The Hirayama Ikuo Volunteer Center (WAVOC) , Waseda University早稲田大学 平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)

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【最終回】シカと共に解体されたものは何かー体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」2023ー

実習科目「狩猟と地域おこしボランティア」の履修生による体験レポートです。自然豊かな山梨県丹波山村で、猟師さんや地域の方との出会いや実習を通して履修生は何を感じ考えたのか?
ぜひお読みください!

【最終回】シカと共に解体されたものは何か
ー体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」2023ー

桝永 陽那太(文学部 3 年)

丹波山村へやって来るのもこれで 2 回目である。前回にくらべて山並みは暖色に染まり、それと対照
的に空気は寒々しかった。学生の 1 人が「人生最後の丹波山訪問かもしれない」と戯れに呟いていたが、「15 人の受講生のうち何人に再訪する機会があるだろう。そして、それはいつになるだろう」と考えると、この実習の貴重さをひしひしと実感させられた。マイナスにではなく、ポジティブに「最後かもしれない丹波山村訪問」で学べることを学んでおこうと気持ちのほぞを固めた。

午前中は罠猟について座学で学んだあと、実際に山へ入って罠をかけるところを直接見学する機会を
得た。そのとき、動物に勘づかれないための細心の注意を払った立ちふるまいが印象に残った。猟具は必ず手袋をして扱って人間の臭いをつけないようにしたり、罠を仕掛ける際に掘った土はすべてバケツに入れて環境の変化を悟られないようにしたりと、人間を騙す以上の高度なカモフラージュを求められる罠の世界の奥行きに頭がくらっとした。また、くくり罠の直径はたった 12cm ととても小さく、広大な山においてピンポイントでそこを踏ませる方法には正解がない。この日は罠の手前に大きめの石を置くことで、避けた先の罠を踏ませやすくする方法をとっていたが、各々の猟師が独自のやり方を試行錯誤しながら編み出していくそうだ。

すると、罠猟の設置を見学していたとき、タバジビエさんの携帯が鳴った。どうやら、近くの山でシカが獲れたようである。そのまま施設で解体する手筈らしく、降って湧いた見学の好機に一同どよめいた。

すぐさま山を降りて解体場へ向かうと、遠目に横たわる鹿の姿が見えた。このとき、はっきり「違う」と感じた。それはシカの放つ存在感が、自分の経験のどれとも異なっていたからだ。山道の運転や登山道で出会うシカは山のもたらした使者のようで、その姿を見ると自然の領分に足を踏み入れたような荘厳な心持ちになるのが常だった。しかし、解体場に倒れるシカは人の手によって殺められたことで、その生命活動を止められたのみならず、そこに宿っていた自然の霊性までもを損なっていると感じた。そして、この情動によって間接的に自身に根差したアニミズムを知らしめられた。ただ、だからと言ってシカが文明に呑みこまれていく解体に不義を感じるわけではなかった。山にシカが生きるのが自然であれば、それを糧とするために人間が狩るのも広義の自然の範疇であると思ったからだ。

こうして「自然の産物としてのシカ」の問題は咀嚼できたのだが、次は「ひとつの生命としてのシカ」と向き合うことになる。ただ、シカの死体が解体されていく過程への抵抗感は思っていたほどではなかった。当たり前のことだが、そのシカはもう生きていなかったからである。はじめて見たときから死体として存在していたため、その状態とあらば、解体せず食肉にしない方が非道だと思ったのだ。ただもし、止めさしによって息の根を止められる瞬間に立ち会ったシカの解体であったなら、肉食の概念に隠れた残虐性によるショックが大きかったと思う。結果論としては同じなのだが、体験のタイミングの差異によって心への影響がここまで変わることに主観的な人間のありようを見た気がした。そしてこれは、現代社会における食育の課題であるとも思った。

「今日のごはんはお肉だよ」と言われて、動物が屠殺される姿を思い浮かべる人はまずいないだろう。肉の入手を考えてもスーパーに並んだパックが限界で、それ以前の段階まで想像を膨らませることは少ない。ここに体験の欠落による想像力の欠如が見られると思う。五大栄養素として習うタンパク質が魚や牛、豚、鶏に含まれることは学んでも、教科書に載ったそれらのイラストはどこか腑抜けていて、解体の手順がカラー写真で掲載されることはまずない。計算や語学などを学ぶ前に、自分にとって最も身近な食べることの真実を、身をもって体験する機会を設けることが必要だと痛感した。

だが、現実的に考えて、解体場の見学などを教育課程で強制することは難しいだろう。血が苦手な生徒に無理強いしてはハラスメントになりかねないし、解体によって食の暴力性に触れることで罪悪感にさいなまれる生徒も出てくるだろう。ただ、後者に関しては一考の余地がある。今回の実習のふりかえりの授業において「自分はこれまでたくさんの命を頂いてきたのだから、その分だけこれからも生きていかなければと思う」との発言があった。これこそが食べることへの終着点たる境地のひとつだと思う。

自然界において生物は他の生物を捕食しなければ生き延びることはできない。これを罪悪と呼ぶのは
あまりにも厭世的ではないだろうか。ただ、だからと言ってその事実を遠い場所に追いやって、忘れて生活する環境というのも不健康である。人間が他の生物を食べることは必然であるからこそ、その事実を体験によって受けとめ、感謝と尊敬の念を胸にごはんを食べて生きていくのがあるべき姿なのではないかと思う。

こうして理性的な決着を見せたシカの解体だったが、シカの碧色に澄んだ瞳や解体中に吊り上げられて地面に擦りつけられた鼻面の映像は、くっきりと網膜に焼きついて頭から離れなかった。自分と同程度の重さの動物が解体される姿を見て何かしらのショックを受けたのは確かだが、この気持ちの置き所はまだ見つかっていない。だが、この命に対する畏敬の念というのは、人間の捕食者としての欠点であると同時に、芸術を育む根源的な美しさだと思うので忘れないでおきたい。

 

体験的学習科目「狩猟と地域おこしボランティア」
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