脳の生理的な老化機構を解明
~超高齢化時代の予防医学の確立に向けた一歩~
本件のポイント
- 加齢に伴う核膜LINC複合体の発現低下が、神経細胞の機能低下を引き起こす大きな要因となることを発見しました。
- LINC複合体分子Sun1を老齢マウスの神経細胞に補充することで、加齢による神経活動の低下や脳機能の変容を抑止できることを示しました。
- 本研究成果は、脳老化を抑える予防医学のための重要な知見になる可能性があります。
- 加齢による核膜LINC複合体の発現低下(大脳皮質神経細胞)
本件の概要
島根大学医学部生理学講座(神経・筋肉生理学)の桑子賢一郎 准教授の研究チームは、早稲田大学の浜田道昭 教授、国立遺伝学研究所の豊田敦 特任教授、理化学研究所・東京大学の岡田康志 チームディレクター・教授らとともに、脳の生理的老化機構のメカニズムを解明するためにマウスを用いた研究を行いました。
本研究では、神経細胞の核膜に存在するLINC複合体(注1)(図1)に着目し、その加齢変化と神経機能への影響を解析しました。その結果、神経細胞では、加齢に伴うLINC複合体の著しい発現低下が核の構造異常を引き起こし、遺伝子発現変化を介して、神経活動制御に重要な軸索起始部(AIS)(注2)(図1)の障害を惹起することを見いだしました。さらに、これにより神経細胞の興奮性が低下し、脳機能の変容につながることが示されました。また、遺伝子治療にも用いられるアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター(注3)によってLINC複合体分子Sun1を老齢マウスの神経細胞に導入することで、核構造、遺伝子発現、AIS機能、神経興奮性、および脳機能の加齢変容を抑止できることを明らかにしました。これらの結果は、LINC複合体の機能喪失が脳老化を駆動する新たな分子機構であることを示すとともに、そのはたらきを保つことが脳機能の衰退抑止に有効である可能性を示唆しています。本研究成果は、「EMBO Reports」オンライン版で2026年5月22日に公開されます 。

研究背景・成果
<背景>
現代の超高齢化社会において、加齢に伴う脳機能低下のしくみを理解し、その予防策を確立することは健康寿命延伸の観点から極めて重要な課題となっています。しかし、生理的な脳老化の分子・細胞基盤はいまだ十分には解明されていません。
加齢性神経変性疾患でみられる神経細胞の大規模な消失とは異なり、生理的な脳老化では、それぞれの神経細胞の興奮性や可塑性が徐々に低下していくことで脳機能が衰退すると考えられています。一方で、これらの変化を引き起こす分子機構については多くが不明のままとなっています。また、神経細胞の興奮性は、活動電位(注4)の発生部位であるAISによって厳密に制御されていますが、加齢に伴うその構造・機能的変化の実態や分子基盤は明らかではありません。さらに、神経細胞の核構造や遺伝子発現制御の変化がこうした神経活動の低下にどのように関与するかについても理解は進んでいませんでした。
<研究成果>
本研究では、神経細胞の核膜LINC複合体に着目し、その加齢変化が脳機能に及ぼす影響を多階層的に解析しました。
まず、加齢によってLINC複合体の主要な構成因子であるSun1やNesprin1などの発現が広範な脳領域の神経細胞で著しく低下することを見いだしました。また、これらの老齢マウスの神経細胞では、核の構造異常が誘導され、これによりクロマチン(注5)の高次構造が広範に変化し、グローバルな遺伝子発現プロファイルの変動へと波及することが明らかになりました。特に、神経活動制御に関わる遺伝子群に顕著な変化が認められ、活動電位の発生を担うAISの電位依存性ナトリウムチャネル・カリウムチャネル、ならびにAISの主要な構成分子群の発現が大きく変動していることがわかりました。これらの変化に伴い、老齢マウスの神経細胞ではAISの長さが短縮し、さらに、活動電位発生の閾値上昇および発火頻度の減少、すなわち神経興奮性の低下が起きていることが明らかになりました。
一方、AAVベクターを用いて老齢マウスの神経細胞にSun1を導入すると、核構造の異常(図2)およびクロマチン動態の変化が大きく抑制され、遺伝子発現プロファイルも若齢状態に近いパターンへと部分的に回復しました。これに伴い、電位依存性イオンチャネルを含むAIS関連分子群の発現変化やAISの短縮は抑えられ(図2)、神経興奮性も若齢レベルに近い状態まで回復することが示されました(図3)。さらに、マウスでは加齢によって不安情動の増大および記憶力の低下といった脳機能の変容が起こることがよく知られていますが、Sun1導入によりこれらの変化も若齢マウスと同程度のレベルまで抑止されました(図3)。
本研究の結果は、LINC複合体の機能低下が核構造の異常を起点としてクロマチン状態と遺伝子発現プログラムの変化を引き起こし、それがAISの分子構成および構造変化を介して神経興奮性の低下をもたらし、最終的に脳機能の加齢変容へと連鎖することを示しています。また、Sun1の補充によりこの一連の変化が広範に抑制されることから、核構造制御が脳機能の維持において重要な役割を担うことが明らかになりました。

