使いみちのある風景 使いみちのある風景

使いみちのある風景

村上春樹ライブラリー開館とともに「村上春樹文学に出会う」エッセイ連載を始めることになりました。本コーナーではさまざまな形で村上文学と関わってきた方々に、村上作品との“出会い”や“絆”について語っていただいています。
開館から半年が経過した2022年の3月号では、小説家、水原涼先生にご寄稿いただきました。実は水原先生と初めてお会いしたのは、開館後の村上春樹ライブラリーでお仕事をなさっている時で、とても静かな印象を持ちました。まじめで親切で、仕事の合間に村上文学や現代文学にかかわるお話をすることができました。
その後『震える虹彩』、「鳥たち」をはじめ、水原先生のご著作をいくつか拝読しましたが、いずれも傑作で、中には徹夜して何度も読み返す作品もあり(たまにはもらい泣きまでして)、一つ一つの物語の裏から無限の力と魔法を感じました。
いまは館内ですぐにお目にかかることができなくなっているのですが、水原先生がどのように<村上春樹>という場所をくりかえし訪れるようになったのか、お書きいただきました。読者の皆さまも、このエッセイから「ほかの場所にはない風景」を見つける楽しさを感じていただけると幸いです。

監修:権 慧(早稲田大学国際文学館)

使いみちのある風景
水原 涼

小説を読むことはちいさな旅だ。それなら小説を書くことは、誰かにとっての〈旅先〉をつくることだ。
旅をするとき、人はだいたい、人がいる場所に行く。美しい自然を味わいに行くときにも、そこにあるのは展望台やテントサイト、遊泳区域を示すブイに囲われた、デザインされた景色だ。人里離れた密林とかに向かう人もいるのだろうが、それは旅というより冒険だ。人が旅をする先には、人間がそれぞれの人生で重ねてきたいとなみがある。
美しい街並みのひとつひとつのなかに、そこに住まうために家を建て、生活している人がいる。ときどき新しく家を建て、まったくことなる造作をして、雰囲気のちがうインテリアを揃えて、お客を迎え入れていっしょにコーヒーを飲んだりする。そうやって何軒も家がつくられ、それが集まって街になる。
小説を書くのはそういうことだ。家をつくりたいと思う。図面を引いて、資材を集めてきて、ひとつひとつ形を整え、組み上げていく。外側をつくろうだけならそれでいいが、電源の数や夜中の騒音、季節ごとに移り変わる光の色は、住んでみなければわからない。だからそこで生活をする。寝起きして、料理をしたり買ってきたりしたものを食べ、読書をしたり書きものをしたりする。ひとつの作品としての家は、そのようにしてできあがる。家だけではなく、時には喫茶店や電波塔みたいな毛色の違うものを建てたり、他の街につながる道路を引いたりする。そこへ旅人がやって来て、それなりの時間を過ごす。
人によってつくるものの形はまったく違っている。お城や宮殿を作るのが得意な人もいる。ミニチュアサイズの家をせっせと作りつづける人もいる。何もない空間を指さしてこれが自分の作品だと言う人だっているかもしれない。読者は、家主のことが気に入れば繰り返しそこを訪れるし、肌に合わなければ二度と来ないだろう。激辛料理店や絶叫マシンみたいに、そのときは辛かったり怖かったりするのに繰り返し訪れてしまう場所もある。
そのときどきの自分の家を作り、住まうこと。そこを訪れ、それぞれのやりかたで時間を過ごすこと。小説を読み、書くとはそういうことだ。村上春樹は『使いみちのない風景』のなかで、こう書いている。

考えてみれば、僕はこれまでに七編の長編小説を書いたけれど、同じ場所で二つの小説を書いたことはない。引っ越すたびにひとつ小説を書いていたようなものだ。
だからひとつの長編小説は、僕の中で、ひとつのそれ独自の場所と風景を持っているということになる。

