Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

独学の先のキャンパスライフ 【早大生の生活史】第2回

大学史資料センター助教 廣木 尚(ひろき・たかし)

通信教育、というと、苦い思い出のある人も多いかもしれない。自宅に届いたダイレクトメール。一念発起して始めてみたが、あえなく挫折……。独学自修の道は険しい。

その通信教育が、かつて早稲田大学の看板事業だったことをご存じだろうか。1886(明治19)年、創立まもない東京専門学校(現・早稲田大学)が発刊した通信講義録は、70年にわたり、実に累計200万人ともいわれる購読者を獲得した。

講義録の購読者は「校外生」と呼ばれ、学生の一員として図書館の利用や聴講も許された。カリキュラムは学科や時期によって異なるが、一つの課程を修了するにはおおむね1年半から2年間、毎月2冊を講読する必要があった。仕事のかたわら受講していた多くの校外生にとって、このペースについていくことは至難であり、無事、修了できるのは10人に1人ともいわれる狭き門だった。しかし、講義録を修了し、卒業試験に及第すれば、正規の課程に編入することもできた。校外生出身者には田中穂積(第4代総長)や津田左右吉(文学部教授)など、錚々(そうそう)たる人物が並ぶ。交通手段も満足には整っていなかった当時、経済的にも恵まれず、向学心を持ちながら思いを果たせないでいた多くの人々にとって、早稲田の校外生になることは、将来に希望をつなぐ数少ない選択肢だったのである。

校外生出身卒業生の記念写真(1920年2月24日)

いま、筆者の手元に一群の資料がある。1905年に専門部政治経済科を卒業した古島安二の学生時代の資料である。2016年度、ご遺族から大学史資料センターに寄贈された。

新潟県西蒲原郡(現・新潟市)在住の古島は、『政治経済科講義』の校外生だった。2年間の課程を修了した彼は、明治36年度の卒業試験に見事合格。専門部政治経済科第2学年への編入を果たした。この時の試験結果は、受験者126名中、合格者は48人。10人に1人といわれる修了者の、さらに半数以上が落第する超難関だった。法学についての古島の答案は、模範解答として講義録の雑報に掲載されている。

擬国会の傍聴券(1904年4月)

晴れて早稲田の正規生となった古島は、同級生より1年短いキャンパスライフを充実して過ごしたらしい。資料には古島の名前が記入された図書館カードや早稲田名物・擬国会の議事資料、傍聴券などが状態良く保存されている。図書館で勉学に励み、進行中の日露戦争や日英同盟の行く末が激しく議論される擬国会を傍聴しながら、古島は若い野心を燃え立たせていたのだろうか。

「拝啓 予て御提出相成居候政治経済科試験答案審査の結果合格相成候に付、御了知相成度」――大学から送られてきた素っ気ない文面の合格通知に接した時、古島はどれほどうれしかったのだろう。この通知は試験問題や他の手続き書類とともに、丁寧にひもでとじ込まれている。文字も不鮮明な紙切れ1枚は、しかし、孤独な自修に耐えた一握りの者にしか手にできない、宝物だった。

さて、最後に古島が格闘した卒業試験の問題をいくつかご紹介しよう。

「ソロンの法制とライカーガス〔リキュルゴス〕の立法とを対比批評せよ」
「売買と商取引の意義を説明すべし」

早稲田に合格したみなさんなら簡単に解けるはず?

出典:「2016年度鶴岡健氏寄贈資料」

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