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美しい「夢」を見ていただけなのだろうか。川上未映子著「愛の夢とか」を英訳した由尾瞳さんに聞く――

聞き手:デビッド・ボイド&辛島デイヴィッド
邦訳:小澤身和子

川上未映子は、いま世界で最も注目されている小説家のひとり。芥川賞受賞作の『乳と卵』を拡張した『夏物語』の英訳(『Breasts and Eggs』サム・ベット、デビッド・ボイド訳)が2020年に刊行されると、『ニューヨーク・タイムズ』紙や『タイム』誌などでその年のお薦め本に選出された。2011年以降、定期的に川上未映子の短編、エッセイ、詩の英訳を『monkey business』(英語版)などで発表してきた由尾瞳さんに、「流れるような文体の訳し方」、「音楽と文学の関係性」、「編集者との共同作業」などについて聞いてみた。

Q. 「愛の夢とか」には多様な文体が使われています。翻訳者として、どのようなアプローチをされたのでしょう? 特に訳しにくい部分というものはありましたか?

川上未映子さんの作品の特徴のひとつに、意識の流れ(stream-of-consciousness)を使ったスタイルがあります。「愛の夢とか」は、40代の女性が東京郊外で家庭や代わり映えのしない日々の生活を語る一人称の物語です。語り手の内的独白は、周りの人々との会話によってアクセントが付けられていますが、そうした会話は、行から行へと流れていく語り手の思考の中に、改行や引用符なしに埋め込まれています。流れるような長文は、読者にとって心地よくもあり、刺激的でもある独特のリズムと物語の流れを生み出していると言えるでしょう。

私は翻訳する際に、作家の文体をできる限りそのまま訳し、筆癖などの特徴を残す努力をするようにしています。ただ、編集者(特に日本語の原文を読まない人)は、できるだけ違和感のない平易な文章にしたいと考えることが多いです。ですから、最終的な翻訳のかたちは、どれだけ原文のスタイルやトーンを維持できるか、訳文として読みやすいか、などを考慮した上での交渉によって決まることがよくありますね。

「愛の夢とか」の台詞については、原文に忠実に訳し、引用符を付け足さないという決断をしましたが、話し手が変わることを明示するために改行を入れるという編集者の案を受け入れました。原文の日本語では、切れ目のない語りであっても、話し方に性別が表れていたり、敬語が使い分けられたりしていることで、誰の台詞なのかが簡単に区別できる場合が多いんです。夫が話しているのか、妻が話しているのか、語り手が知人に話しているのか、店員に話しているのか、なんていうことは読めばわかる。でも英語だとそれがわかりにくくなるので、改行はとても役立ちます。川上さん自身も、語り手と隣人である老女との会話など、ある場面では改行を施しているので、翻訳する際に改行を付け加えたとしても、原作の姿勢とはそこまでかけ離れないのではないかと考えました。

この作品を翻訳する上でもう一つ難しかったのは、ユーモアです。この話にはコミカルな場面がたくさん出てきます。例えば、語り手が初めて隣人の家を訪れる場面がそうです。持参した高価なお土産であるマカロンについての語り手の内的独白は、優雅な郊外での生活の裏にある皮肉や演技性を見事に表現しています。そして、女性的な言葉を使わない語り手の頭の中の率直な声と、高価で美しいお菓子を食べながら女性たちが交わす上品で女性的な言葉との間には、コミカルなギャップが見られます。
また、二人の女性が明らかに西洋的な名前である「テリー」と「ビアンカ」と呼び合うようになる場面も、笑いを誘いますよね。日本のものではない名前の不条理さが語りににじみ出ていて、思わず声に出して笑ってしまいます。この場面のおかしさは翻訳では伝わらないのではないかと心配でしたが、英語の読者の方にもやはり面白いと感じていただけたようです。

Q. マカロンやピアノ、テリーとビアンカという名前など、この物語の中には様々な形で「外国らしさ」を意識させるものが登場します。こうした要素を翻訳する際は、どのようなことが課題となりましたか?

そうですね、確かにこの作品には、日本文化の文脈で「外国らしさ」を示すものが意識的に使われているので、翻訳で失われかねない要素があると言えます。外国のものを表したり言及したりするカタカナ言葉は、中流階級の豊かな生活のうわべを彩る重要な役割を果たしていますが、英語に翻訳されると、その「外国らしさ」が持つインパクトは多少目立たなくなってしまうと思います。

