【正課の取組】体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」-─ 2025年度春学期─第4回 「片付け」のその先に ─丹波山村・空き家活用ボランティアの記録─
文化構想学部 2 年 三浦康介
この授業では、地域おこしボランティアとして空き家の片付けをお手伝いした。それは、思っていた以上に体力を使う作業だった。
ドアを開けた瞬間、古い埃が舞い上がり、目がチカチカした。積もった雑誌や、壊れかけた家具、大量の生活用品。どこから手をつけるべきか一瞬戸惑うほど、部屋の中は物で溢れていた。
家具を動かすたびに、埃が一気に舞い上がり、咳が止まらなくなる。雑多に詰め込まれた段ボールを開けて中身を仕分けるのも一苦労だった。長い間手つかずだったのがわかる。ひたすら物を運び出し、分別し、重い家具を動かす。単純作業の繰り返しの中で、徐々に目の前の「家」がただの建物ではなく、だんだんと人が住んでいたんだなと身近に感じ始めた。
そんな中、ひとつの棚が目に留まった。
大量に積まれていたノートや本。埃を払って開けてみると、丁寧に束ねられた手紙、日記帳のようなノート、古い写真が出てきた。中身を読み進めていくとどれも「見せるため」ではなく、「残されてしまった」ものだという印象を受けた。
触れたときに感じたのは、重さというより、むしろ繊細さ。誰にも見せるつもりのなかった言葉、長い時間をかけて積み重ねられた思い。手紙に込められた感情そのものではなく、それを書いた人の「生き方」や「時間の流れ」が、不思議と伝わってきた。
周囲ではまだ作業が続いていた。家具を引きずる音や外に運び出す人の足音。雑然としたその場にありながらも、その棚を前にした時間だけは、ほんの少し、空気が違っていた。
空き家の中には、使われなくなった物が山のようにあった。けれどその一つひとつが、かつては選ばれ、使われ、置かれたものだ。見つけた手紙や思い出の品に触れたことで、その「使っていた人」の存在が一気に立ち上がるような気がした。
作業が進み、部屋が片付いていくにつれて、家の中はすっきりとしていった。だが、空間がきれいになっていくのとは裏腹に、心の中には何かが少しずつ積もっていった。それは、目に見えるゴミではなく、そこにあった「人生の跡」に触れたことで生まれた、言葉にしにくい感情だった。
片付けとは、ただ物を処分する作業ではない。そこにあった時間や思いを、知らない誰かが一度受け取って、手放す行為なのかもしれない。空き家という言葉からは空虚なイメージを連想していたけれど、実際に足を踏み入れてみると、その場所にはとても多くの「密度」が残っていた。
重く、暑く、埃まみれになりながらの一日だった。けれどその中で、不思議な静けさのようなものに、一瞬だけ触れることができた気がする。
体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」
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