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国旗の専門家として、4度目のオリンピック・パラリンピックに臨む 吹浦忠正さんインタビュー

1964年の東京オリンピック大会には、世界から94の国と地域が参加しました。世界に戦後復興を果たした日本の勇姿を披露する国を挙げての一大イベントで、参加国すべての国旗の仕様書作りから、掲揚・降納までの大仕事を任されたのは、当時本学の学生だった吹浦忠正さんです。その活躍ぶりは昨年のNHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺~』でも描かれ、俳優の須藤蓮さんが演じ、話題となりました。以降、札幌、長野で開催されたオリンピック大会でも大役を任されました。東京2020大会では国際局アドバイザーとして、国旗に関する様々な業務をサポートしています。3月24日、本学の校友会は、校友会活動への顕著な貢献をした方の栄誉を讃え、校友会稲魂賞(とうこんしょう)の表彰式を実施いたしました。吹浦さんは社会に感銘を与えるような活躍をした校友として、稲魂賞特別賞を受賞されました。この賞を受賞された吹浦さんに、オリンピック大会での苦労やエピソード、さらには「79歳になった今でも、まだまだ興味は尽きない」と語る吹浦さんの「国旗愛」について話を聞きました。

 

大抜擢!大学2年でオリンピック国旗担当者に

1964年東京大会が開催される2年前のある日、突然オリンピック組織委員会から呼び出されました。小学生で国旗に興味を持ち、以来研究を続けていた私は、大学2年生の時点で2冊の国旗に関する本を出版していました。組織委員会が「国旗に詳しい人物」を外務省、日赤、ユネスコに問い合わせたところ、「吹浦」という名前しか出てこなかったそうで、私にお呼びがかかったということでした。

次の日、早大正門前についた黒い「1964」のナンバーをつけた車に乗せられ組織委員会事務局に。そこで待っていたのは、当時組織委員会事務総長であった田畑政治さんでした。そこで「ユニオンジャックがついている国旗を持つ国は、どんなところがあるかね?」といきなり問われました。生意気盛りだった20歳の私は、オーストラリアやニュージーランドといった有名な国では面白くないだろうと「バルバドス、バミューダ、バハマ、北ローデシア、香港…」とアルファベット順に片っ端からユニオンジャックが入った国旗を持つ国を挙げていきました。

「もういい、君が国旗に詳しいのはよくわかった」と言われ、「吹浦君、正しい国旗を正しく掲げることが君の仕事だ」と、即時採用が決まったのです。

 

「正しい国旗をつくる」ことの難しさ

すぐに組織委員会で全参加国の国旗を製作する仕事が始まりました。「国旗をつくる」というと奇異に感じる人もいると思います。しかし国旗について明確な規定がある国もあれば、法制化していない国もあります。また縦横比も国によってバラバラ。オリンピックでは「すべての国旗が同サイズでなければならない」という決まりがあるので、それを調整する必要があるのです。その図面を描き、製作指示書にまとめて、発注することが最初の仕事でした。

中でも苦労したのは日本の国旗です。当時日の丸の赤は「紅色」とされており、明確な明度、色調、彩度などは決まっていませんでした。そこで財団法人日本色彩研究所と、当時2000種類の口紅を手がけていた資生堂研究所の協力を得て、約500軒の民家を回り、一般家庭で所有している日の丸の「紅色」の平均値を割り出していったのです。こうして決めた色を、最終的に日の丸の赤として採用しました。

また参加各国との確認作業も難航を極めました。なにせ今のようにメールで簡単にやり取りをすることができません。見本をエアメールで送り、確認の返信が来るまで数週間待ち、また確認……という作業に追われました。印象に残っているのはアイルランド。とても神経質な国民性なのか、緑、白、オレンジの3色それぞれに強いこだわりがあり「この2つの中間色にしてほしい」と2種類の色彩の国旗を送ってきました。結局、実に8度のやり取りを重ねて、ようやく開幕4ヶ月前に承認に漕ぎ着けました。この時の 各国オリンピック委員会とのやり取りにおける苦労は、現在、小学校6年生の「道徳の教科書」(日文教)に6年間掲載されています。

1964年東京大会の後も札幌と長野オリンピック大会に携わり、東京2020大会でも現在数名の専従スタッフとともに国旗の担当をしています。国旗の製作から掲揚・降納まで「うまくできて当たり前、失敗すると国際問題」という緊張感のある仕事ですが、毎回使命感に燃えて全力で取り組んでいます。

国旗を正しく掲揚することも吹浦さんの仕事。各国の国歌の長さを把握し、それに合わせて上げる掲げるスピードを担当者に覚えさせる。

 

一生をかけるべき仕事で、世界に羽ばたいてほしい

私が国旗に魅せられたきっかけは小学校4年生の時、教室に貼られていた世界地図を見ていて「北ヨーロッパの国旗は、なぜどれも同じ十字型のデザインなんだろう?」と疑問を持ったことが始まりでした。担任の先生に質問したところ「それよりも国語、算数、理科、社会をもっと勉強しなさい」と言われ、その通りに真面目に勉強したんです。すると、ますます国旗のことが面白くなりました。それは国旗には、語学、幾何学、歴史、宗教、民俗学、哲学、さらには色彩学、光学、布の製造法まで、あらゆる学問が関係しているからです。以来、79歳になった今でも、毎日のように国旗に関する新しい気付きを得ています。

私の学生時代はオリンピックの国旗担当者としての業務と、献血推進学生連盟での活動に注いできました。そしてその経験が、国際情勢研究や国際赤十字での仕事、難民支援といった、その後の私のライフワークともいうべき仕事につながっていきました。「一生をかけてもできないからこそ、一生をかける。一人ではできないからこそ、まずは一人でもやってみる」というのが、学生時代に気付いた私の人生観。現在の早大生にも、「これだ!」と思ったことをとことん突き詰めて、世界に羽ばたく人材になってもらいたいと思います。

「世界情勢に合わせて国旗は頻繁に変化するので、毎日目が離せないんです」と語る吹浦さんの「国旗愛」は尽きることがない。

 

プロフィール

吹浦忠正

幼少時から国旗に親しみ、早稲田大学第一政治経済学部在学中に第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当専門職員となる。早稲田大学大学院政治学研究科修了後、国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、難民を助ける会副会長、長野冬季五輪組織委式典担当顧問、埼玉県立大学教授などを経て、現在は公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会国際局アドバイザー、法務省入国管理参与員、社会福祉法人さぽうと21、NPO法人ユーラシア21研究所各理事長、NPO法人世界の国旗・国歌研究協会共同代表など多方面で活躍している。

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