Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

敗戦直後の学生の目に映った授業・アルバイトの風景 【早大生の生活史】第3回

大学史資料センター常勤嘱託 田中 智子(たなか・さとこ)

皆さんは普段どんな学生生活を送っているだろうか ― 授業に出席して、体育各部またはサークル活動に参加して、その後はアルバイト、という生活だろうか。昔も今も、何千何万の学生たちがこのような学生生活を送ってきたであろう。しかしこういった学生生活の記録は、ほとんど表に出てくることはない。後になって、この時期の学生の暮らしぶりはどうだったのだろう? 学生たちは何を思ってキャンパスライフを過ごしていたのだろう? と思っても、それをうかがい知ることはなかなか難しい。

そのような日常の学生生活を知ることのできる貴重な資料がここにある。1954年に第一政治経済学部を卒業した米田晴二氏(以下、敬称略)が所持していたスクラップブック2冊である。その中身は主に当時の一般紙や『早稲田大学新聞』記事の切り抜きを貼り付けたものであるが、そこに記されている米田自身のコメントが興味深い。コメントの内容は教授陣、授業、アルバイト、学生運動、六大学野球などと多岐にわたるが、ここでは教授陣とその授業、およびアルバイトとそこで米田が見た風景に絞って紹介していく。

まず教授陣とその授業について、「正に名講義でした」というコメントもあれば、「もっとコクのある講義が聞きたかったね」というやや辛口な評価もある。中には、成績評価で可をつけられたことに憤慨し、「文句をつけたら法学部と図書館の間の早稲田メインストリートで長々と講義を始めたのには降参しました」というものや、「何て、デッカイ声なんです。早稲田の様な玉石混淆の教室にはもって来いだね。怠惰なガヤガヤ学生を眼中にも入れない態度には尊敬せざるを得ません」など、当時の授業の様子や教授たちキャラクターが目に浮かぶようなエピソードも記されている。

写真1

(写真1)早稲田の教授に関する記事と、それに対する米田のコメント

次にアルバイトについて、当時は戦後の社会構造の変化やインフレの影響から、生活のためにアルバイトをする学生が多く、米田もまた、さまざまなアルバイトを行っていたようである。中には、「『軽金属よりわけ』なる仕事を紹介されて新橋へ行った。見ると驚いた。ゴミを扇風機でぶっとばして金属だけ残すのだとゆう。(中略)真昼の脱出を敢行。全く生命あっての物ダネさ」と、危険を伴うような仕事もあったことが見受けられるコメントもある。

また、選挙についても「学生にとって又とないアルバイトチャンスである」として、選挙があると聞くと友人と大喜びしたということも書かれている。仕事内容は開票結果を速報版に記入することであったようで、そのときの様子が写真記事にも映し出されている。

写真2

(写真2)選挙に関する写真記事と、そこに写った米田らアルバイトの様子(1950年4月)

また、米田は新宿で宝くじを売るアルバイトもしていたようで、そのときに描いたスケッチも挟み込まれている。「新宿点描」と題されたそのスケッチには、明るく生き生きとした若い女性の様子や、くたびれた様子の男性労働者の姿が描かれている。戦後の復興が進み、新しい時代へ移行していく最中の、対照的な新宿の姿がそこに現れている。

写真3

(写真3)米田のスケッチに描かれた新宿の人々(1950年6月24日)

授業・アルバイトなど、学生生活も時代の影響を受けて少しずつ変化しており、皆さんが普段何気なく過ごしている学生生活も、やがては早稲田の歴史の一コマになる。それらを写真でも絵でも日記にでもとどめておけば、いつかこのスクラップブックのように早稲田の歴史を知る上での貴重な「お宝」に化ける…かも?

出典:「2016年度米田晴二氏寄贈資料」

130年前の新入生日記【早大生の生活史】第1回

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