【正課の取組】体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」- 2025年度春学期-
第2回 丹波山への道中を楽しむ〜西東京バス「奥 10」に乗って〜
文化構想学部 3 年 加瀬カケル
はじめに
東京・新宿から電車を乗り継ぎおよそ 2 時間の奥多摩駅。ホームに降り立つと目の前には山が聳え、東京らしからぬ「奥地感」を感じられるが、目指す丹波山村はさらに一山も二山も越えた先、いわば「奥奥多摩」。さらにバスで 1 時間ほど進んだ先である。
ここからバスで 1 時間…、ならやめとくか…。そう思うのも無理はない。しかし、奥多摩から丹波山への移動は「ただの移動」ではない。地域の特徴や村の歴史を知りながら乗車すれば、ただの山道も、車窓も、通過するバス停も、きっと違った意味を帯びてくる。丹波山は、着く前の「道中」から楽しめるのだ。
村そのものの魅力は他の方に譲るとして、この記事では丹波山村への「道中」の楽しみ方を紹介していこうと思う。

奥多摩駅前のバス 停。丹波山村へ向かうバスもこの場所から出発する
まずは簡単に丹波山村について説明する。
丹波山村は、山梨県東部、北都留郡に位置する村である。人口は約 500 人で「山梨県で最も小さな村」となっている。古くは戦国時代、武田氏による金山の開発で栄え、江戸時代には宿場町としてにぎわったという。
丹波山村には鉄道はなく、公共交通は JR 奥多摩駅(東京都奥多摩町)からの路線バス 1本のみである。つまり公共交通機関を使う場合、山梨県内の他の自治体から直接向かうことはできない。「東京都からしかアクセスできない山梨県の村」ということになり、東京と密接に関わっている村と言えるだろう。
丹波山への「道」
丹波山村へ向かうバスは「西東京バス・奥 10 系統」と言い、行先は「丹波山村役場」である。先述した通り東京都から山梨県を目指す路線だ。都県境を越えて走る路線バスはあまり多くないが、関東から甲信越へ、地方を跨いで走るバスは特に珍しいと言えるだろう。平日は 1 日 4 本、土日は 5 本と大変少ない。
土日ダイヤの始発便は、8 時 35 分奥多摩駅発。車両は普通の路線バスで、Suica やPASMO も利用できるが、最前部の客席にはシートベルトが設置されており、出発前から山道の厳しさを見て取れる。
奥多摩駅を出発し市街地を抜けると、バスは国道 411 号に入る。
この道は、新宿から八王子、奥多摩、丹波山を通過して甲府へ至る。古くは「甲州裏街道」と呼ばれ、丹波を通過する唯一の道で、往来は盛んだったという。江戸時代、大菩薩峠という難所を控える丹波は、甲州裏街道の宿場町として賑わいを見せていた。大菩薩峠は大変険しい箇所であり、馬でそのまま越えることはできない。そのため、峠には荷渡場があり、山梨・塩山方面からの荷と丹波からの荷の交換が行われていた。明治に入ると、甲州裏街道は大菩薩峠を通過しないルートに改められ、名を青梅街道に変える。馬が全区間を通して走れるようになり、往来がより活発化した。大正期以後、道が徐々に改良されていったことで、氷川(現在の奥多摩町)方面との交易が増加、この頃から、丹波山村は東京方面との結びつきを強めていったのである。
このように、バスが走るこの山道は、丹波山村の歴史を見る上で外すことのできない重要なものなのだ。
東京の水瓶を横目に
バスは蛇行する多摩川を 6 回渡り、駅から 15 分ほどで奥多摩湖バス停に到着する。湖を左手に見ながらさらに 10 分少々湖畔を走ると、バスは遂に都県境を通過し、丹波山村へ入る。

車内から見える奥多摩湖(小河内ダム)
奥多摩湖は正式には小河内貯水池というダム湖である。多摩川の上流部を堰き止めて建設され、奥多摩町・丹波山村などにまたがっている。大多摩観光連盟 HP によれば、現在では都民が利用する水量の 2 割を供給しており、東京都にとって非常に重要な存在である。このダムの建設では、大勢の工事関係者によって丹波山村も賑わいを見せたほか、道の整備も行われ、交通の利便性が向上した。しかし、ダム建設は丹波山に恩恵だけをもたらしたわけではない。
丹波山村に入って数分で、鴨沢というバス停を通過する。この鴨沢は、丹波と氷川の間に位置し、丹波からの荷物を積み替えて氷川方面へと運ぶ、中継地点となっていた集落である。しかし、小河内貯水池の建設により、元々の鴨沢集落はダムの底に水没、住民は移動を強いられた。小河内貯水池建設においては、村の全体が沈んだ東京都小河内村は広く知られている。しかし、東京の水を確保するため、山梨県の集落もダムの底に沈んだという歴史は、心に留めておきたい。
奥多摩湖を過ぎると、左手には再び川が並行する。この川は「丹波川」といい、湖を介して多摩川へと繋がる、いわば多摩川の最上流部である。先ほど奥多摩湖が、都民が使う水の供給源になっていると述べたが、遡れば丹波山村を流れるこの川が供給源となっているのだ。
縁起が良い!?不思議なバス停

