Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

130年前の新入生日記【早大生の生活史】第1回

大学史資料センター非常勤嘱託 大江 洋代(おおえ・ひろよ)

本学の長い歴史のなかで、早大生は何を考え、どのような生活を送ってきたのであろうか。「早稲田に歴史あり」は、今後3回にわたり「早大生の生活史」と題して、各時代の学生の悲喜こもごもを学生自身が残した多種多様な資料から再現していきたい。

今年もまた新入生を迎える季節となった。早大生としての第一歩を踏み出したこの季節を、皆さんはどのように思い出すだろうか。今回は130年前の新入生の日記を読むことでその気持ちをよみがえらせてみたい。【写真1】を見ていただきたい。今ではぼろぼろの状態であるが、この綴(つづり)こそ九州福岡甘木を出てはるばる東京専門学校の門をくぐった篠田克己(しのだ・かつみ)が、携帯用の筆と墨を身に付け、日々の出来事を書き付けた明治19~21(1886~88)年の日記である。昨年度、克己の孫に当たる方から大学史資料センターに寄贈されたものである。

【写真1】篠田克己の日記表紙

では早速、130年前の新入生の世界にタイムスリップしてみよう。日記はふるさとを出る朝から始まる。明治19年12月15日「宿願の東京へ出発する。親類や近所の人々が朝からひっきりなしに見送りにやってきて、一品ずつ贈り物をして祝ってくれた」。当時、地方の若者は「上京熱」の中にあったと言われる。東京で最新の学問を学ぶことによる自身の立身こそが、近代国家建設の礎になると信じ、地方の若者は東京に押しかけた。

克己もまた、人々の期待を胸に故郷を後にし、船、人力車、鉄道を乗り継ぎ、12月25日、品川停車場に降り立った。そして年明け早々、同郷の先輩を訪ね回るという形で学校探しに着手する。7日、高等中学校に通うある書生から東京専門学校(※早稲田大学の前身)のことを聞きつけ、10日には「専門学校に入学することに決めた」と筆を踊らせた。その翌日には牛込に住む同郷の東京専門学校生を見つけだし、彼から学校の様子を聞き込んでいる。以後の克己の動きは迅速である。12日には「東京牛込早稲田専門学校」に法学部の傍聴生の資格で入校、寄宿舎25号室に入り、直ちに故郷にそれを報じたのであった。

【写真2】端正な文字で書かれた日記本文。明治21年、試験期間中と試験休みの記述

2月初旬には早速、学内の剣道部「振気会」へ入り、サークル活動にも打ち込みはじめた。また、故郷から送金されてきた郵便為替で、初めての「月謝」を払い込んだ後、銀座の写真屋で写真を撮り、それを誇らしげに故郷に送った。その後2月25日に「後期入校試験」を受け合格し、晴れて正規の東京専門学校生となったのであった。

3月11日には、地理と英語の教科書を買いに行き、その足で寄席を聴きに行っている。寄席で英気を養った翌日、いよいよ授業が始まった。授業の合間、22日には早稲田名物「法律経済演説討論会」に参加し、登壇する先生方の闊達(かったつ)な演説と聴衆の熱気を興奮ぎみに書き残した。また「わあーっと天地を振るわせるほど、詩歌を叫びあった」と楽しげに「宴」の様子を描写し、「競漕会(※ボート競技)」の手に汗握る応援も書き残している。その他、日記には東京の歳時記から時事問題まで、学内外の克己の経験や感じたことが生き生きと記されている。

東京専門学校という場をいっぱいに使って歩み始めた克己。彼の新入生としての高揚感や不安感は130年という時を超えて2017年の新入生と響き合えるかもしれない。

また克己の日記は、他でもなく学生の皆さん一人一人の何気ない一日一日が、早稲田の歴史を作っていくのだということも教えるであろう。

さて、その後の克己の早稲田ライフが知りたい方はぜひ、東伏見キャンパスに在する大学史資料センターの扉をたたいていただきたい。(資料は現代語に直した)

出典:「〔日記〕」、「在京国誌」(「2016年度篠田ソノ子氏寄贈篠田克己旧蔵資料」1・2)

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