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対談:五郎丸歩×斎藤佑樹  社会旋風を巻き起こしたスターの思い

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Thu 14 Sep 23

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Thu 14 Sep 23

五郎丸歩×斎藤佑樹  社会旋風を巻き起こしたスターの思い

『早稲田スポーツ125周年記念誌』 Special Interview #3

W杯での「世紀の番狂わせ」をリードし、日本ラグビーの顔となった五郎丸歩。片や高校時代に甲子園を制し、大学野球でも数々のドラマを生んだ斎藤佑樹。「五郎丸ポーズ」と「ハンカチ王子」というムーブメントも生んだ二人に聞く、早稲田スポーツの「伝統」と「これから」──。

※2022年11月競技スポーツセンター発行『早稲田スポーツ125周年記念誌』より転載

期待を胸に。伝統を糧に。
憧れ続けた早明&早慶戦

2015年のラグビーW杯・日本―サモア戦で、タックルをかわし攻め込む五郎丸

2015年のラグビーW杯・日本―サモア戦で、タックルをかわし攻め込む五郎丸

早稲田に入ることでしか味わえないことがある

──五郎丸さん、斎藤さんはともに現役時代に社会現象になるほどのフィーバーを起こしました。そんなお互いの印象は?

五郎丸

斎藤さんを最初に知ったのは僕が大学3年のとき。早稲田実業のエースとして全国制覇をした2006年夏の甲子園。フィーバーが起きながらも自分を見失わずにプレーする姿を見て、このまま早稲田大学でも活躍してくれるだろうなと期待を抱きました。入学後、本部キャンパスの体育各部の集まりで一度お会いしましたよね。「あ、テレビで見た人だ」と思いました(笑)。

斎藤

僕自身は入学前から五郎丸さんのことを「早稲田のスーパースター」だと思っていましたし、「五郎丸ポーズ」で話題になった2015年W杯のときも、大先輩が世界で活躍する姿や日本中が熱狂する光景を見て、すごくうれしかったですね。「俺、同じ大学だったんだよなぁ」と誇らしかったです。

──大学スポーツの中でも野球の「早慶戦」、ラグビーの「早明戦」は特別な存在です。実際に活躍されたお二人にとっても特別な思いがあったのでは?

五郎丸

そうですね。僕自身、小さいころからの憧れでしたし、早明戦でプレーしたいと早稲田を志望しました。早明戦に出たいがために二浪三浪してくる人間もいます。プレーヤーとしてはもちろん、それを見るファンにとっても改めて特別な存在なんだと感じます。そういった意味でも「伝統」というのは本当にありがたいですね。

斎藤

僕が早稲田実業から「受験してみないか?」と誘っていただいたのが中学3年のとき。受験する上ではやはり早慶戦は見ておかないと、と思って観戦したのが2003年、鳥谷敬さん世代が4年生だった秋の早慶戦でした。そのとき、「自分もここで投げたい」と思ったことを覚えています。実際に大学で早慶戦のマウンドに立ったときは、「あのときの感動を、これから早慶戦を目指す子どもたちにもちゃんと見せていかなければ」と、プレッシャーを感じましたね。

斎藤は東京六大学で活躍後、4球団競合の末に北海道日本ハムファイターズに入団した

斎藤は東京六大学で活躍後、4球団競合の末に北海道日本ハムファイターズに入団した

2022年の夏の甲子園で始球式を務める斎藤。高校野球ファンから大歓声を浴びてマウンドに立った

2022年の夏の甲子園で始球式を務める斎藤。高校野球ファンから大歓声を浴びてマウンドに立った

五郎丸「不可能はないと学んだ」
斎藤「自分の力よりもチーム力」

勝つことも
早稲田ラグビーの一つの伝統

早明戦で激しいタックルをかわす五郎丸。両校の試合は大学ラグビーでも「特別な一戦」と五郎丸は言う

早明戦で激しいタックルをかわす五郎丸。両校の試合は大学ラグビーでも「特別な一戦」と五郎丸は言う

五郎丸はフルバックでプレーした。スピードやキック力が問われる花形ポジションである

五郎丸はフルバックでプレーした。スピードやキック力が問われる花形ポジションである

──五郎丸さんは入学1年目から大学選手権優勝。4年間で3度日本一という黄金期でした。そんな偉業とともに、大学2年時の2006年、日本選手権でトヨタ自動車に勝利したことも目を引きます。大学生が社会人に勝利するのは18年ぶりでした。

