The Hirayama Ikuo Volunteer Center (WAVOC) 早稲田大学 平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)

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「たった一人のボランティアの一言」西日本豪雨支援ボランティア活動報告(政治経済学部2年 半田竜樹さん)

「たった一人のボランティアの一言」西日本豪雨支援ボランティア活動報告(政治経済学部2年 半田竜樹さん)

「ほんと、もう、見つからないと思って…。ほんとにほんとにありがとうございます。」
泥まみれの仏壇を愛おしげに抱えるおばあちゃん。疲れ切った瞳に光が戻ったその瞬間が印象的だった。

戦艦大和を建造したことで有名な広島県呉市は西日本豪雨で大きな被害を受けた。海上自衛隊の基地があることもあり、災害発生初期には多くの自衛隊員が重機や手作業で泥のかき出し、道の整備を行ったという。しかし重機の入らない床下や裏庭などは家主さんだけでは手に負えない情況が続く。そんな中、今回私は土石流の起きた呉市の天応地区で3日間活動させていただいた。

天応地区では呉ポートピア駅前に設けられたサテライトに集まった人たちで10人前後のチームを組み、指定された家屋の復旧をお手伝いさせていただく流れ。天応地区の人よりも、呉市中心部や広島市の参加者が多い印象。全国の社協が集結し、ナースのボランティアが復旧ボランティアの体調管理を行ってくださるという二重支援体制だった。

連日32度を超える炎天下の中での重労働。果てしない泥やヘドロのかき出し、土嚢の運搬、家具の運び出しなどはきつく、15分作業しては休憩しなければならない状況。しかし、家主さんが休憩場所を提供して下さったり、NPOの方がスイカをふるまってくれたりしたおかげもあってかチームの雰囲気は悪くない。理容師の青年たちから、アパレルや観光、自営業に、お好み焼き屋の店主、元自衛官やテレビ局の人々やムキムキマッチョのおじいちゃんまでありとあらゆる人たちが手を取り合って作業を進める様子はボランティアならではだと感じ、私はある光景を思い出す。

東日本大震災当時、私は卒業間近の仙台の小学6年生だった。私自身は幸い内陸に住んでいたため、家屋の一部損壊程度で済んだが私には心残りがある。それはボランティアに参加しなかったことだ。大人だけではなく、すぐ年上の中学1年生があちこちでボランティアをしていたり、県外からたくさんの学生がきて手伝ってくれているのに、私は当時水くみ程度しかしなかった。小学生だからと言い訳をしていたのだ。

そんな情けない私を目覚めさせてくれたのは、横浜から来た中学生のボランティアの少女だった。彼女は私に被災者として「大丈夫でしたか?」と気遣って話を聞いてくれたのだ。たった一人のボランティアのその一言でどれだけ胸が軽くなったことか。その衝撃は今でも鮮明に覚えている。そんな彼女に憧れ、自身もできる時には言い訳せずボランティアに参加させていただこうと胸に誓ったことが、今回の活動につながっている。

活動最終日の夜。私はお好み焼き屋にいた。あの店主が自慢のお好み焼きをふるまってくれたのだ。「お代はいいけん。息子みたいなもんじゃから。」満面の笑顔で背中を押されながら私は広島を飛び立った。
(政治経済学部2年 半田 竜樹)

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)ではWASEDAサポーターズ倶楽部を通じて寄せられた支援金で、平成30年7月豪雨災害の復興支援ボランティアを行う早大生に交通費の補助を行っています。(2018年9月現在)

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