〈村上春樹〉という場所は、旅先として、多くの人々に愛されている。そこを訪れた読者は、彼がしつらえた家から、それぞれの作品独自の風景を見る。こぢんまりして静かな場所もある。同じ場所なのに訪れる側の状況で印象が大きく変わることもある。ひっきりなしに人が訪れて賑やかな場所もある。

僕は首都から遠く離れた街で育った。商店街を歩いても人よりシャッターが多く、映画館は二つか三つあったが十数年暮らすうちに一つだけになり、バイパス沿いの巨大なショッピングモールだけが賑わっていた。湿った広い砂浜が観光名所で、進学先では街の名前があだ名になるような。十代の膨張しきった自意識にあの街はあまりに小さく、でもその向けどころを知らなくて、読書ばかりしていた。
わりあいに早い時期から、村上春樹という名前は知っていた。とはいえ、それは優れた小説家としてではなかった。ネット掲示板が広がりはじめていたころで、彼の世界観や文体は恰好のパロディの対象になっていた。独特の比喩を多用し、語り手はすぐセックスをして、「やれやれ」と呆れてみせる。
年譜を見れば、村上春樹作品は、彼のデビュー以来ほぼ毎年、何冊も出続けていることがわかる。でも、当時十歳かそこらの、自分が将来小説家という職業を選ぶことを知らない子供には、それが何を意味するかなんてわかるはずもない。小学生の僕が村上作品に手を伸ばすことはなかった。たしか六年生の誕生日、親戚の、それまで会ったこともない人──おじさん、とその人を呼ぶように言われていたが、僕とどういう血縁関係にあるのかは今でもわからない──が、出版されたばかりの『海辺のカフカ』をプレゼントしてくれたときも、それが僕にとってはじめてのハードカバーの、それも上下巻の分厚い本だったのに、本棚に突っこんだまま忘れてしまった。
はじめて読んだのは『アフターダーク』だった。中学二年生のときだ。読書好きの友人に薦められて読んだ。彼は読んだ本はだいたいぜんぶ薦めてきたし、それをいちいち読んでたらきりがないから、生返事をして、ノートの端にタイトルを書いて終わることが多かった。そんななかで『アフターダーク』を読んだのは、この本いいよ、とか、おもしろいよ、とかではなく、この本ぜんぜんわからないから読んでみてよ、と差し出されたからだ。そして僕もぜんぜんわからなかった。そう厚くないから、読むだけなら一日でできる。薦められた翌日、僕は本を返しながら、やれやれってかんじだね、と言った。やれやれだよね、と彼は答えた。それは作中の台詞の引用とかではなく、難解な村上作品を読んだ者の身ぶりとして、そうするのがいちばん気の利いたことだと思っていたのだろう。たぶん僕たちは、『アフターダーク』ではなく、村上春樹なるもの、を読んでいた。読者ではない者ですら「やれやれ」を知っているほどに、村上春樹という名前は大きかったのだ、と言えるかもしれない。
家に帰ると、村上と同学年の父の本棚には初期作品がいくつか並んでいて、そのなかで特に薄い、デビュー作でもある『風の歌を聴け』を読んだ。そのなかに描かれていた景色は、それまでに読んだどんな小説──旅先にもないものだった。好きや嫌いを感じるまえに、ただ面食らった。
「やれやれ」なんて、たぶん家主にとってはあまり望ましくない入口から村上春樹の世界に入ったからか、そこから一気に魅せられたりはしない。次に僕が彼の作品を読んだときにはもう大学生になっていた。入学してすぐ、授業がはじまるまでの短い春に、大学図書館で、これも薄くてすぐに読めそうな『1973年のピンボール』と、『風の歌を聴け』を借りた。そのころにはもう、僕は小説家を志していた。日本では、出版社や文芸誌が主催する新人賞に応募して受賞を勝ち取るのが、一般的なデビューのやりかただ。それらの賞は、〈純文学〉とか〈エンタメ〉とか〈ライトノベル〉とかにジャンルわけされていて、村上は『風の歌を聴け』で、〈純文学〉の雑誌の新人賞からデビューした。この作品くらいのものが書ければおれもデビューできるはずだ、と、今にして思えばずいぶん不純な読みかたをしていた。
村上作品に、読者としてチューニングが合った、と感じたのは、大学で三度目の四年生をやっていた春で、僕はすでに、彼とはちがう雑誌の新人賞を受けてデビューしていた。彼と同様にデビュー作が芥川賞の候補になり、でも彼とはちがって、ぜんぜん評価されずに落選した。何はともあれデビューできたからには、たとえ人気や作品の質が桁違いでも村上春樹は僕にとっての同業者だ。ここに書くのは不遜かもしれないが、同じ時代を生きる小説家を僕は全員ライバルと見なしていて、そのなかで最も成功した一人が村上春樹だ。とはいえ、そのとき読んだのは小説ではなく、これもやっぱり薄めの、写真が多くてすぐに読めそうな『使いみちのない風景』だった。「やれやれ」も、たしか一つか二つあった。こうして振り返ると、ここまでに読んだのは薄い本ばかりだな。もしかしたら僕は、村上作品に、自分ではとらえきれない奥行きを感じて畏怖していたのだろう。ともあれそこから僕は、ようやく、〈村上春樹〉という場所を、くりかえし訪れるようになった。