五郎丸

実はその年の最初のミーティングで「大学日本一じゃなく、社会人のトップ4に勝つことが目標だ」と掲げていました。社会人に勝つことが非常に難しくなった時代でも、その強い相手にどう勝つかを求めてきたのが早稲田大学ラグビー蹴球部です。やはり不可能はない、ということを学んだ出来事でしたし、それが2015年のW杯で南アフリカを破った試合にもつながっているはずです。絶対に無理だと世論が言っているなかでチャレンジし続ける面白さ、大切さはその当時から感じましたね。

──3年時だけ大学日本一を逃しました。最終学年で期するものもあったのでは?

五郎丸

もちろん、もう負けられないという気持ちもありましたし、「伝統への挑戦」という部分もありました。早稲田のラグビーは、基本的に「バックス」という後ろで走る人たちがボールを動かして勝つのが伝統ですが、我々が4年のときはフォワードが強い年でした。早稲田のオールドファンほど、「バックスで展開して勝つ早稲田が見たい」と望んでいますが、我々は前年負けていますから、勝つことにこだわりたかった。伝統は伝統として置きながら、勝つことも早稲田ラグビーの一つの伝統だと、愚直にフォワードで勝ちに行った1年間でした。

──また、大学1年時にイングランド代表(当時)ジョニー・ウィルキンソン選手が来日し、早稲田の上井草グラウンドで開いた勉強会での学びが大きかったとお聞きします。ウィルキンソン選手のキックの際のルーティンは、後の「五郎丸ポーズ」の元になったとも言われていますが。

五郎丸

ウィルソン選手は、私が早稲田に入学する前年、オーストラリアで開かれたW杯で優勝したイングランドのスタンドオフです。そんな偉大な選手がグラウンドに誰よりも早く来て、キックだけでも1時間半黙々と練習している姿を見て、「世界のトップはここまでするのか!」と感銘を受けたことはいまだに記憶に残っています。そんな経験ができたのも、早稲田ラグビーだからこそ、ですよね。

元イングランド代表のジョニー・ウィルキンソン氏(ASCAL GUYOT/AFP)と五郎丸歩選手(共同通信)

元イングランド代表のジョニー・ウィルキンソン氏(ASCAL GUYOT/AFP)と五郎丸歩選手(共同通信)

1年生からエースとして活躍し、東京六大学に社会現象を巻き起こした斎藤

1年生からエースとして活躍し、東京六大学に社会現象を巻き起こした斎藤

早稲田の野球部が日本の野球界を作ってきた

──斎藤さんの大学4年間も振り返ります。高校3年で全国制覇を成し遂げ、大きな注目を集める中での入学でした。当時はどんな青写真を描いていましたか?

 

斎藤

入学したときはすごく調子に乗っていて、東京六大学記録である山中正竹さん(法政大)の通算48勝を絶対に超えたいと思っていました。でも、投げてみたら「これはさすがにちょっときついな……」と、六大学のレベルの高さを感じましたね。

──それでも、1年生では史上初の春夏連続ベストナインを受賞。48勝にこそ届きませんでしたが、4年間で通算30勝300奪三振は史上6人目という大偉業でした。

斎藤

夏の甲子園で優勝して以降、運良く勝ち続けることができましたが、2年以降はなかなか勝てない日もありましたし、ケガで思うように力を出せない時期もありました。その分、勝つために重要なのは自分一人の力ではなく、チーム力だと学んでいきました。調子が良いときも悪いときも試合で使っていただいた当時の應武篤良監督(1981年教育学部卒。2022年9月7日に逝去)には、感謝の気持ちでいっぱいです。

──4年時は主将に就任。「野球部第100代主将」ということでも注目されました。

斎藤

ちょうど50代主将が早稲田実業OBで直接指導していただいたこともある徳武定祐さん(1961年商学部卒)。同じ節目に早稲田実業出身の僕が主将になれるのはすごく光栄だと思いましたし、その重責を担えるのか、早稲田をどう強くできるかをずっと考えていました。

──実際に秋季リーグで優勝。50年ぶりの早慶優勝決定戦、という劇的展開でした。

斎藤

あの時期、自分は本調子ではなかったんですが、そこまでの過程で学んだ「自分のパフォーマンスは悪くても勝つ、勝てる」と信じて挑んだシーズンでした。結果としてみんなの力で勝ち取れた優勝だと思っているので、本当にうれしかったですね。

日本のスポーツを牽引する存在
チャレンジこそが早稲田の伝統

早稲田スポーツミュージアムで対談する五郎丸と斎藤(撮影:石垣星児)

早稲田スポーツミュージアムで対談する五郎丸と斎藤(撮影:石垣星児)

──2021年に引退されたこともお二人の共通点です。今後の目標は?

