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明治時代の早大野球部員 三神吾朗の米国遠征記⑥ 大学スポーツ設備への羨望

【現代語訳】山梨日日新聞 明治44(1911)年8月30日付け

【第6回】米国野球界の印象

シカゴ大でポーズをとる早大野球部員(写真:Hanna Holborn Gray Special Collections Research Center, University of Chicago Library)

アメリカの大学の運動施設
どの大学でも必ず立派な運動場を持っている。その上、必ずジムナジアム【体育館】(※1)というものがあって、水泳場もあり、冬季の運動場ともなる。これらは日本の大学などでは到底見られないもので、実にうらやましい限りである。その他、大学には舞踏場(ダンスホール)があり、演説場(講堂)があり、ある大学にはギリシア劇を上演する舞台さえあった。

そして大学の立地は、その地域で最も静かな場所にあるのが普通である。樹木が茂り、芝生の緑が一面に地面を覆う校庭に立てば、気持ちも心も自然と晴れ晴れとするほどである。

学業成績と選手資格
なお、大学の多くは野球選手に対して、必ず成績にある一定の基準を設けており、もしこの基準以下の成績ならば選手としての資格がないようにしてある。また、選手としての体面を汚すような者は、すぐに除名される。

日本の大学の課題
実際、アメリカの大学では自由に選手の選定や設備投資などができるので、立派なチームを作ることは容易である。しかし、これらのことを直ちに我が国の大学に応用するのは極めて難しい。というのは、第一に資金の問題である。

アメリカの大学は野球部の費用としてかなり巨額の金を投じているのに対し、我が国の大学では野球部に出す金というものが極めて少額で、到底アメリカのような設備を作り、また立派なコーチを雇うようなことは不可能である。したがってチームを完璧にするのはなかなか難しい。

過渡期の日本野球界
次に、我が国の野球界の現在は過渡期(※2)で、非常に厄介な時期に当たっている。慶應とか早稲田がある新しいことを始めると、中学生たちはその善し悪しも考えずに、すぐに真似をするのである。この点は大いに注意を要する。

一般に、アメリカにおける野球、特にプロのやり方は、学生としてはいささか応用し難いところである。また大学の野球でも、アメリカ式をそのまま日本に当てはめるのは考えものであろうと思う。

入場料問題
例えば、アメリカでは大学の試合などで観客から入場料を取る。アメリカで入場料を取るのは何でもないことだが、日本で日本人同士が競技するのに入場料を取ることは、よく考えなければならない。現在、我が国でも外国の野球団が来て試合をする時には、費用を賄うために相応の入場料を取っている。

ある新聞などは、「学生が入場料を取って試合をするのは、野球を興行物と見なすことで、体育の根本理念に反する」という意味で、それさえも攻撃している。

しかし、アメリカの野球団を招待し、両国の親善を図るという意味で野球試合を行う時には、その目的は全く商売的ではないのだから、相応の入場料を取って費用に充てることも、決して非難すべきではないと私は信じる。

【補足説明】
※1)体育館のことであり、略してジム。語源はギリシャ語の「gymnásion(ギュムナシオン)」で、古代ギリシャで体育訓練を行った場所に由来する。アメリカの大学では立派なジムナジアムを持っていたが、当時の日本の大学は屋外での運動が一般的で、武道場などの限定的な屋内施設しか所有していなかった。
※2)1911年当時、日本の野球はアマチュアのみで、プロ野球はまだ存在しなかった。早稲田・慶應などの大学野球が日本野球界をリードしており、中学生たちはこれを手本にした。

【原文】山梨日日新聞 明治四十四年八月三十日付け

米國野球界の印象(六) 早大野球選手 三神五朗

如何なる大學でも必ず立派な運動塲を持つて居るその上必ずジムナジアム【体育塲】と云うものがあつて水泳塲もあり、冬季の運動塲ともする。之等は日本の大學等では到底見られない處で實に羨望に堪へない次第である其他大學には舞踏塲あり演説塲あり或者の如きはギリシア劇をやる舞臺さへあつた。
そして大學の位置は、その地で最も閑静な處にあるのを常とする。樹木繁り、芝草の緑が一面に地を被う校庭に立てば氣も心も自づと晴れ晴れする位である。

尚大學の多くは野球選手たる者には、必ず成績にある制限を設け若し此制限以下の成蹟ならば選手たる資格がない樣にしてある、又選手としての体面を汚す者の如きは早速除命せらるる。

實際米國大學に於ては自由に選手の選定及設備等が出來るので立派なチームを造る事容易であるが、之等の事を直ちに我國の大學に應用するのは極めて難かしい、と云ふのは第一金の問題である、米國大學は野球部の費用として仲々巨額の金を投じているのに我國の大學では野球部に出す金と云ふものが極めて僅少で到底米國の如き設備をなし又立派なコーチを雇ふが如きは不可能であるから従つてチームを完全するは仲々六ヶ敷しい。

次に我國野球界の現今は過度時代で非常に面倒な時に當つている、慶應とか早稻田が或新しい事を初めると中學生達はその善惡をも考えずに直ちに真似るのである、之點は大いに注意を要する。

一般に米國に於ける野球殊に商賣人のやり方は學生としては聊か應用し難い所である又大學の野球でも米國式をその儘日本に當て嵌めるのは考えものであらうと思ふ。

例へば米國に於ては大學の試合等には見物から入塲料をとる、米國で入塲料を取るのは何でもないが日本で日本人同士競技するに入塲料を取る事は考へなければなるまい。現今我國でも外國の野球團が來て試合をする時には費用支辮の爲に相當の入塲料をとつている。

或新聞の如きは學生が入塲料をとつて試合をするのは野球を興業物視するので体育の根本感念に戻ると云ふ意味でそれさへ攻撃しているが米國野球團を招待し兩國の親善を量ると云ふ意味に於て野球試合をなす時にはその目的たるや全然商賣的でないから相當の入塲料をとつて費用に當てるも決して非難すべきではあるまいと信ずる。

※原文ママ

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