Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

西田修平資料とオリンピックの軌跡-【資料にみる早稲田】第2回

大学史資料センター助手 嶌田 修(しまだ・おさむ)

「資料にみる早稲田」の第2回目は、西田修平資料を取り上げる。2016年のリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックでは早稲田大学の学生・校友の活躍も記憶に新しいが、今から80年ほど前に、オリンピックの表彰台に立った早稲田大学出身者がいたことをご存じであろうか。

西田修平

西田修平

資料の旧蔵者である西田修平(1910~1997年)は、棒高跳びで、ロサンゼルス大会(1932年、理工学部在学中)とベルリン大会(1936年)の2度のオリンピックで銀メダルを獲得し、戦前期における早大競走部の黄金時代をつくった一人である。中学時代は無名の選手であったが、早稲田に入学した後は次第に頭角を現し、メダリストへの道を一気に駆け上がった。戦後は、競走部監督や日本陸上競技連盟の理事長などを務め、日本スポーツ界の発展に尽くした。早稲田大学からは、1986年に3人目の「早稲田大学スポーツ功労者」として表彰されている。

「友情のメダル」

「友情のメダル」

約160点にもおよぶ西田修平資料は、オリンピックや各競技会で獲得したメダルをはじめ、写真類、証書類、賜与物品、ノートやスクラップ、さらにはオリンピックをはじめとする各競技会の関係資料などから構成され、西田の競技人生とその後のスポーツ界での活動などを示す貴重な資料として位置づけられる。中でも、ベルリン大会において、大江季雄(慶應義塾大学)と2位と3位を分け合い、銀と銅のメダルを半分に割りつなぎ合わせた「友情のメダル」は、これまでも折にふれ紹介され、目にした方も多いかもしれない。

『Berliner Illustrirte Zeitung 2』(ベルリン画報)より。「西田との一日」という記事が組まれている。上の写真の手前が西田。

『Berliner Illustrirte Zeitung』(ベルリン画報)より。西田を特集する記事が組まれている

西田修平資料には、この他にも興味深い資料が数多く収められている。例えば、ベルリン大会の際に出版されたアルバムや画報では、棒高跳び決勝の様子のほか、ドイツ人記者から見た西田に関する記事なども見られ、競技者西田のさまざまな側面を垣間見ることができる。また、オリンピックをはじめとする各競技会に関連する資料もまとまって確認できる。そこからは、オリンピック各大会の様子などとともに、晩年に至るまでスポーツ界の発展に尽力した西田の姿が浮かび上がってくる。

西田については、同時代に早大競走部を支えた織田幹雄や南部忠平(両者もオリンピックメダリストである)などに比べ、自らを語った文献が多くは存在しない。本資料を一つ一つひもとくことによって、西田の足跡を改めてたどることが可能となるであろう。

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