作家から「自由」を受け取り翻訳する。松田青子著『おばちゃんたちのいるところ』を英訳したポリー・バートンさんに聞く<span class=――"> 作家から「自由」を受け取り翻訳する。松田青子著『おばちゃんたちのいるところ』を英訳したポリー・バートンさんに聞く<span class=――">

作家から「自由」を受け取り翻訳する。松田青子著『おばちゃんたちのいるところ』を英訳したポリー・バートンさんに聞く――

聞き手:デビッド・ボイド&辛島デイヴィッド
邦訳:小澤身和子

お馴染みの怪談などを現代に蘇らせる松田青子の連作短編集『おばちゃんたちのいるところ』の英訳『Where The Wild Ladies Are』が世界幻想文学大賞の2021年短編集部門を受賞した。英訳を手掛けたポリー・バートンさんに、「会話文」や「ユーモア」や「擬態語」などの訳し方について聞いてみた。

Q. 翻訳される時、会話文に対してどのようなアプローチをされていますか? 松田青子さんが書かれる会話——特に、遊び心やユーモアのある台詞——を訳す際に気をつけていらっしゃることはありますか。

会話文を翻訳する上で一番重要なのは、実際の会話のように読めることだと思っています。そのために、まず日本語を吸い込んでから、一旦それを忘れた状態で英語で吐き出すということをよくやっています。あたかも自分がその台詞を言っている、もしくは書いているかのようにです。だから私の翻訳は「すごくイギリス的」と言われることが多いのだと思いますね。青子さんの書く台詞はとても面白いのですが、そのユーモアは単に雰囲気や登場人物の人格形成だけでなく、人間らしさや共感にも深く結びついているように思います。だから、最後に付け足せばいいだけの要素ではないんですね。ユーモアによって会話が進み、他の要素がそれについていくようなところがある。とりわけ登場人物同士の関係性が見えてくるようになるんですよ。

Q. 「ひなちゃん」では、二つの全く違う会話のスタイルが使われていて、一つは江戸時代を彷彿とさせます。簡単ではなかったと思いますが、どのように訳し分けられたのでしょうか? 古臭さや堅苦しさを表現するための工夫はされましたか? 他にも何かあれば教えて下さい。

そうですね、語り手が自分とは全く異なる背景を持つ人物(幽霊)に出会うという場面で、はじめ彼女はありきたりに恐がったり驚いたりしますが、その反応は次第にある種の共感へと変わっていきます(それから二人の間に愛が芽生えていくわけです)。読者の反応もまた同じような展開を辿っていくというのが重要なのですが、同時に、ひなちゃんの江戸時代風の言葉使いと、語り手のすごくカジュアルな言葉の対比がとても面白い。私はこの対比を明確に再現することに重きを置きながら、どう翻訳するかを考えました。語り手は短い文章や平易な言葉を使い、疑問符や感嘆符を多用するというように、全体的に感情に満ちていますが、それに対してひなちゃんの言葉は古風で格式張っている。それを示すために、長文や大げさな構文を用いたり、すごく詩的な言葉を選んだり、全体的に上品な雰囲気を出すようにしたりして工夫しました。

Q. ひなちゃんの台詞を翻訳する際に、英語で書かれた作品の登場人物をモデルとして意識されたりしましたか?

これまでは意識したことはなかったのですが、今考えてみると、 頭の片隅でジェーン・オースティンが見え隠れしていたような気がします。少なくとも、彼女の影響はあったと思いますね。江戸時代っぽい英語は、なんとなくオースティンの言葉使い——形式張っていて、「時代を特定しない古めかしさ」が感じられるけれど、意味は完全に理解できるし、感情に共鳴することもできるもの——がベースになっているように思います。

Q. 語り手についてはどうでしょうか?  例えば、「犯罪だろ」という語り手の言葉の翻訳に着目してみると、ここでの語り手のボイスとはどのようなものでしょう? なぜ「Fuck!」と訳されたのでしょうか?

登場人物のこうした内的独白は、青子さんが非常にうまく書いていらっしゃることのひとつですよね。明らかに心の中でなされるものですが、同時にとても口語的でもあります。例えば、車の中でひとりでいる時に発する独り言みたいな感じでしょうか。「犯罪だろ」という言葉から、私はなまなましくて鋭い憤りの刃を想像しました。男性的な言葉使いですが、どこかすごく親しみやすいところが感じられる。言ってしまえば、語り手の共感する心がこうした怒りの湯気となって噴出されているわけです。「犯罪だろ」は、「I mean, he should have been locked up! (そんな男は牢屋にでもぶち込まれてしまえ!)」と意訳してみましたが、どこかしっくりこなくて‥‥‥そこで思いついたのが「Fuck!」だったんです。湯気を吹き出させるための何かが必要だと思っていて、それが 「Fuck!」だった。日英の翻訳者の中には、罵り言葉を使うことに疑問を感じる方もいると思いますが、私はそうではないですし、少なくとも青子さんの作品を翻訳する時には全く問題にしていません。彼女が作家として素晴らしいのは、彼女にとって現代のこの瞬間に周りで起きていることの中に言語的に立ち入れない領域はないということです。その自由を私が受け取って英語に置き換えるとなると、必然的に罵ることになるんですよね。

