陸前高田プロジェクト 現地活動事後レポート(前半)
奥村楓子(国際教養学部 1年)
2023年2月26日、陸前高田でプロジェクトとして初の現地活動を開始しました。各自現地集合した後、高田松原津波復興祈念公園のパークガイドさんの案内で道の駅高田松原を出発し奇跡の一本松、防波堤をぐるりと一周しました。道の駅の外に出ると目の前に広がるのは広大な空き地。海を背にして奥の方に広がる市街地は震災当時より10mかさ上げされていることを知りました。

奇跡の一本松。震災前、ここには7万本の松原が広がっていました。
震災から約12年経った今でもあまり復興は進んでいないのだなと感じたのですが、のちにそのことを陸前高田に通う岩手大学の教授に伝えると、むしろ瓦礫が撤去され景色がだいぶ変わったとのことでした。高田を長年見てきた人と余所の者の抱く印象の差に驚きました。
ガイドさんの話で印象的だったのは、「防波堤は波を防ぐものではなく、避難の時間を稼ぐためのものです。」という言葉です。防波堤があるからといって決して安心してはいけないことを学びました。
その後、震災遺構である気仙中学校を訪問しました。震災当時の様子がそのまま残っており、その惨状を初めて目の当たりにしました。黒板やロッカーなどの用具から学校の面影は感じとれるものの、積み重なっている大量の瓦礫やコンクリートが剥き出しの天井、無造作に散らばった床のタイルから改めて津波の脅威を感じました。

震災遺構である気仙中学校の内部。
2日目は米沢商会ビルにて米沢さんのお話を聞きました。米沢さんは3階建てのビルの屋上の煙突に登りかろうじて津波の難を逃れた方で、当時の状況を1階から順に上がりながら説明していただきました。直前まで一緒にいた親と弟は地域で指定されていた避難所に逃げ、津波に飲まれて亡くなったこと、自分は間一髪津波を免れたものの、救助が来るまで極寒の屋上で一夜過ごさなければならなかったこと等、米沢さんが生き残った背景にはたくさんの偶然や運が重なっていたのだというその衝撃的な内容に、命の儚さ、尊さを感じました。また米沢さんの臨場感あふれる語りに引き込まれ、あたかも震災を追体験しているような気分を味わう貴重な経験をしたなとしばらく余韻が抜けませんでした。

米沢商会ビル。米沢さんが個人で遺構として保存しています。

米沢商会ビルの煙突の上に登らせていただきました。
この2日間の体験で東京に住む私が3・11の震災を今までよりも自分ごととして捉え直すことができたような気がします。
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陸前高田プロジェクトは「早稲田ボランティアプロジェクト(通称:ワボプロ)」の1つです。参加してみたいという方は、まずはお気軽にご連絡ください!
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