私にとって、マカロンやピアノ、そして「テリー」や「ビアンカ」という名前は、大島弓子や萩尾望都のような、西洋的な設定を用いて描くことで知られる1970年代の少女漫画に対するある種のノスタルジーを喚起させるものです。こうした少女漫画の世界では、大きな目と長い巻毛をした登場人物たちが特徴的で、背景には洋風のお屋敷やバラの花が描かれていて、いかにも西洋的な雰囲気を醸し出しています。実際、萩尾望都は「ビアンカ」というタイトルの短編作品を描いていて、私が「愛の夢とか」を読んだ時にはその作品のことが頭に浮かびました。ビアンカという名前は、文字通り「白」という意味ですが、シェイクスピアの戯曲『じゃじゃ馬ならし』の有名な登場人物の名前でもあります。ビアンカは姉のキャタリーナ(じゃじゃ馬本人)とは対照的に、従順で優しい性格として描かれます。つまり、純粋で無垢なイメージは文化的にも共鳴するものであり、名前にも受け継がれているということです。

「愛の夢とか」で、年齢差があるにもかかわらず二人の女性がつながりを感じるのは、このような文化的背景を共有しているところから生じているのかもしれません。二人とも西洋的な名前を名乗ることで進んでロールプレイに没頭し、ピアノを囲みながら自分たちだけのファンタジーの世界を作り出していく。彼女たちのやりとりは、まるで舞台上で成されているかのようにパフォーマティブ(演劇的)ですが、それによって二人は平凡な日常生活から逃避することができるのです。

Q.「愛の夢とか」ははじめ、柴田元幸さんとテッド・グーセンさんが編集した雑誌『monkey business』に掲載され、その後、ジェイ・ルービンさんが編集したアンソロジーの『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』に収録されました。この二回の編集作業はどのように行われたのですか? ルービンさんと一緒にこの物語にもう一度向き合うことになって、いかがでしたか?

柴田元幸さん、テッド・グーセンさん、そして後にジェイ・ルービンさんと一緒にお仕事ができたことを嬉しく思っています。皆さんは非常に優れた翻訳者ですが、それと同時に素晴らしい編集者でもあります。

『monkey business』(現在は『MONKEY』として刊行)の場合、柴田さんがまず翻訳に目を通し、日本語の文意が英語に正確に伝わっているかどうかを丁寧に確認します。いつも何色ものペンで手書きしたメモをスキャンして送ってくださるのですが、原稿に書かれた柴田さんの特徴ある筆跡を見るのが好きですね。まるでそれ自体がアート作品みたいなんです。柴田さんと何度かやり取りした後、原稿はグーセンさんの元へ渡ります。グーセンさんは主に英語の流れを重視して質問やコメントをくださり、必要に応じて日本語の原文に立ち返って話し合います。2015年からはメグ・テイラーさんが編集チームに加わったので、彼女とも数回やり取りするようになりました。このような一連の作業を経て、翻訳原稿は出版社の編集者に送られ、最終チェックが行われます。

私は英語版『monkey business』のために川上未映子さんの短編や散文詩を全部で6編翻訳しましたが、毎号読んでいらっしゃるジェイ・ルービンさんが『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短篇29』を編集する時に、「愛の夢とか」を選んでくださいました。川上さんの作品の中でも特に好きな短編なので、本当に嬉しかったです。

ルービンさんと編集を進める上では、こんな面白いことがありました。何度かやりとりを繰り返すうちに、突然、お互いに違うテキストを扱っているということに気づいたんです。私は、日本語版『monkey business』に掲載されたオリジナル版を使って翻訳したのですが、ルービンさんは、短編集『愛の夢とか』に収録された版を参照されていて……。一番大きな違いは、オリジナル版では隣人のテリーは50〜60代となっていますが、単行本では川上さんが、テリーを60〜70代に変更しているという点です。私たちは結局、単行本を底本とすることにしたのですが、食い違いに気づいた時は二人で大笑いしてしまいました。

Q. 由尾さんは「 一発で決めてみせるから」というセリフを “knock it out of the park”と訳されていますが、なぜこの訳にしようと思われたのでしょうか? このセリフは、テリーの言葉としては不自然に聞こえないといけないわけですが、なぜ最終的にこの訳に決められたのでしょう?