Q. 台詞を翻訳すると漫画っぽくなってしまうこともあって、それは翻訳者としてできれば避けたいと思うこともあります。でも場合によっては、漫画っぽさがすごくうまく生かされていることもある。その点において、「ひなちゃん」の翻訳はどうでしたか?

そのバランスについては、この作品を翻訳する上でたくさん考えましたし、編集者たちと一緒に詰めてもいきました。だって、原作が漫画みたいなんですから——奇妙でおかしな状況が描かれていますよね。物語は漫画っぽさを含んでいて、それによってユーモアが生まれています。例えばこの場面で起きる衝突を表現するためには、漫画的な要素が必要だと思います。ただバカバカしいだけでは、読者は感情移入できません。ですからユーモラスになるように、”It would be a great honor if you would give me serve you, as your chambermaid.(あなたの客室係として仕えさせていただければ光栄です)”、”My chambermaid…?(私の客室係?) “と訳しました。でも例えば、語り手が目の前の人物が幽霊であることに気づいた場面では、”It’s a…gh-gh-ghost?!? (ゆ、ゆ、ゆ、幽霊!?)”と面白さを全面的に出すのは避けました。そうしてしまうと、あまりにもパロディー色が強くなってしまうし、最終的には読者が登場人物と自分を重ねづらくなってしまうように思えたからです。

Q. 語り手の「ファーストコンタクト」という言葉をどう訳すかはどのようにして決めたのですか? なぜ直訳を避けたのでしょう? あまりにも異質な感じ(SF的な表現でもあります)がしたからですか?

これはカタカナ英語の言い回しが日本語でうまく機能しているケースで、まさにカタカナ英語ならではの表現ですよね。面白いし、SFの要素も含んでいますが、一方で優しさや温かさも示されています。英語の “first contact”は、全然ユーモラスな言葉ではありません。私にとっては、非常に冷たく飾り気のない言葉で、偉大なる他者へ近づいていく感覚を生み出しているように感じられます。それこそまさに、この物語が対抗しているもののように思えるんです。「ひなちゃん」には、他者が象徴するものの先を見ること、そして生きている時に他者化され、死んだ後にも他者化されたものと親密な関係を築くことについてが書かれている。ですから、冷淡にならないようにするのはとても重要だと思いました。随分悩んだのですが、最終的に“those first hours(あの最初の数時間)”という訳にしました。大げさで感傷的な表現なのですが、文章としてはとてもシンプルです。

Q. “Shigemi-chan is just fine.(「繁美ちゃんでいいですよ」)” というやりとりが行われる間にはさまざまなことが起きますよね。この翻訳にたどり着くまでの過程についてお伺いします。どのようにして“-chan”という表現を使ってもいいと思えるようになったのでしょう?

まず、この物語の中では、「ちゃん」という表現が大きな機能を果たしていると思いました。ひなちゃんが提案する古風な呼び名「繁美殿」とは対照的で、現代性を示す呼び方ですよね。それと同時に、二人が対等で遠慮のない関係になったことを示してもいる。最初は、“-chan”という言い回しに慣れていない英語の読者には、読みづらくなってしまわないかとか、どんな影響を及ぼすだろうと考えると心配でした。でもそのうちに、この台詞は現代の読者を念頭に置いていることに気づいたんです。つまり、“X is just fine(Xでいいですよ)”という表現によって、(現代人である)繁美の目には、Xがよりざっくばらんで親密に映っていることが読者に伝わるということですね。

Q. 最後に、「ひなちゃん」の英訳では「ドロドロ」や「ボロボロ」など、オノマトペがどのように翻訳されているか教えて下さい。

そうですね。日本語の擬態語については、特にこれといった方針を持って訳しているわけではなく、ケースバイケースで応じています。<日本語の擬態語+動詞>の場合、私は一つの英語の動詞や副詞や形容詞を使って表すことが多いのですが、どんな言葉であっても、原文で読んだ時に受ける直感を生かした翻訳をするようにしていますし、可能であれば、オノマトペの要素も少し加味します。「ドロドロボロボロの着物」は、“tattered, muddied kimono”と訳しましたが、これは反復と重複を少し再現できたように思います。「怒りでぶるぶると震えた」は、“shook with anger”にしました。確かにシンプルですが、英語になってもすごく直感的で強い。まさにこの表現だと思えたんです。

ポリー・バートン
作家、翻訳家。ロンドン出身。ケンブリッジ大学で哲学を、ロンドン大学東洋アフリカ学院の大学院で翻訳を学ぶ。第1回JLPP翻訳コンクールで最優秀賞を受賞したほか、PEN/Heim Translation Fund Grant、Kyoko Selden Memorial Translation Prizeを受賞。著書に『Fifty Sounds』。

デビッド・ボイド
ノースカロライナ大学シャーロット校助教授。小山田浩子や川上未映子の作品をはじめ、日本文学の英訳多数。古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート 』の英訳(『Slow Boat』)で日米友好基金文学翻訳賞。

辛島デイヴィッド
早稲田大学国際学術院准教授。訳書に『Snakes and Earrings』(金原ひとみ著『蛇にピアス』)、『Triangle』(松浦寿輝著『巴』)など。近著に『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』、『文芸ピープル:「好き」を仕事にする人々』。

小澤身和子
東京大学大学院人文社会系研究科修士号取得、博士課程満期修了。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン修士号取得。編集者を経て、取材コーディネーター、通訳、及び翻訳家に。訳書にリン・ディン『アメリカ死にかけ物語』、リン・エンライト『これからのヴァギナの話をしよう』、ウォルター・テヴィス『クイーンズ・ギャンビット』、ジェニー・ザン『サワー・ハート』。共訳にカルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』。

参考文献
・松田青子『おばちゃんたちのいるところ ――Where The Wild Ladies Are』中央公論新社、2016年(中公文庫、2019年)

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