『使いみちのない風景』は、世界各地を旅し、〈住み移り〉しながら小説を書いてきた村上の、忘れがたい鮮烈な風景について語った短いエッセイだ。そこでは、彼が実際に身を置いた場所で目撃したものが描写されている。リスに狙いをさだめる猫のこと、同僚とじゃれ合いながらふと虚ろな目で空を眺める水兵のこと。そして村上は、何のために旅に出るのか、と自らに問いかけ、こう答える。

たぶん僕らはそこに自分のための風景を見つけようとしているのだ。少なくとも僕はそう思う。
そしてそれはそこでしか見ることのできない、、、、、、、、、、、、、、風景なのだ。

住み慣れた自宅でくつろぎながら旅人が考えるのは、風景のなかに身を置いていたときの自分の感じだ。村上作品について考えるとき僕が思い出すのは、〈井戸〉や〈失踪〉のようなよく言及されるモチーフではなく、掲示板でパロディされているような比喩とか「やれやれ」のことでもなく、不眠症の語り手が全力で泳ぐプールの天井の高さだったり、ねじれたドーナツの、知るはずもないじゃりじゃりした味のことだったりする。それは必ずしも作中で描写されているものだとはかぎらない。迎え入れた客が、必ずしも家主の意図しているものばかり見るとは限らないのと同じように、読者は小説を読みながら、それぞれにとって大切な風景を見出して帰っていく。
僕はもちろん、ほんとうにそれらの風景を見たわけではない。でも、本のなかで描写されているから見ることができた。〈そこでしか見ることのできない風景〉は、本のなかにだってある。それを見るために僕たちは村上の小説を──もちろん他の人のも──読む。
世の中には一人の読者が一生をかけても読み切れないほどの小説がある。僕は僕なりにたくさん本を読んできたつもりだが、どんな作品世界を訪れても、そこからはみ出すものを感じていた。これまでに、少なくはない数の本を読み、さまざまな場所を訪れて、ほかの場所にはない風景を見つけてきた。そして僕なりの印象を持ち帰った。小説の描写に組み込んだものもあれば、まだナマのまま、僕の心のなかでごろっと転がっている風景もある。生きてきたなかで、そうやって記憶にこびりついている風景が、ほどけ残った感情がある。それらについては、これまで読んだどの小説にも書かれていなかった。きっとそれを納めるには、自分が家を建てるしかない。だから僕は小説を書きはじめ、書きつづけている。時にはそこに誰かが訪れるかもしれないし、僕が見ているのとまったく違う風景を持ち帰るかもしれない。

2022年3月28日

プロフィール
水原涼:1989年兵庫県生まれ、鳥取県出身。北海道大学文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。
2011年「甘露」で文學界新人賞受賞、同作で芥川賞候補。著書に『蹴爪』(講談社)、『震える虹彩』(安田和弘との共著)。

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