
はじめに
2026年4月10日、早稲田大学121号館コマツ100周年記念ホールにて「心の科学」をテーマとした学内研究交流イベントを開催しました。
学内の多様な研究領域をつなぎ、分野の垣根を越えた交流を促進することを目的とした本イベントには、様々なバックグラウンドを持つ研究者及び学生が各キャンパスから総勢100名以上集いました。
「心の科学」という広範なテーマを軸に、分野横断的な交流を深め、新たな研究テーマ発掘の可能性を示す機会となりました。
【第一部】 研究紹介
理工学、社会科学、人間科学、文学の枠を超えた10名の学内研究者が、互いの研究内容を「知る」ことに主眼を置いた研究紹介を行いました。臨床心理や社会心理学的な視点(社交不安障害、うつ、陰謀論、戦争報道への反応)、政治学的な分析(投票行動と感情)、さらには神経科学や工学的アプローチ(言語の脳内メカニズム、3D映像の影響、鳥の模倣行動)など、多様な知見が共有されました。各発表を通じ、「心」という対象がいかに多面的で、学際的な研究に開かれているかが示されました。質疑応答も活発に行われ、異なる分野の視点が交錯する中で、新たな気づきや関心の広がりが生まれる場となりました。
(司会/進行:研究戦略センター・城谷和代)
大須理英子教授(人間科学学術院)|認知神経科学へのお誘い —社交不安障害からASDまで
大須教授は認知神経科学を専門としており、数ある研究の中から、社交不安障害、ASD(自閉症スペクトラム障害)、半側空間無視(※)などの研究事例を紹介した。
(※)脳の損傷により、視覚には問題がないにもかかわらず、損傷部位と反対側の空間に注意が向けられなくなる症状
社交不安障害は、他者から注目されたり評価されたりする状況に対して、強い恐怖や不安を持続的に感じることで日常生活に支障をきたす疾患だ。その要因の一つとして、自分自身の内的なネガティブ状態へ過度に意識が向く「自己注目」が指摘されている。自己注目が高いと、「右前頭極」と呼ばれる脳領域の過剰な活動が観察される。
そこで、本当にこの脳領域が自己注目に関与しているかを明らかにするため、頭部の外側から静磁場刺激を与えることでこの領域の活動を抑制してみた。すると、社交不安傾向が高い被験者において、自己注目の程度が低下することが確認された。
続くASD、半側空間無視などに関する研究も参加者の認知神経科学の世界への興味関心をかき立てるに十分な内容であった。
尾野嘉邦教授(政治経済学術院)|投票は何で決まるのか――印象と感情が動かす投票行動
尾野教授によると、近年の投票行動研究では、有権者が政策内容だけでなく、直観的な手がかりに依拠し、「ヒューリスティクス(※)」によって判断を下している可能性が示唆されている。
(※)経験や直感に基づく「思考のショートカット」で、複雑な問題を迅速に解決するための簡便な方法。
研究では、候補者の顔を「美しい」から「美しくない」までの5段階で評価してもらい、その結果と実際の選挙結果を比較したところ、顔の「魅力度」が高い候補者ほど得票率が高くなる傾向が確認された。これは、有権者の投票行動が、候補者の「見た目」という政策とは直接関係のない要素に影響されている可能性を示している。
また、有権者の判断に影響を与える要素として、選挙ポスターや政見放送における候補者の「表情」、SNSでの発言のトーンなども挙げた。
SNSなどの普及により、選挙において有権者が接する情報は多様化し、ヒューリスティクスの影響が高まっている可能性がある。直感的な印象や感情が投票判断に及ぼす影響は、今後さらに重要な研究課題になろう。尾野教授の研究は、有権者が投票時に何を手掛かりにしているのか、そして何に注目すべきかを問いかけるものである。
河合隆史教授(理工学術院)|先進映像と人間工学——「安全な3D」から「宇宙酔い対策」へ
「先進映像と人間工学」をテーマとする河合教授は、1990年代から、3D映像が視覚機能などに及ぼす影響に関する研究に従事しており、数々の3D映像の制作に携わってきた。
北欧初の3D劇場映画「Moomins and the Comet Chase(邦題:ムーミン谷の彗星)(2010年)」、「映画 怪物くん(2011年)」、「STAND BY ME ドラえもん(2014年)」など、参加者もよく知る映画が紹介され、会場は驚きの声で包まれた。
前者2作品については、「安全な3D」「快適な3D」を目指し、視覚などに負担がかからないような工夫を施し、「STAND BY ME ドラえもん」では、ストーリー展開に対応した、感情の増幅を意図した立体感の設計を心掛けたと言う。まさに、「感動する3D」と言える。
現在の河合教授の興味関心は「宇宙」にある。2040年頃から、一般民間人が宇宙旅行をする時代が訪れる。そのため、宇宙酔いは事前に解決すべき課題であると言える。
河合教授は、宇宙酔い軽減の効果が得られる映像の開発に取り組んでいるという。近い将来、宇宙を旅行する際の必須アイテムとなることが期待される。
