「意識高い系だね」でいいの? ~体験を言語化する 2
「ボランティア」も「政治活動」も「すごいね。意識高い系だよね」。しかし、その言葉は別に尊敬ではないし、私はそんな人たちとは違うという拒絶の気持ちもあるはずです。社会について真剣に考えたり、行動するのは何か心の抵抗がある。そのときの「社会」というのは、自分とは別の次元にある問題なのだと思います。グローバリゼーション、貧困、教育格差、たくさんの現実があるのはよく知っている。けれども、どこか他人事で直接関係がないと感じている。その理由のひとつは、「自分が生きて体験している現実」と「講義で学ぶ社会問題」が自分の中でつながっていないことです。だからこそ、実際に見たり、聴いたり、感じた自分の体験が大切なのです。そこから発見されたことはあなたの問題と捉えられるはずです。そして、それは社会の問題でもある可能性があります。
アルバイト先の居酒屋:
店長「ごめんね、今日も夜のシフトを入ってくれるかな?」
女子学生「今日はレポートがあって・・。でも、だいじょうぶです」
社会の問題は「自分ごと」であるという気づき
「決して自分の責任ではないのに何か申し訳ない。この理由なく感じる申し訳なさの背景にあるのは、企業競争をめぐる利益のプレッシャーという社会の問題。そして、誰かに褒められ、認められたい自分がいる。これは、若者たちが常に承認を求めたがるという社会の問題につながっているかもしれない」
体験をふりかえり言葉にすることによって、自分ごととして社会にある問題をつなげる作業もまた体験の言語化です。