実習科目「狩猟と地域おこしボランティア」の履修生による体験レポートです。自然豊かな山梨県丹波山村で、猟師さんや地域の方との出会いや実習を通して履修生は何を感じ考えたのか?
ぜひお読みください!
【第4回】鹿の解体から命を考える
ー体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」2023ー
荻原光希(社会科学部 1 年)
2023 年 11 月 12 日、再び丹波山村を訪れました。今回は 2 回目の実習となります。村では前回の実習の時よりも山々が紅葉していて、東京では感じづらい季節の移ろいを感じました。そして、今回の実習では、罠を用いた狩猟についての座学と実際に罠をかけて罠猟について学ぶはずでした。ところが、思わぬ体験ができたのです。それは「鹿の解体の見学」です。本記事では、鹿の解体を通して私が感じたこと、そこから考えたことを書いていきます。
私は、今回の丹波山村での実習で鹿を実際に見ることができると思わなかったので、好奇心と期待が湧いていました。実際に鹿を見るまでは・・・
私は、鹿を見たい一心で受講生のみんなと処理場に向かいました。そこで目にしたのは、眼を大きく見開いて、全身をグッタリさせて死んでいる大きな雄鹿でした。私は心の中で一瞬「ドキッ」としました。大きな生き物が死ぬ様を見るのは人生で二度目でした。一度目は家族の猫で、彼女が亡くなった時は、悲しみがすでに胸にあふれていたため、亡くなった姿を見て「ドキッ」という驚きや衝撃は感じませんでした。しかし、今回はそのような感情を介さなかったため、鹿の生々しい死体が目に焼き付きました。他の受講生たちも、私と同様に初めて鹿を見た時に何か感じたはずです。
続いて、鹿は吊るされて、解体が本格的に開始されました。まずは足から始まり、毛皮が剥がされ、内臓が出され、やがては頭さえも切り落とされたのです。あっという間に、数時間前までは野山を走っていた鹿が、私たち人間の食べる鹿肉となりました。しかし、生の感じられない姿になってしまっても、「さっきまで生きていた」と象徴するものがあったのです。解体されている最中、鹿の体からは「湯気」が出続けていました。これこそが生の象徴であり、カメラでは容易に収めることの出来ない貴重な証です。そのため、この「湯気」は鹿の解体見学の印象的な出来事になりました。
この解体見学経験を通して強く感じたことは、命の価値です。今回の私のレポートの三段落目をもう一度見てください。鹿と猫に違いがあります。私は敢えて鹿には「死」、自分の愛猫には「亡」の漢字を用いました。こうすることで、鹿の「死」の描写の連想を強くするだけでなく、両者の扱いに差が生じるだろうと考えました。違和感を感じたでしょうか。
私は鹿の解体を見学するまで、今回の鹿を、「命」というよりは「肉・学習材料」と考えていました。しかし、解体を通して鹿を「命」として考えさせられました。だからこそ、命に感謝して、牛肉や豚肉などの普段当たり前に食べているものにも改めて感謝していきたいなと感じます。
体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」
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