神前裕教授(文学学術院)|ヒトの心・動物の心——「意図」と「目的性」を科学する
「ヒトの心・動物の心」をテーマとする神前裕教授の発表では、ラットを用いた実験を通じて、「意図」や「目的性」といった心の働きをどのように捉えることができるのかが紹介された。
ある実験では、餌を報酬としてラットにレバー押しを訓練したのちに、餌と塩化リチウム投与を組み合わせることで餌の価値を下げる操作が行われた。その結果、塩化リチウムを投与されたラットは対照群と比べて、実際には餌が出ないテスト場面におけるレバー押し頻度を低下させた。この結果は行動が単なる反応ではなく、「結果への具体的な予期」に基づくことを示す。
一方、同様の課題を長期間継続すると、価値低下後も行動が維持されるケースが確認された。これは行動が目的なものから習慣的反応へと移行した状態を意味する。
神前教授は、こうした目的行動から習慣への移行条件やそれを支える神経基盤の解明が、私たちの行動に伴う意図や目的といった心的過程の解明、さらに薬物依存症など疾患の理解にもつながる可能性に言及し、習慣の形成、またその消去・再発の機序は今後の重要な研究課題であるとした。さらに、行動に対する「行為主体感」様の再帰的知覚をマウスにて検出した最新の研究を紹介し、心の科学における動物研究の意義を強調して発表を締めくくった。
小林哲郎教授(政治経済学術院)|「陰謀論」はなぜ政治現象となるのか――社会心理学の視点から考える
社会心理学をベースに政治現象を分析してきた小林教授は、本発表で「陰謀論」をテーマに取り上げた。
一般に、陰謀論を信じやすい人ほど投票行動に消極的になるとされる一方、近年は各国で陰謀論的主張を掲げる政党が一定の支持を得ており、既存の知見との齟齬が指摘されている。小林教授はこの点を説明する概念として、「Collective Efficacy(集合的有効性感覚)」に着目した。
Collective Efficacyは、「私一人では政治を変えることはできないが、みんなで力を合わせれば政治にインパクトを与えられる」という考えである。
2023年の調査では、陰謀論を信じやすい人ほど政府の応答性に対する評価は低い一方、Collective Efficacyを強く感じていることが見出された。すなわち、陰謀論を信じる人々は、集団的な力を信じて政治参加へと向かう可能性があるということである。
小林教授は、Collective Efficacy自体は参加型民主主義を支える重要な要素であるとしつつも、そのプロセスを通じて陰謀論的言説が政治的影響力を持ちうる点に注意を促した。最後に、この現象を民主主義の活性化と見るべきか、それとも歪みと捉えるべきかを会場に問いかける形で、発表を終えた。
酒井弘教授(理工学術院)|「意味」は脳内のどこにあるのか——脳活動パターンから概念を推定する
酒井教授は、言語を処理する神経回路が脳内のどこにあるかという伝統的な理解を超えて、回路上で個々の単語の意味がどのように表現されているかの解明を目指している。
その実験手法は、被験者に複数の画像を提示し、その際の脳活動を磁気センサで計測。得られたデータをベクトルとして扱い、高次元空間上にマッピングしたうえで、機械学習手法の一つであるSupport Vector Machine(SVM)を用いて分類を行うというものである。
この手法により、脳活動のパターンのみから被験者が見ている対象をどの程度推定できるかが検証された。画像を「食べ物」と「道具」に分類した場合、ほぼ100%の精度で両者を区別できることが示されたという。
これらの結果は、脳内において「食べ物」と「道具」といった概念が神経活動のパターンとして表象されている可能性を示すものである。脳内における概念理解の新たなアプローチとして、会場からも注目が集まった。
杉森絵里子准教授(人間科学学術院)|うつの「前段階」では何が起きているのか——不安や緊張は「表情」に現れる
杉森准教授は、外界からの情報がどのように知覚され、どのように表出されるのか、さらにその個人差に着目した研究を行っている。
発表では、近年取り組んでいる「閾値下うつ」に関する研究成果が紹介された。閾値下うつとは、医療機関を受診するほどではないものの、抑うつ傾向を有する状態を指す。
杉森准教授は、こうした人々における表情の知覚や表出、さらには他者に与える印象について分析を行った。
一般に、臨床的なうつ状態では、他者の表情をよりネガティブに知覚しやすく、自身の表情表出においても笑顔が減少することが知られている。一方で本研究では、閾値下うつの人はそうではない人と同様な形で他者の表情を知覚できていることが確認された。
しかし、自身の表情表出に関しては、ポジティブな表情が弱まり、不安や緊張の高い表情が現れやすい傾向が示唆された。これは、典型的な「笑顔の減少」とは異なる形で、抑うつ傾向が表情に影響を及ぼしている可能性を示すものである。
こうした知見は、うつの早期段階における心理・行動の変化を捉える手がかりとなる見込みがあり、今後の研究の進展に期待したい。