五郎丸

今は早稲田の大学院(スポーツ科学研究科)で学ばせていただいています。現役中はある程度感覚的な表現でもそれがチームのためになっていましたが、プレーで表現できない今、自分の考えは10割をちゃんと伝えないと相手に伝わらない、ということを実感したからです。特に運営面の立場に立つと、サッカーJリーグ、バスケBリーグ、そしてプロ野球と、バックグラウンドの違う人たちとの交流も必要になります。ラグビーの世界だけで思考が固まらないためにも、視野を広げているところです。

──改めて通う大学キャンパスはいかがですか?

五郎丸

大学生のときは正直、授業って本当に面白くなかった(笑)。ラグビーに意識が向きすぎて、あまり頭に入ってこなかった面もあります。でも今は自分が興味を持って通っているので気づきも多く、非常に面白いですね。僕はそれまで、大学院という場所はキャリアアップするために通うものだと思っていました。でも、実際に入ってみると、60歳を過ぎた人や社長を退任された方も多い。この人たちは一生学び続けたいんだ、ということに感銘を受けていますし、大学院の奥深さを感じています。

斎藤

私は引退後、すぐに「株式会社斎藤佑樹」という会社を立ち上げ、野球の未来を自分なりにどう作っていくかを日々考えています。今は高校野球を中心に取材活動をしていますが、選手たちのがんばりをちゃんとみなさんにお伝えしていきたいですし、100年の歴史を持つ高校野球がこれからの100年も成長していけるように、僕なりに手伝えることをがんばっていきたいですね。

──歴史という点で最後にお聞きします。125周年という節目を迎えた早稲田スポーツの「これから」に期待したいことは?

五郎丸

この125年で早稲田が積み重ねてきたのは、とにかくチャレンジすること。誰もが諦めることでもチャレンジして結果を残してきたことがこの早稲田スポーツの伝統であり、世代が変われども続いてほしいアイデンティティだと思います。

斎藤

早稲田大学野球部が日本の野球界を作ってきたといっても過言ではないと思いますし、野球以外でも早稲田が日本のスポーツを牽引してほしいという思いがあります。現役学生の中には、社会人になるための準備の4年間ではなく、もうすでに世界に羽ばたいている方もたくさんいるはず。これから早稲田を目指す方にも世界で活躍できるような視野の広さを持ってほしいですし、株式会社斎藤佑樹としてもそんなすてきな方と一緒に仕事がしたいです。

五郎丸

これから早稲田大学を目指す子どもたちには、早稲田に入ることでしか味わえないことがある、という点も伝えたいですね。それが伝統の持つ意味でもあるし、時にそれは重荷にもなりますが、その負荷を乗り越えた先にすごい世界が待っています。挑戦しがいのある大学で、ぜひ自分なりのチャレンジをしてほしいです。

Profile
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)

1986年3月1日生まれ、福岡県出身。佐賀工業高校では3年連続で花園に出場。2004年に早稲田大学スポーツ科学部に入学し、4年間で3度大学日本一を経験。卒業後はトップリーグのヤマハ発動機や海外でもプレー。日本代表テストマッチ最多得点記録を持ち、2015年ラグビーW杯では大会ベスト15。2021年に現役引退。2022年から早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に在籍。

 

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)

1988年6月6日生まれ、群馬県出身。早稲田実業3年の2006年夏の甲子園では、田中将大(現・楽天)擁する駒大苫小牧を決勝再試合の末に倒して全国制覇。翌年に早稲田大学教育学部に入学し、4年間で4季優勝の主軸として活躍した。2010年ドラフト1位でプロ野球・日本ハムへ。プロ2年目に開幕投手も経験。2021年に現役引退。「株式会社斎藤佑樹」を設立し、多方面で活躍中。

取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)

写真提供:共同通信

戸山キャンパスにあるコンバットバーチ記念碑の前で記念撮影する五郎丸と斎藤(撮影:石垣星児)

戸山キャンパスにあるコンバットバーチ記念碑の前で記念撮影する五郎丸と斎藤(撮影:石垣星児)

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