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対談:西野朗×岡田武史 ア式蹴球部からW杯日本代表監督へ
Thu 14 Sep 23
Thu 14 Sep 23
対談:西野 朗×岡田武史 ア式蹴球部からW杯日本代表監督へ
『早稲田スポーツ125周年記念誌』 Special Interview #5
ブラジル撃破の「マイアミの奇跡」を起こしたアトランタ五輪代表監督、西野朗。「ジョホールバルの歓喜」で初のW杯出場へと導いた日本代表監督、岡田武史。ともにW杯ベスト16進出も経験し、日本サッカー史に燦然と輝く伝説を生んだ名将同士が、二人の原点「ア式蹴球部」を語る。
※2022年11月競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より転載
東伏見で早稲田色に染まる
理不尽で壮絶だった寮生活

現役生たちの練習を見守りながら、自らのア式蹴球部時代の思い出話に花を咲かせる二人(撮影:幡原裕治)
人生に影響を与えるような人に出会えたことは、一番の財産
──岡田さんが1年浪人して入学し、ア式蹴球部に入部した際、西野さんは3年生。当時の思い出深いエピソードというと?
西野
初対面は大学ではなく、ユース代表合宿だよね。自分が大学1年で、岡ちゃんが高3か。大阪・天王寺高校のインテリ選手で、牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡をかけていて、「よくサッカーできるな」と思ったね(笑)。それが第一印象です。
岡田
西さんは、当時すでに日本代表も経験していたスター選手。遠慮してほとんど話もできませんでした。その後、浪人を経て早稲田に入学しましたが、1年サッカーから離れていたし、キャンパス生活を満喫したかったから、最初は同好会に入ったんです。そうしたらサッカー協会の人に「何のためにユースに呼んだと思ってるんだ。ア式蹴球部に入れ」と言われ、2ヶ月遅れで入部したら、西さんが「おぉ岡田、来たのか」と声をかけてくれて。当時は4年生に強烈な人が多く、西さんが助けてくれるかと思いきや、ほとんど部にいなかった。
西野
大学生活の半分は検見川の東大合宿所にいたからね。そこが代表のベースキャンプ地で、ユース、U23、A代表とバッグを変えながら各地を転戦。秋になってやっと東伏見の寮に戻ってくる流れだった。
岡田
でも、西さんが帰ってきたらすぐに分かる。見学の女子の数が全く違うから。
西野
いないからこその引け目みたいなものもあるんだよ。大学部活動の思い出と言えば、夏の菅平キャンプでしょ? 卒業後にみんなで集まっても、だいたい「あの合宿で先輩にしごかれて……」という話で盛り上がるけど、そこに加われないからね。でも、やっぱり寮は強烈な思い出。入学当初の志としては、サッカーも学業も両方がんばるぞ、と思っていたのに、6畳3人部屋ではとても勉強どころじゃない。加藤久(1979年教育学部卒※元日本代表DF)が寮を飛び出した気持ちもよくわかるよ。
岡田
僕も寮が嫌だったのに、4年で主将になったので入寮しなければならず……。それまでは下宿生活で、そこに寮を出た久が転がり込んできたんですけどね。
西野
あー、久と二人で住んでたよね。
岡田
久は同い年ですからね。彼も波瀾万丈のア式生活で、「岡田、俺はもう辞める。こんな上下関係やってられない」と分厚い手紙をもらったこともありましたよ。
西野
宮城の実家に帰っちゃったんだよね。みんなで連れ戻しに行ったなぁ。当時の先輩方は最後のバンカラ世代というか、よく言えば個性派集団。理不尽なことも多くて、純粋なサッカー少年だった自分もいろんな色に染まって逞しくなりました(笑)。
腹をくくった代表監督就任
大事なのは「覚悟」「直感」「閃き」

