Office for Promotion of Equality and Diversity早稲田大学 ダイバーシティ推進室

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ニュースレターNo.7 付録

東日本大震災-3.11その時、なにが起こったか-

2011年3月11日に起きた東日本大震災は、東北地方を中心に広範囲にわたって甚大な被害をもたらし、首都圏でも、建物の損壊、液状化被害、電車や地下鉄の全面運休などにより大混乱に陥りました。あの日、仕事と家庭の両立に挑戦していた教職員にはどんなことが起きていたのでしょうか。仕事と家庭の両立には、職場の制度や環境も重要ですが、個人や各家庭での十分な備えも必要です。将来、起こり得る災害の備えに、教職員みなさんの体験談をお役立てください。

  • 私は職場、妹は健康診断で出かけていましたので、家には高齢の両親だけがいました。母は「間質性肺炎」という病気で、肺の機能が低下しており、空気中から酸素を取り出す装置からビニールの管を使って、酸素を鼻から送り込んで暮らしています。停電になったら装置は停止してしまうのでとても心配しました。なかなか連絡が取れず、あきらめかけていた頃、やっと電話がつながり、妹が出て、皆無事と確認できました。しかし、私は「帰宅難民」となり、事務所で一夜を過ごし、翌朝帰宅しました。もし、あの時連絡がとれなかったら、停電になっていたら・・・と思うと、今でも胃が縮む思いがします。[専任職員(女性)]
  • 震災といえば、当日以降も、計画停電や交通機関の混乱により、日常生活が不便だったことが印象に残っています。鉄道の運行状況が日ごとに変わり、時間帯によっては自宅の最寄り駅まで運行しないこともありました。自転車(職場まで25km)や並走する路線での通勤を試行錯誤しましたが、運行状況の見通しのつかない日が続き、帰宅時間が遅くなりがちでした。まだ2か月になったばかりの娘の育児に追われていた妻へ、サポートが必要な時期に苦労をかけてしまいました。結局、しばらく母子ともに帰省することになりました。[専任職員(男性)]
  • 私の下の子は、東日本大震災の2日前に生まれました。母子ともに病院におり、心配でまっさきに安否の確認をしました。電話はつながりませんでしたが、メールで無事が確認できました。当日は電車での帰宅ができない状況でしたが、自宅までの距離が10km強なので、夜通し歩いてでも病院に寄って、帰宅することを考えておりました。そんな時、職場の同僚の配慮で、業務連絡用の自転車を借りることができました。帰宅できずに職場で一夜を明かした職員も多くいましたので、この配慮にはたいへん感謝しています。帰路の歩道は数珠つなぎの徒歩帰宅者であふれ、車も大渋滞、自転車が最も早い移動手段だったと思います。1時間ほどで病院に到着し、母子の状況を直接確認でき、心底ホッとしたことを覚えています。後日、停電やガソリン、水などの心配でバタバタしましたが、大きな問題はなくすくすく成長し今に至っています。[専任職員(男性)]
  • 震災当日は育児休職中で、7か月になる双子の子どもと家にいました。3歳の上の子を保育園に預けていましたが、余震の続く中、エレベーターが止まったマンションの7階から双子をかかえて保育園まで行き、子ども3人と無事に戻ってくる自信はなく、上の子の迎えは連絡が取れた夫に任せました。職場から2時間ほど歩いて保育園に到着した夫が、午後6時半頃、長男と一緒に、元気に帰宅してくれました。一安心するとともに、自分1人では3人の子どもを安全に守ることができないということを痛感した出来事でした。[専任職員(女性)]
  • あの日は育児休職中。尋常ではない揺れに、急いで上の子2人を迎えに保育園に。園では冷静に子どもたちを避難させてくれていましたが、私の顔を見た瞬間に子どもの顔がほっとしたのが印象的でした。でも、すぐにお迎えのこない子どもたちはとても不安そう。電話回線のパンクも予想し、可能な限りのママ友に「みんな大丈夫」とメールしたところ、後日「保育園に電話が通じないから不安だった、ありがとう」というたくさんのお礼の言葉が。働く親にとって、連絡・交通手段の途絶で我が子の無事が確認できないことほど不安なことはありません。実家・保育園や小学校・友人関係を巻き込んだ「いざという時のフォロー体制」づくりはとても重要だと実感しました。[専任職員(女性)]
  • 地震発生時は、ちょうど日本を訪れていた5人の中国人研究者をエクスカージョン先の箱根に連れて行った帰りのロマンスカーの中にいました。私は研究者5人に加えて、夫と子ども(当時10ヶ月)と一緒でした。車両が町田駅に入った時に揺れ始め、そのまま駅構内で夜中の1時まで過ごすことになりました。携帯電話もなかなかつながらず、情報が入手できず不安は募りましたが、幸い駅でスナックや飲料を買うことができ、子どものために持っていたオムツやミルクも足りました。子どもはベビーカーのなかで眠り、泣くと中国の先生方もかわるがわるあやしてくださいました。やっと電車が動いて新宿まで到着し、その後高田馬場の先生方の泊まるホテルまで40分ほど寒空を歩きました。私たちが徒歩とタクシーで自宅に着いたのは3時近くでした。家族が一緒にいたので安否を確認できないということはありませんでしたが、外国のお客さんと小さな子どもを抱えての移動は大変でした。また、ホテルに向かう途中には研究者1人が迷子になり、しばらく探しました(結局その時は見つからず、この研究者は自力でホテルに着いたそうです)。[専任教員(女性)]
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