<研究の意義・今後の展開>
本研究により、これまで十分に解明されていなかった脳の生理的老化機構の一端が明らかになりました。特に、加齢に伴う神経活動の変化のメカニズムを分子レベルで捉え、その背景にLINC複合体の発現低下が関与することを示した点は、脳老化機構の理解に新たな視点をもたらすと考えられます。また、Sun1導入によって加齢による神経機能低下を抑止できる可能性が示されたことは、脳老化への介入戦略において重要な知見になると言えます。
今後は、Sun1導入が脳内の加齢変容に及ぼす作用の実態をより詳細に捉えることが焦点となります。さらに、脳老化に伴う神経活動の変化と個体レベルの行動・生理機能の安定性との関係を捉えることで、脳の老化が全身の加齢変化に及ぼす影響も明らかになると期待されます。
用語解説
(注1)核膜LINC複合体
核膜を貫通するSunとNesprinから構成されるタンパク質複合体で、核内と細胞質の細胞骨格を物理的に連結し、細胞骨格ネットワークの起点としてはたらき、また細胞内外からの機械圧を核に伝導する役割を担う。
(注2)軸索起始部(Axon Initial Segment : AIS)
神経細胞において活動電位(注4)が最初に発生する神経突起の根元の特殊な構造体であり、神経興奮性を決定する重要な役割を担う。特定のイオンチャネルが高密度に集積している。
(注3)アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター
特定細胞に効率よく遺伝子導入できる安全性の高いウイルスで、遺伝子治療のベクター(運び手)として広く利用されている。本研究では、脳のバリアである血液脳関門を通過可能な特殊なAAVベクターを用いて、非侵襲的な静脈注射によって脳内全域の神経細胞にSun1を導入した。
(注4)活動電位
神経細胞が情報を伝達する際に発生する電気的な信号。神経細胞内外の電位差が一時的に変化することで生じ、脳内の情報伝達の基盤となる。
(注5)クロマチン
細胞の核の中で、DNAがヒストンなどのタンパク質に巻きついて形成される構造。DNAをコンパクトに収納すると同時に、どの遺伝子を働かせるかを調節する“スイッチ”のような役割をもつ。
論文情報
論文名 Age-related decline in nuclear envelope LINC complex drives neuronal aging via axon initial segment dysfunction
著者 長谷川 孝一1 #、濱 徳行1, 12 #、雨宮 巳奈1, 2、曽 超3、伊藤 泰行1、鈴木 禎史1、中村 恵一郎1, 2、近藤 純平1, 2、武田 千春1、栗原 裕司4、池田 一穂5、藤田 幸4、岡田 康志5, 6, 7, 8, 9、豊田 敦10、浜田 道昭3, 11、桑子 賢一郎1 *
1島根大学医学部生理学講座(神経・筋肉生理学)、2島根大学医学部医学科、3早稲田大学理工学術院、4島根大学医学部解剖学講座(発生生物学)、5東京大学大学院医学系研究科細胞生物学教室、6理化学研究所生命機能科学研究センター細胞極性統御研究チーム、7東京大学大学院理学系研究科物理学専攻、8東京大学生物普遍性研究機構、9東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構、10国立遺伝学研究所比較ゲノム解析研究室、11産総研・早大生体システムビッグデータ解析オープンイノベーションラボラトリ、12現所属:山陽女子短期大学臨床検査学科 ( # 筆頭著者、* 責任著者)
掲載誌 EMBO Reports
掲載URL https://link.springer.com/article/10.1038/s44319-026-00786-5
研究支援
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(21K20692, 22K15093, 23K17426, 24K02421, 24K10052)、日本医療研究開発機構(AMED) 革新的先端研究開発支援事業(JP23gm6710013h0001, 23gm1710001)、文部科学省研究補助事業 学術変革領域[学術研究支援基盤形成]先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム(JP22H04925 (PAGS))、科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業(JPMJMS2025-14)、科学技術振興機構CREST(JPMJCR24T2)、ノバルティス科学振興財団、川野小児医学奨学財団、三井住友海上福祉財団、テルモ生命科学振興財団、UBE学術振興財団、武田科学振興財団、大和証券財団、ハーモニック伊藤財団、母子健康協会、ライフサイエンス振興財団、先進医薬研究振興財団、小林財団の助成を受けて行われました。








