能登半島地震災害復興支援ボランティアに参加して(珠洲市)
基幹理工学部4年 清水 伸哉
2024年5月、石川県珠洲市の災害復興支援ボランティアに参加しました。朝5時過ぎに出発のボランティアバスに乗車し、金沢市から3時間ほどかけて珠洲市の災害ボランティアセンターに到着しました。ボランティアには、様々な年齢・性別の方が参加していました。他の大学生徒団体もいれば、やはり地元に関係のある人やボランティア経験が豊富な方が多かったです。
はじめに今日の流れや注意事項の共有が全体で行われ、その後は5~10人ほどのグループに分かれ、指定された活動場所に車で向かいました。チームの振り分けや活動内容の割り振りが、当日にその場で行われる様子は初めての体験でした。自分たちは家具の廃品回収を行いましたが、作業自体は14時過ぎに終わり、夕方の帰りのバスに乗って帰路につきました。
自分の担当した区域は津波の跡はありませんでしたが、倒壊したままの家屋は散見されましたし、家具の回収・処分場は今でも活発に動いていました。現場に行ってみて、そして、その現場にいる人たちとの交流を通じて感じたことは大きく3つありました。
一つ目は、この世界には当たり前ながらヒーローはいないということです。自分は当日に参加したボランティアの100人の1人にしか過ぎず、他の人も同様です。自分たち10人が今日一日活動したことで笑顔にできたのは担当したご夫婦の二人くらいだと思います。さらに言えば、あのご夫婦にとってもどれくらいのポジティブな影響を与えられたのかもわかりません。でも、自分たちの行動が少しでも現地の人のためになるならそれでよいと思いますし、それは間違っていないんだと思っています。
一方で、二つ目に感じたのは、その中でも「何をすべきか」を捉えるためには、行動を積み重ねて現地のことを知るしかないということです。ボランティアをする中で印象的だったのは、同じチームの方が墓石の移動をする際に、「おれぁこんなことしたくないよ、今じゃなくてもいいだろう?」と、言っていたことです。この仕事は喫緊性がないし、こういったことを引き受けて斡旋する側が悪い、とその方は言っていました。ただひたすら、言われたお願いに応えることしか考えていなかった自分にはない発想でした。でも、確かに、生活できるか否かで困っている人がこの世界にはもっといて、自分たちはボランティアとして来ていて、未だ復興の途中の中で、墓石なんて戻さなくてもいいんじゃないか?とふと思いました。
実際、自分の行動が意味のあるものか否か?ということまで思慮を巡らせ、その行為を意義のあるものと信じて進めていくには、もっと経験を積まないといけないし、しっかり物事を理解し、知識を蓄えないといけないな、と感じました。
そして最後に、復興の支援の輪を広げていくのはやはり難しいことなのだと感じました。今回参加した現地の環境はすごく良かったと思います。バスが用意されていたり、現地で飲み物や備品の配布があったりなどです。しかし、多くの人が過去の経験者だったことを考えると、なかなか新しい人を巻き込むのは難しいのだなと思いました。だからこそ、こういった形で大学が支援をしながら、新たに若者を巻き込むことには意義があると思うし、自分も今度はまた自身で行ってみようかなと思いました。
そして、一つ悔いが残るのは、あまり現地に踏み込めなかったことです。正直なところ、何をどこまで聞いていいのか?は難しかったと感じています。他のボランティアの方に、「なんで参加してるんですか?」と聞くことには抵抗があったし、ましてや「これってどのくらい意味があると思いますか?」とか「僕たちボランティアの役割はなんだと思いますか?」など、そう言った話を本当はしたかったし、聞きたかったという思いもあります。相手との関係性もなく、それぞれの抱えるコンテキストが異なる中での対話には想像力が必要不可欠です。もっともっと現地での出会いを大切に、そこで得られるものを全て得るという姿勢が必要だったなと思いました。
また、自分はメールでWAVOCの行う災害支援ボランティアを知り、「自分は一度も現地を見たことがない」と思い、突発的に参加を決めました。このようなきっかけを提供してくださったWAVOC職員の方々を含め、この機会にお世話になった皆さんに御礼を申し上げてお終いとさせていただきます。ありがとうございました。