多湖淳教授(政治経済学術院)|戦争をめぐる心の科学——戦争報道に人はどう反応するのか
多湖淳教授の発表では、戦争から距離のある一般市民が、報道などを通じて戦争を目にした際にどのような心理的反応を示すのか、という研究が紹介された。
近年、一般市民が戦争映像に触れる機会が増えている。その一方で、兵士や被害者に関する研究に比べ、遠隔地の一般人が悲惨な光景を目にした際の反応を扱った研究は限られているという。そこで多湖教授は、早稲田大学の学生を対象に、戦争に関する画像を用いた実験を実施した。
実験では、戦争に関連する画像を提示し、その間の心拍変化や戦争コストに対する認識を測定した。その結果、破壊や兵器、生存者が写る画像では大きな変化は見られなかった一方、死体が含まれる画像では、戦争のコストを高く評価する傾向とともに、心拍数が低下する反応が確認された。心拍低下は「嫌悪感(ディスガスト)」に起因するものであると考えられる。
本分野には未解明の点も多く、今後も研究を継続していく必要があると述べたが、戦争報道のあり方を考えるための有益な研究である。
田中雅史准教授(文学学術院)|人と鳥の文化の科学——模倣学習はどのように生まれるのか
田中准教授は、人と歌鳥が共通して有する高い模倣能力と文化伝達能力について研究している。
鳥の研究では、幼鳥が成鳥の歌を対面で聴く際、脳の運動連合野においてドーパミンが放出されること、また、そのドーパミン伝達を遮断すると模倣ができなくなる一方、ドーパミンを人工的に放出させると、本来は模倣しにくいはずのスピーカーから再生した歌に対しても模倣が生じることが示された。
また、情動との関連が知られる扁桃体の機能について、正常な鳥では、特定の成鳥に近づいて歌を学ぶのに対し、扁桃体を損傷した鳥では、どの成鳥へも近づいて模倣対象が定まらなくなるという結果が示された。人を対象とした実験でも、情動の操作によって言葉や歌の模倣学習が促進されうることが報告された。
本研究は、文化伝達に重要な模倣能力と情動・社会性とをつなぐメカニズムが、文化を伝える珍しい動物である人と鳥に共通して存在することを示唆するもので、文化伝達の生物基盤の理解に寄与する成果として注目される。
渡邊克巳教授(理工学術院)|心を研究するということ——多様な学問領域をつなぐ視点
渡邊教授は、第一部の各発表を振り返りながら、自身の研究と多くの接点があることを実感したと語った。
講演では、自身の研究テーマを複数紹介しつつ、その内容が、自分自身でも「色々やりすぎている」ように見える点についても率直に言及。そのうえで、むしろそうした多様性が心の科学の本質である点を楽しんでほしいと会場に呼びかけた。
また、文学部出身でありながら、現在は理工学術院で研究・教育に携わっているという自身の経歴にも触れ、「心を研究する」という立場を確立させ、方法論を貫けば、分野を越えて展開できるのが「心の研究」の魅力ではないかと述べた。さらに、「心の研究」は多様な分野と接続しうるものであり、結論を急がず探究を続ける姿勢が重要であると強調し、発表を締めくくった。
*第一部総括*
第一部の締めくくりに、研究戦略センター関根泰所長より「知的好奇心を強く刺激する多彩なテーマだった」との賛辞が贈られました。分野横断的な広がりを本学の大きな強みと捉え、今後の発展に期待を寄せています。最後に若手研究者へ向けて、積極的に多様な分野へ触れることで視野を広げ、「新たな時代を切り拓く存在に」と熱いエールが送られました。

【第二部】 ポスター発表及び交流会
学生を含む若手研究者計14名の研究発表が行われました。
会場には多くの来場者が集まり、各ポスターの前には人だかりができるなど、盛況な様子が見られました。また、第一部で登壇した研究者のもとにも多くの参加者が集まり、会場の各所で名刺交換や情報交換が行われるなど、分野を越えたネットワーク形成の様子もうかがわれました。総括として渡邊克巳教授より、分野の垣根を取り払った自由な探求こそが「心の科学」の真髄であり、今後もこうした連携を含めていく重要性が語られ、イベントは盛況のうちに閉幕しました。
(司会/進行:理工学術院総合研究所・荒勝俊)

ダイジェスト動画
参加者の状況
(本分析では、参加者のうち事前登録を行われた方を対象としています。また、キャンパスの属性については、各参加者が所属する箇所の本拠地を基準に集計しています。)
開催日:2026年4月10日(金)
会場:早稲田大学121号館
共催:早稲田大学 理工学術院総合研究所/ 研究戦略センター
イベントアドバイザー:理工学術院 渡邉克巳 教授
世話人:理工学術院総合研究所 荒勝俊、高橋大輔/ 研究戦略センター 城谷和代
運営:「心の科学」イベント運営事務局(理工総研事務所/ 研究戦略センター事務局内)
動画制作:広報課
記事作成協力:ライター 関瑶子 氏
(参考)開催案内:https://www.waseda.jp/fsci/wise/news/2026/02/03/11302/







