サイエンスとフィクションの間 ─ ゴリラ学者が フィールドワークから考える(2025/10/9)レポート(後編) 対談:山極壽一(霊長類学者) × 小川洋子(小説家)

「科学と文学」をテーマにした特別講演会の第二弾として、村上春樹さんと親交がある霊長類学者の山極壽一さんを招いた講演会を開催しました。第二部 小川洋子さんとの対談の様子をご紹介します。第一部 講演の様子はこちらをご覧ください。

対談の様子は早稲田大学公式YouTubeチャンネルでも公開しています。動画の視聴はこちらをご覧ください。
 


 

山極さんと小川さんが初めて会ったのは、京都で開かれた河合隼雄物語賞・学芸賞の選考会の席だったそう。その後、同賞の記念講演会で公開対談が実現。この対談に加え、京都大学の山極研究室や屋久島の原生林で行われた合計四回の対談を収録した共著『ゴリラの森、言葉の海』(新潮社)が出版されています。
 

「人間の脳の容量はゴリラの三倍あるそうですね」。

こう小川さんが、山極さんに問いかけることで対談は始まりました。

「人間の脳がそんなに大きくなったのは、言葉を獲得して思考能力が高まったからだと、普通なら考えますよね?」と尋ねられた山極さんは、「人間の脳の容量は言葉を話しだす前に、現代人並みまで達していました。それは言葉によらない記憶によって達成したということです」と説明。続けて「集団が大きくなれば、当然、付き合う仲間の数が増える。すると仲間の性質や行動様式を記憶しておいたほうが、対処しやすくなる。社会の複雑さが増すほど、記憶量も増えます。それは言葉ではなく、経験として情報が頭に入ってくるからなのです」と語りました。

 

その後、話題はサルが社会という概念を認識していることは、日本の研究者によって初めて発見されたことへと移ります。

山極さんは「ニホンザルの個体一頭一頭に、名前を付けて、行動を記録したところ、サルはそれぞれの個体を見分けて行動し、自分の群れと他の群れのサルを区別して付き合っていることが判明したのです」と、解説。そして、山極さんがこの名付けに関連して「小川さんは小説に登場する動物に名前を付けるか」と問うと、小川さんは「動物には名前を付けますが、人間には付けない」と即答しました。場内が笑いに包まれるなか、小川さんは「名前を付けると、感情移入してしまうし、なぜこの名前にしたかという理由が必要になる。それは物語にとって余計な情報になるので、付けないのです」と、説明しました。

さらに、「作品を書き進めるうちに、登場人物が自分の考えとは違う行動をとり始めるそうですね?」と問われた小川さんは、うなずきながら、「でも、先生もゴリラを相手にされていたら、すべてが予想通りにはいかないですよね?」と返します。すると、「動物園の動物と違って、野生のゴリラには餌をやるなどのコントロールをしない。むしろ向こうがこちらをコントロールすることが多いのです」と山極さん。その後、ゴリラの挨拶の声真似をしてみせた小川さんに、山極さんが、「そうではなく、ウウウ……」と正してみせるなど、お二人の楽しいやりとりが続きます。
 

対談の中盤で山極さんは、「人間は言葉を持つ前から物語を持っていたのではないか」という大きな問いを投げかけます。

ゴリラやチンパンジーにとっては、目の前で起きていることがすべてであり、人間のように何かを期待したり、予測したりはしないそう。一方、二足歩行を始めた人間は離合集散を繰り返しながら、「仲間は何をしているんだろう、きっと自分にとって都合の良いことをしてくれているに違いない」と考え、実際に食物が運ばれてくればそれが現実となる。こうした体験から人間は見えない出来事を想像することを始めたのだろうと、山極さんは主張します。

これに対して小川さんは「力のある者が狩りに出かけている間、力のない者が留守番をし、子どもを育てていて、きっと食べるものを持ってきてくれるという期待をしながら待っている。そこには約束が成立しています。目に見えないものを想像し、待つ喜びや期待を仲間と共有して、実際、現実化したら喜びは大きいし、信頼関係も深まりますよね」と同調。すると、山極さんは、「いまはすぐに映像や画像で確認するし、SNSなどでどこにいても連絡がとれる。時間をかけて持つ喜びが失われつつあり、想像をしなくなってしまったのではないか」と語りました。
 

そして、話題は再び小川さんの作品に。山極さんが「あたかも実際の経験であるかのような物語を書き、読者をその世界にひき込むが、どんな工夫をしているか」と聞くと、小川さんは「子供の頃に経験した読書の喜びがもとになっています。本の中では自分が経験できないことが起きていて、本を開いている間は、その経験に自分を重ねることができた。自分と価値観が全く違う人物でも、物語の中に出てくればその人なりの事情があるだろうと、想像力が掻き立てられました」と振り返ります。そして、「一度『共感』できるところを突き抜けて、共感できないところに寄り、また共感に帰ってくる、そんな大きな旅をする。それが私の理想とする小説なのです」と語りました。

 

その後、小川さんは「究極の『共感』を味わった体験」として、山極さんがルワンダの山奥でゴリラの群れを観察していた時、仲良くなったゴリラのタイタスと木の洞の中に入り雨宿りをしたというエピソードを取り上げます。

山極さんは「あれは一期一会で、繰り返すことのできない体験でした。僕の体重の五倍もあるタイタスが抱きついてきて、眠りだし、ほんとうに重かった」と述べつつ、研究者としての良い機会だと思い、タイタスのお腹や腕の太さを確かめたことを明かします。

「ゴリラが本気になれば、人間を一撃で倒せるが、野生動物とも信頼し合い、共感を覚えれば不必要な攻撃はしてこない。かつて、人間はそうした大きな共有力を持っていたはずなのに、それを捨ててしまって、野生動物を人間の生活に受け入れない。入れる時には改造して家畜にしたり、ペットにしたりしている。だから、地球は惑星としての限界が来ているわけです。もう少し、人間は野生動物と会話をしなければいけないんです」。

こう述べた山極さんに、「そのためには一旦、言葉を手放さないとダメなんですよね」と小川さん。すると、山極さんは「そう……。いや、それは僕の口からは言えない」と戸惑う様子で発言。そこで小川さんが「では、私から申し上げます。言葉以外のもので共感し合える、そういう能力を人間も持っているとい
うことですね」と断言します。「意見が一致したところで、終わりにします」と山極さんが述べ、会場が笑いと大きな拍手に包まれたところで、第二部は終了しました。


山極壽一
理学博士。総合地球環境学研究所所長。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長などを歴任。 南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。『猿声人語』(青土社)、『共感革命- 社交する人類の進化と未来』(河出新書)など著書多数。

小川洋子
小説家。1988年に「揚羽蝶が壊れる時」で第7回海燕新人文学賞を受賞し、作家デビュー。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞、2004年『博士の愛した数式』(新潮社)で読売文学賞、本屋大賞を受賞。小説のほか『生きるとは、自分の物語をつくること』(河合隼雄氏との対話、新潮社)『ゴリラの森、言葉の海』(山極壽一氏との対話、新潮社)をなど、多くの著書を持つ。


【開催概要】
・開催日時:2025年10月9日(木)14時~15時45分
・会場:早稲田大学大隈記念講堂 大講堂
・主催:早稲田大学国際文学館

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