このことについても、面白い話があるんですよ。英語版『monkey business』に掲載された私の翻訳はもっとニュートラルで、その部分は“I’ll make it in one go.”となっています。これはどちらかというと直訳に近いですね。でも、ペンギン・ブックス版のために、ルービンさんが野球にちなんだ “knock it out of the park”という表現を提案してくれて。これはなかなかうまい表現だと思ったので、変更を受け入れました。ですが、ペンギン・ブックスの編集者がさらに、バスケットボールにちなんだ“It’ll be a slam dunk.”という表現に変更してはどうかという案を出してきたんです。この方がイギリスの読者には親しみやすいと思ったようですね。でも私はテリーが「スラムダンク」と言うところはどうしても想像できなかったので、必死で反対しました(笑)。野球の言い回しはユーモアを誘いますが、それほど違和感のある表現でもないので、このシーンにぴったりだと思います。

他にも、建物の階をどう訳すかなど、アメリカとイギリスの訳し方の違いがありました。日本やアメリカでは「二階」と呼ぶものが、イギリスでは「一階」となるので、ある場面においては、階数を特定せずに“my kitchen window upstairs”(上階のキッチンの窓)と意訳しています。

また、短編のタイトルを 「Dream」と単数形にするか 「Dreams」と複数形にするかについても、ルービンさんと何度もメールでやり取りを繰り返して興味深い議論を交わしました。このタイトルは、リストの有名なピアノ曲「愛の夢」から取られています。でもテリーが演奏しているのは、リストの3つの「愛の夢」のうち「第三番」だけです。日本語だと複数形と単数形の区別がないので、「夢」は「Dream」でも「Dreams」でもいいことになる。でも結局、実際のピアノ曲は単数形なのに、タイトルを複数形にしたのは、「Dreams」の方が平凡な日常生活から逃れたいと願う女性のさまざまな憧れや願望を、より重層的に表していると感じたからです。

Q. 大学の授業で「愛の夢とか」を扱う時、学生からはどんな反応がありますか? 彼らはどのように作品を感じ取っているのでしょうか?

私は大学で「英訳で読む現代日本文学」という演習科目を教えていますが、この短編は数年前から扱っています。この授業では、毎週、一人の作家の作品を一、二編、日本語の原文と英語の翻訳文で読み比べ、物語そのものについて議論したり、原文と訳文を比較して何か面白い問題点がないかを考えたり、様々な観点から英語でディスカッションします。翻訳に関するエッセイから始めて、村上春樹、小川洋子、川上弘美、川上未映子、多和田葉子など、世界的に知られる作家たちの作品を教えています。

学生たちは、概して川上未映子さんのこの短編をとても気に入っていますね。物語の持つ柔らかくて、穏やかで、夢見心地なトーンと、読者を引き込むような語りが好きなのでしょう。また、この物語を批評的な視点から、特にジェンダーというレンズを通して分析すると面白いです。彼らはいつもこの作品の新たな解釈を思いつくのですが、「テリー」と「ビアンカ」の出会いはすべて夢なのではないかという解釈が多いです。西洋人の名前を使うこと、二人がお互いのことを何も知らないこと、最後に拍手とキスをすること、こうしたすべては、この二人の女性の出会いという非現実性を高める演劇性とパフォーマティビティを示しているという解釈です。

私はまた、この物語を東日本大震災と原発事故の文脈で読むことも教えています。この作品には、花やマカロン、ピアノ音楽といった美しく「女性的」とも言えるファンタジーの世界と、トラウマや記憶の影響を受けた暗い現実世界という二つの異なる領域が描かれています。実際に物語の設定は、東日本大震災の直後とされていますが、震災は冒頭で少し触れられただけで、すでに過去のものであるかのように忘れ去られていきます。しかし、震災を経験したことによって、主婦であるという惰性、夫との関係、家庭の外でのアイデンティティの欠如など、主人公の女性の中に潜んでいた不安がすべて表面化されるのです。

このように、「愛の夢とか」は多角的に解釈することが可能ですが、何よりも川上さんの独特な語り口と美しい表現が、学生たちの心を捉えてやまないように思います。授業の中で一番好きな作品だったと感想をもらうことも多いですね。

Q. 作中の「このあいだはダイニングテーブルにむかってとりあえず、何って字を書いてみた。まったく意味のない時間だったけど、それはそれで発見したこともあって、よくよくみると何って字はわたしの顔にそっくりなのだ」という一節は、“I sat down at the dining table and wrote the Chinese character for what. It felt like a totally useless exercise, until I discovered that the character for what looks exactly like my face when you examine it closely.”と訳されています。この部分の翻訳について教えていただけますか。

