手がそこに立ち戻ることもない。これが全て。正直なところ、自分でもこの一文の意味を捉えきったつもりでいるわけではないのです。それを考えてみなかったわけではありません。もちろん考えました。しかし翻訳においてはこのような文を訳すときに解釈に頼りすぎないことも大切だと思っています。たしかに、解釈することは翻訳にかならずついてまわる重要な作業ですが、原文にある他の読み方の可能性を潰してしまうことは何としても避けたい。小野さんと一緒に訳稿を読んだことで私の作品全体の解釈は確実に深まりましたが、最終的な訳をその解釈に合わせようとはしませんでした。原文と同じくらい色々な可能性を含んだ訳文にすることが大事でした。
デビッド・ボイド
ノースカロライナ大学シャーロット校助教授。小山田浩子や川上未映子の作品をはじめ、日本文学の英訳多数。古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート 』の英訳(『Slow Boat』)で日米友好基金文学翻訳賞。
辛島デイヴィッド
早稲田大学国際学術院准教授。訳書に『Snakes and Earrings』(金原ひとみ著『蛇にピアス』)、『Triangle』(松浦寿輝著『巴』)など。近著に『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』、『文芸ピープル:「好き」を仕事にする人々』。
平塚隼介
翻訳業。訳書にジェイ・ルービン『日々の光』(共訳)、デイヴィッド・ダムロッシュ『世界文学とは何か?』(共訳)、グスタフ・ヴァービーク『さかさま世界』。戯曲翻訳に村上春樹原作、フランク・ギャラティ脚本『海辺のカフカ』、『神の子どもたちはみな踊る』。
参考文献
・小野正嗣『夜よりも大きい』リトルモア、2010年
Related
-
子供らしさと大人らしさの混在を訳す。今村夏子著『むらさきのスカートの女』を英訳したルーシー・ノースさんに聞く――
2022.02.22
- ルーシー・ノース
- 今村夏子
-
作家から「自由」を受け取り翻訳する。松田青子著『おばちゃんたちのいるところ』を英訳したポリー・バートンさんに聞く――
2022.01.21
- ポリー・バートン
- 松田青子
-
原テキストの視覚的な特徴を翻訳でも表現する。福永信著「この世の、ほとんどすべてのことを」を英訳したマイケル・エメリックさんに聞く――
2021.12.10
- マイケル・エメリック
- 福永信
-
色彩豊かなご近所物語? 川上弘美著『このあたりの人たち』を英訳したテッド・グーセンさんに聞く――
2021.10.22
- テッド・グーセン
- 川上弘美
-
エキゾチシズムに陥らず、腑に落ちる翻訳を目指すための心得。多和田葉子著『献灯使』を英訳したマーガレット満谷さんに聞く――
2021.10.15
- マーガレット満谷
- 多和田葉子
-
美しい「夢」を見ていただけなのだろうか。川上未映子著「愛の夢とか」を英訳した由尾瞳さんに聞く――
2021.09.03
- 川上未映子
- 由尾瞳