現職:早稲田大学日本語教育研究センター インストラクター(任期付)
私にとって2001年の9月は、母が他界し、アメリカ同時多発テロがあり、日研2期生として早稲田に入学するという、まさにそれまでの価値観を変える出来事が続きました。日研10周年はあれからの私の10年と重なります。
日本語学校で専任をしていた頃、力のある先輩達が次々と大学院に進学するため辞めていきました。今から思えば非常に自律的な教師が集まった学校だったので、自然に私も彼らの後ろ姿を追いかけたいという気持ちになりました。そして興味があった第二言語習得の分野を研究するためいろいろ調べたところ宮崎里司先生にたどりつき、まずは学外者も受講できる先生の講座に通うようになりました。仕事の合間に大学院受験の準備を進めていましたが、母の病状が悪化し、一時は受験を断念することを考えました。しかし、宮崎先生の温かい励ましもあり、なんとか日研生になることができました。
入学してからの2年間は視界が一気に広がったように、様々な角度から日本語教育を考える毎日となりました。これほどバラエティに富んだ分野について学べる大学院は早稲田のほかにはありません。時に、授業で学んだ理論がそれまでの現場で得た経験に合致せず、自分の中で消化できずに苦しむこともありましたが、日研の仲間、特に同期の存在によって乗り越えることができました。
2003年の日研修了後はバンコクに設立されたばかりのWaseda Education (Thailand) の立ち上げに派遣され、海外に学校をつくるという新しい経験をさせていただきました。学校が軌道に乗るまでは大変なことばかりでしたが、苦労を共にした同僚やスタッフとは強い絆ができました。また、毎年日研の先生方が来校してくださったことも心強いサポートとなりました。私の在任中には細川英雄先生、川口義一先生、吉岡英幸先生がいらしてくださり、一緒に観光したり、お食事をしたりしたことは今では懐かしい思い出です。
帰国後の2006年からも早稲田のETP (Executive Training Programme) や他大学のアジア人財資金構想など、新しいプログラムをゼロから作り上げていく仕事に携わることが続きました。そこで私が力を発揮できたのは、日本語学校での実践と、日研で学んだ理論が強固なベースになっているからだと思っています。そして、新しいものを作っていく面白さと難しさを学ぶと同時に、意外と自分に向いていることがわかったことも一つの発見でした。
今年度から日本語教育研究センターの職に就いています。日研生時代の仲間が今では同僚となり、相変わらずエネルギッシュに進化を続ける先生方を間近に見ながらセンターの運営に関わっていけるということはとても刺激的です。私も今の自分に満足することなく、次の10年も進化し続けていきたいと思います。