Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

岡室美奈子訳・宮沢章夫演出『ゴドーを待ちながら』どらま館公演リポート

新訳『ゴドーを待ちながら』(※)リーディング公演が、11月10~12日に早稲田小劇場どらま館で開催されました。

岡室美奈子文学学術院教授(坪内博士記念演劇博物館館長)による新訳戯曲を、宮沢章夫文学学術院教授(早稲田小劇場どらま館芸術監督)が演出した本作。6月に行われたワーク・イン・プログレス公演(試演)では中継会場を設けるほど好評を博しましたが、今回の本公演も全席早々に完売し、公演後にはSNSで多くの感想や劇評が見られるなど、注目の高さがうかがえました。

※『ゴドーを待ちながら』は、アイルランド出身の劇作家サミュエル・ベケットによる戯曲。1953年初演。不条理演劇の代表作として演劇史にその名を残し、多くの劇作家たちに強い影響を与えた。日本では安堂信也・高橋康也による共訳版が1967年に刊行されて以後、定訳として親しまれてきたが、ベケット研究者である岡室美奈子教授による新訳が白水社から発刊されることとなり、その新訳戯曲を使って今回のリーディング公演が実現する運びとなった。

ワーク・イン・プログレス公演では3時間以上の長さがあった本作が今回は2時間強にまとまり、その分テンポよく、コントのような掛け合いもより口語的に磨かれて、客席から笑いが起きるシーンもしばしば。無意味なように思えるやり取りが続くところで「ほんとどうでもいい話になってきたな」と役者が言うなど、自然な面白さに貫かれた舞台となっていました。その他にも、ナレーター役が開演前から舞台上に座っていたり、俳優がせりふをラップのように読むシーンがあったりとユニークな演出も多く、満員の観客は舞台にくぎ付けになって楽しみました。

撮影:石垣星児(以下、クレジットがないものは全て同)

また、11月12日には、ゲストにケラリーノ・サンドロヴィッチ氏(ナイロン100℃主宰/劇作家、演出家、映画監督、音楽家)をお招きし、岡室教授、宮沢教授と共にアフタートークを実施。『ゴドーを待ちながら』をはじめとしたベケット作品などについて語っていただきました。この様子は、雑誌『ふらんす』(白水社)に掲載される予定です。

今回の公演で宮沢教授の演出助手を務めた文学部1年の大塚健太郎さんに、感想を聞きました。

2017年11月10日(金)~12日(日)

新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演 演出助手を務めて

文学部 1年 大塚 健太郎(おおつか・けんたろう)

宮沢章夫教授(左)と(写真は大塚さん提供)

本番直前、宮沢先生は、楽屋で役者やスタッフらと雑談をしています。幕が開く10分前になっても、5分前になっても雑談をしています。自らが客席に移動するのは本当に開演時間ぎりぎりになってからのことです。だから、これから演じる役に集中しようとして、さっさと舞台袖に逃げてしまう役者の方もいます。

それでも、先生は雑談をやめることはしません。一部の強靱(きょうじん)なメンタルを持ち合わせた役者の方々と、それから僕たちスタッフに対して、本当にさまざまなことを話して聞かせてくれました。

その中で、とてもよく覚えているお話があります。その場で書き起こしたわけではないので大意ですが、大きく外れてはいないはずです。

「演劇という表現そのものを疑うことをしない人間が舞台に登場してきても、『なんか、バカが出てきたぞ』としか感じられない。そしてそれは、本当に、一目瞭然のことなんだ」と。

演劇の中にいて、演劇を疑うこと。

「え、そんなことできるの?」という感じですが、きっと、まさしく『ゴドーを待ちながら』こそは、その「疑い」に基づいて、演劇というものそれ自体を抽象化するようにして書かれた戯曲なのだと思います。

実際、毎日毎日、ひたすらに「ゴドー」を読み、稽古を眺める中で、何もないように見えて、この戯曲の中には、実は何もかもがあるのかもしれない、とふと感じることがありました(翌日になって、やっぱり何もないなあと思うこともありましたが)。しかしそんな中で、本番が近づくにつれてどんどん強く思うようになったのは、これは、「難しくて訳が分からないが、専門家が注意深く丹念に読み解けば興味深い」といった作品では「ない」、ということです。

現に岡室先生の、現在の身体になじんだ新訳と、宮沢先生のリズミカルな演出により、役者の身体を通して、作品はびっくりするくらい笑えるものになりました。だって、ト書き(※脚本でせりふ以外の説明書きのこと)の役者が、舞台の一番前に(それも真っ赤なドレスを身にまとって!)常に腰掛けている『ゴドーを待ちながら』なんて、一体誰が想像したでしょうか。

ただ一方で、それでもなお、なぜだかひたすらに切ない。そしてどこか神聖で、でもやっぱり悲しい。岡室先生が訳された具体的な言葉も、またそれを宮沢先生がどれだけ面白く演出しようとも、その空虚感のようなものは、始めから終わりまでずっと一貫したものでした。それは言うまでもなく両先生からしても意図的なことなのですが、それでもやはり、この戯曲が内包している強度のようなものを意識せずにはいられませんでした。

撮影:坂内太

あるいは、そもそもこの作品における主役は、「待つ」ということの空虚感そのものなのかもしれません。だとすれば、なんという疑い深さ。「主役は人じゃなきゃならないなんてことが、あるのだろうか?」

ともあれ、『ゴドーを待ちながら』を繰り返し読むのは、自分の中にも辛うじて存在した浅薄な演劇観のようなものに対して、大きく揺さぶりをかけてくることでした。新しい答えは、まだ得られないままです。

そもそも答えなんてあるんでしょうか。分からないけれど、探してみたい。なので、来年劇団を旗揚げすることを決めました。

待っていていただけると、幸いです。

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