西野は2018年のロシアW杯で日本代表を2大会ぶり3回目のベスト16進出に導いた
──共に代表監督を務めてW杯に出場。Jリーグで優勝監督も経験されています。お互いをどんな指導者と分析しますか?
西野
世界でも、僕と岡田だけじゃないかな。クラブで指導者としての経験を蓄積する前に、いきなり代表チームを率いたのは。僕の場合はU20の監督から始まって五輪代表へ。岡ちゃんはご存じの通り、いきなり代表監督になったわけで。そうなると、もう覚悟というか、いかに決断してチームを動かしていくか。そうなってくると最終的には「直感」と「閃き」なんだよね。でも、岡ちゃんを見ていると、同じように直感と閃きで動かしていると感じる一方で、僕が驚いたのは、直感にもデータや分析といった知的な要素をひと味加えていること。そこに憧れたし、尊敬していました。
岡田
よく言いますよ(笑)。僕なんか、そもそも指導者になるつもりがなかったから。現役を終えた古河電工でそのまま社長を目指すつもりでいたら、代表でコーチをやれ、と呼ばれてしまい、気がつけば代表監督にならざるを得ない状況で、腹をくくる以外なかった。結局、僕らの仕事は正解がないことを決めていくこと。そこで一番大事なのは「覚悟」なんですよね。僕だってみんなから好かれたいけど、ピッチには11人しか出せないし、W杯には23人しか連れていけない。その覚悟ができるか。
西野
岡ちゃんが言うと説得力がある。
岡田
西さんもそれを知っているから覚悟をされているし、それ以上に我慢強いですよ。その我慢強さ・芯の強さは僕にないもの。僕は気が短くてすぐにパッパッパッと動いてしまうけど、西さんは非常に我慢強い、と思っていたら、単なる鈍感だったんだけど(笑)。でも、やっぱり我慢強い。
──お二人はともに緊急事態の日本代表を引き継ぎ、岡田さんは南アフリカW杯、西野さんはロシアW杯で、それぞれ逆境の中でベスト16入りを果たしました。
西野
僕は本大会しかやっていないので、逆境だなんて言えないですよ。岡ちゃんの大変さとは比べられないです。アジア予選の途中で引き継いで本大会に持っていくアプローチだったり、それこそ、今の森保一監督のようにアジア予選の最初からW杯本大会までずっと代表に携わるアプローチの厳しさなんて計り知れないです。僕の場合、とにかく「サッカーファミリー」として、日本サッカーに携わるみんなと一緒に喜びたい、サッカー界を前に進めたい、選手に成長してほしいという単純な感覚かな。だから、逆境と感じたことはないです。
岡田
確かに客観的に見たら逆境だし、プレッシャーはあったけど、「そんなこと言われても俺のせいちゃうよ。責任は会長やで」と開き直ってしまったから。むしろ、「このチームでこうしたらもっと上手くいくはず」とずっと考えていましたね。
──お二人が経験したW杯ベスト16。その先に進む上での課題は何でしょうか?
岡田
すでにフィジカルでも技術でも戦術眼でも、日本は負けてない。その上で、個々が主体的に動くようなチームになっていくことが一番大事かな。
西野
代表チームだけじゃなく、サッカーファミリー全体で意識を共有することだと思います。姿勢的に小国の戦い方をする必要はない。一人一人が自らアクションを起こしていくような感覚、その中で戦う必要がある。厳しい相手でも、乗り越える勝負強さ、戦える力は十分にありますよ。
「自分らしいチャレンジ」の先に
早稲田らしい個性の幅が生まれる

