現職:早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程学生
日本語教師をしていた私が日研への入学を決めた理由は、よりよい指導法を学び、よりよい教師になるためである。しかし、入学後、日研はそれ以上のものを私に与えてくれた。
まず、「考える力」である。入学してから、常に頭をフル回転させ、いろいろなことについて考えている気がする。入学当初、すぐに答えを与えてくれない日研の先生方に戸惑いを覚えたこともあった。しかし、それは、私たちに考えさせようとしたからなのだと思う。もしすぐに答えを得ていたら、私はそれほど深く考えなかっただろうし、考えずに得た答えにそれほどの意味を見いだせなかっただろう。長い時間考えて得た答えは大きい。必ずしも答えのある問題ばかりではないが、考えることに意味があるのだと思う。私は、今後、あらゆることについて考えていくだろう。日研は私にその力を与えてくれた。
次に、「ことばにする力」である。日研では考えたことを日々ことばにしている。授業やゼミ、メールでは常にディスカッションが行われている。自習室で自主的に話し合いの場が設けられることも多く、また、大学の外でも、日研生が集まればすぐに議論が始まる。ディスカッションを通して、自分の考えを相手にわかりやすく伝える力や、反論する力、説得する力が身に付いた。また、自分が問題を抱えているときや、頭の中が混乱しているときも、ことばにすることが大きな役割を果たした。ことばにすることで、解決策が見えてきたり、頭の中が整理されてきたりするのである。日研は私にその力を与えてくれた。
このような力は、教師としてだけでなく、研究者として、また人間として生きていく上で、重要なものである。つまり、日研は、私を人間として成長させてくれたのではないかと思う。