「次はお祭」!?
鴨沢を出て数分、バスは「お祭」に到着する。「次は、お祭」という放送を聴くと冗談かと思うが、これはれっきとしたバス停名、地名である。詳細な由来は記述がなく不明であるが、平将門がこの地で宴会を開いたという伝承から付けられたと言われる。周辺には僅かに人家があるのみだが、縁起が良く、なんだか楽しそうな名前だ。バス停は全国に 25万箇所あると言われるが、その中でも屈指の面白ネーミングだろう。
このエリアには他にも平将門にまつわる伝承が残っているそうで、バスの出発点である奥多摩町には、そのまま「将門」という交差点が存在する。
バスはいくつもの急カーブを通過し、村の中心部へと向かっていく。車窓からは美しい山々を間近に眺めることができ、運が良ければ野生動物に出会えることもある。よく目を凝らしていて欲しい(私達も、奥多摩へ戻るバスの車内からカモシカを見ることができた)。
奥多摩駅を出発してからずっと登り基調だったバスがだんだん標高を下げ始めると、丹波川に沿ってやや開けた場所に家々が立ち並ぶ丹波山村中心部が見え、久々に人の息吹を感じられる。
いよいよ丹波山へ
村中心部に入り最初に停車するのは「丹波山温泉」バス停。道の駅があり、ジビエを使った食品など、丹波山ならではの商品を購入できる。また日帰り温泉もあるため、帰り際ひとっ風呂浴びることも可能だ。
また、道の駅からは丹波川の河原まで降り、川で遊ぶこともできる。羽田空港近く、東京湾に注ぐ河口からおよそ 100km。この場所を流れる美しい自然の恵みは、これからゆっくりと下流を目指し、大都市東京の暮らしを支えることとなる。

透き通った丹波川。 この水が都民の生活を支えることになる。丹波山温泉付近にて。
バスはさらに村の中心部を進み、中宿バス停を通過する。周囲には道に沿って歴史のある建物が並び、古民家を改装したカフェも存在する。前半で述べたが、江戸時代はこの先塩山方面に抜ける際、大菩薩峠という難所が控えていたため、丹波は宿場町として栄えていた。中宿というバス停名と周囲の町並みは、その様子を今に伝える貴重な存在だ。
JR 奥多摩駅から 54 分。バスは遂に終点「丹波山村役場」に到着する。村役場は近年建て替えられており、木材をふんだんに使った温もりある建物である。
周囲の山々から鳥の囀りが聞こえ、心が浄化される。奥多摩と比べても少し涼しさも感じられるようだ。
周囲を見渡すと、見慣れた銀杏マークと「東京都水道局 水源管理事務所丹波山出張所」の文字が掲げられた、役場向かいの建物が目につく。何度か触れてきたが、この地を流れる丹波川は、奥多摩湖・多摩川へと繋がっている。丹波山村は東京都民にとって重要な水源なのだ。その水源を守るため、村内の実に 70%を、東京都が水源涵養林として管理しているのである。
丹波山村は東京にとってなくてはならない、重要な存在だということがよく分かる。
おわりに
いかがだっただろうか。丹波山村へ向かう唯一の公共交通機関、西東京バス「奥 10」。
車窓から美しい山々を眺めながら、江戸時代からの「道」やダム湖など、丹波山の歴史に関わる様々なものを見ることができる、1 時間のバス旅。これは、ただの「移動」ではなく、丹波山村をより深く知り、楽しむ「きっかけ」になる。ぜひ景色を見やすい位置に乗車して、丹波山への「道中」を楽しんでほしい。
ここはバスの「終点」であると同時に、丹波山を楽しむ「始点」である。さあ、ここからが本番!いざ、丹波山村を楽しみ尽くそう!(帰りのバスには乗り遅れないように!)
参考文献
・丹波山村誌編纂委員会(1981)「丹波山村誌」
・たばやま観光 Navi「知る」(最終閲覧:2025/06/03)
・大多摩観光連盟 HP「奥多摩町 奥多摩湖」(最終閲覧:2025/06/03)
・ダム便覧 2024「小河内ダム[東京都]」(最終閲覧:2025/06/03)
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