2010年の南アフリカW杯で日本代表を率いた岡田。決勝トーナメント1回戦では惜しくもPK戦で敗退した
──今、「サッカーファミリー」という言葉が出ました。日本サッカーの歴史を振り返ると、要所要所で早稲田出身者がキーマンとなる印象です。お二人はもちろん、メキシコ五輪得点王で日本代表最多得点記録保持者の釜本邦茂さん(1967年商学部卒)、Jリーグ初代チェアマンやサッカー協会会長を歴任された川淵三郎さん(1961年商学部卒)……ほかにも代表監督経験者9名を含め、早稲田から続々とキーマンが生まれる要因は?
西野
共通しているところはないよね。
岡田
性格はみんな似てないですよ。結局、早稲田にはいろんなタイプの人間が集まるから、結果として重要なポジションを任される人間も多くなるのかなと。その分、とんでもない人間もたくさん集まりますけどね(笑)。
西野
くぞこれだけ強者どもが集まったというか、性格の違うメンバーが揃ったというか。岡ちゃんもそうだけど、浪人してまで早稲田に入りたいという気概のある人間も多い。育った土地・環境での性格の違いもあるんだろうけど、その感性、価値観の幅には本当にビックリする。
岡田
先日も「早稲田に行って何がよかったですか?」と質問されたんですが、一つ挙げるなら、いろいろなタイプの人間に出会えたこと。自分にとってはア式蹴球部の部長であり、政治経済学部のゼミの教授でもあった堀江忠男先生がまさにそう。さまざまな意味で人生に影響を与えるような人に出会えたことは、一番の財産だよね。
──日本のスポーツ界の中で、大学サッカーの可能性、大学スポーツに期待する役割はありますか?
西野
昔は周りも「一度大学に行ってからプロでも遅くないんじゃないか?」と言っていたけど、そこは今、厳しいですよね。本気で強化するなら練習環境や指導者を揃える必要があるけど、予算面も含め、一朝一夕に改善できるわけではないですから。
岡田
プロを目指す上では4年は長すぎる。2年で一度区切りを入れてセレクションして、必要ならもう2年、という選択肢もアリかもしれない。ただ、僕は大学サッカーで一流選手の輩出を無理に目指さなくてもいいと思うんです。それよりもスポーツ界を支える指導者なり、マネジメントなり、そういう人材を輩出していく機関を目指すほうがいいのではないかと思います。
その時代ごとに″早稲田らしさ〟を感じてほしい

岡田とパスを回しながら、東伏見の街の移り変わりに話を膨らませる西野(撮影:幡原裕治)

岡田は現役生への訓示に、学生時代ゆえのチャレンジ精神の大事さを語った(撮影:幡原裕治)
──ア式蹴球部は2024年に創部100周年を迎えます。伝統のさらに先へ進まんとする現役生やこれから入ってくる学生に向けてエールをお願いします。
西野
僕らの学生時代から半世紀近く経っているわけで、サッカー界の環境も部活動の在り方も大きく変わった中、その時代ごとに“早稲田らしさ”を感じてほしいし、自分たちで作ってほしいですね。
岡田
僕らは理不尽な時代の早稲田にいたけど、その理不尽さにも鍛えられた。学生時代というのは社会の流れからちょっと離れる時間。だからこそ積極的にチャレンジもできる。時には社会の理不尽さを知るだろうけど、言われたことを計画通りにやるだけじゃない、「自分らしいチャレンジ」をしてほしい。それが結果として個性を持った人間の集まりになるはずだから。
Profile
岡田武史(おかだ・たけし)
1956年8月25日生まれ、大阪府出身。現役時代はDF。天王寺高校から1浪を経て早稲田大学へ。4年時にア式蹴球部主将。1980年政治経済学部卒業後は古河電気工業サッカー部へ。日本代表でもプレー。引退後、日本代表監督としてフランスW杯、南アフリカW杯で指揮。その後もコンサドーレ札幌(J2優勝)、横浜F・マリノス(J1連覇)などで監督を歴任。現在はFC今治オーナー、日本サッカー協会副会長。
西野朗(にしの・あきら)
1955年4月7日生まれ、埼玉県出身。現役時代はMF。浦和西高校から早稲田大学へ。ア式蹴球部時代に各年代の代表として活躍。1978年教育学部卒業後は日立製作所サッカー部へ。引退後、1996年アトランタ五輪代表監督。Jリーグでは柏、ガンバ大阪、神戸、名古屋で監督を歴任し、通算270勝は歴代1位。2018年、ロシアW杯直前に日本代表監督に就任し、本大会ベスト16入り。タイでも代表監督を務めた。
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)
写真提供:共同通信

東伏見グラウンドにてア式蹴球部部員と記念撮影する西野と岡田(撮影:幡原裕治)