ここは難しかったですね。英語で同様の表現に置き換えることも考えたのですが、最終的には語り手が漢字を書いていることを説明するという方法を取りました。その漢字は語り手が自分の人生に感じている空虚さ、つまり「穴」を意味しているようにも解釈できるので、「何」という漢字の形(口をあんぐりと開いた顔?)を説明することもできました。でもそうすると、テキストに介入しすぎるように感じたので、シンプルな訳に落ち着きました。編集者にお願いして「何」という漢字を入れてもらい、視覚的な効果をもたらすこともできたかもしれませんが、おそらく承知してもらえなかったと思いますね。

Q. この物語を翻訳するにあたり、由尾さんにとって音楽がどのような意味を持っていたか、少しお話いただけますか? 川上さんの文章はよく音楽性と結びつけられて語られていますが、それについてはどう思われますか? 彼女の翻訳者として音楽の意味をどう解釈されているのかお聞かせください。

この物語では、音楽が重要なモチーフとなっています。音楽のおかげで、二人の女性は、礼儀正しい社会や上品な言葉を超越した、より深い特別なつながりを持つことができた。社交辞令を言う必要もなければ、プライベートなことを聞く必要もない。二人のぎこちなくも愛おしい交流は、リストの曲をピアノで完璧に弾こうとするテリーの不器用な試みを軸に展開されていきます。ピアノ音楽を通して、郊外生活の単調な毎日はほんの一瞬ゆらぎ、二人の女性はつながりたい、そして逃避したいという願望で結ばれるのです。

「愛の夢とか」を翻訳している間、私はリストの「愛の夢 第三番」を何度も何度も聴いていました。そしてある時、この物語は全体を通して音楽的な構造を持っていることに気づいたんです。穏やかなオープニングから徐々にクレッシェンドしてクライマックスを迎え、突然停止して静かなエンディングへと溶け込んでいくという流れ。最後の音が響く余韻の中、この作品は読者に疑問を残します。テリーとのつながりによって、主人公の生活は何か変わったのだろうか? それとも、タイトルにあるように、美しい「夢」を見ただけなのだろうか? 私たちの生活の中で、このような夢や空想はどのような役割を果たしているのだろうか?

今では授業でこの作品を教えるたびに、リストの曲を流すようにしています。「愛の夢とか」は完璧な構造を持つ短編で、読むたびに鳥肌が立つほどです。

 

由尾瞳
早稲田大学文学学術院准教授。2012年にコロンビア大学で博士号を取得。専門は日本近現代文学・ジェンダー研究。樋口一葉、田村俊子、尾崎翠など近代女性作家についての論文やエッセイ、また『世界文学としての〈震災後文学〉』(明石書店2021)、『世界の文学、文学の世界』(松籟社2020)などに分担執筆。川上未映子作品の英訳を数多くの海外文芸誌に発表。

デビッド・ボイド
ノースカロライナ大学シャーロット校助教授。小山田浩子や川上未映子の作品をはじめ、日本文学の英訳多数。古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート 』の英訳(『Slow Boat』)で日米友好基金文学翻訳賞。

辛島デイヴィッド
早稲田大学国際学術院准教授。訳書に『Snakes and Earrings』(金原ひとみ著『蛇にピアス』)、『Triangle』(松浦寿輝著『巴』)など。近著に『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』、『文芸ピープル:「好き」を仕事にする人々』。

小澤身和子
東京大学大学院人文社会系研究科修士号取得、博士課程満期修了。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン修士号取得。編集者を経て、取材コーディネーター、通訳、及び翻訳家に。訳書にリン・ディン『アメリカ死にかけ物語』、リン・エンライト『これからのヴァギナの話をしよう』、ウォルター・テヴィス『クイーンズ・ギャンビット』、ジェニー・ザン『サワー・ハート』。共訳にカルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』がある。

 

参考文献
・Yoshio, Hitomi, trans. “Dreams of Love, Etc.,” by Mieko Kawakami. Monkey Business: New Writing from Japan 3 (2013): 157-167.
・Yoshio, Hitomi, trans. “Dreams of Love, Etc.,” by Mieko Kawakami. The Penguin Book of Japanese Short Stories, edited by Jay Rubin. London: Penguin Classics (2018): 278-290.
・川上未映子『愛の夢とか』講談社、2013年(講談社文庫、2016年)

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