Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

文学科の誕生

大学史資料センター助手 高橋 央 (たかはし あきら)

写真①高田早苗・天野為之(初代・2代学長)と。前が坪内逍遥。

1890(明治23)年9月、創立から約10年の時が経過したこの年、東京専門学校に文学科が誕生した。この文学科において花形講師として活躍したのが坪内逍遙(写真❶)であった。坪内のシェイクスピア講義は早稲田独自のものであり、後には早稲田といえば「文科」と言われるほどであった。1891(明治24)年には大西祝(おおにし はじめ)(操山)を迎え、彼の哲学講義は坪内の講義同様当時の学生を魅了するものであったという。また英語講師となった増田藤之助は、学生の質問には明快に答え、かつ細部もおろそかにしない訳文で学生に感銘を与えた。他にも講師陣を見ると、帝大在学中の夏目金之助(漱石)が英語を教え、高山林次郎(樗牛 ちょぎゅう)が美学を講じるなど、個性豊かな講師陣がそろっていた。

『早稲田大学百年史』第一巻によれば、文学科の学生(写真❷)は難しいテキストを好み、講師にしきりに質問して困らせるほどで あったという。しかし坪内や大西の情熱ある講義、また増田の精密な講義には多くの学生が感銘し謹聴したという。反骨心があり、かつ学問に真摯な当時の学生像が伝わってくる。初期の学生に金子馬治(かねこ うまじ)(筑水)、島村滝太郎(抱月)などがあり、彼らは後代の早稲田大学を支える人材となっていく。さらに、1891(明治24)年には『早稲田文学』が創刊されている。

❷1897 (明治30)年頃の文学科卒業生と大隈夫妻

文学科は創立の翌年には文学部となった。そして1898(明治31)年9月に史学科を増設し、文学科、史学科の二分科となった。1902(明治35)年に東京専門学校が早稲田大学に改称されると大学部文学科となった。さらに1920(大正9)年早稲田大学文学部となり、戦後は、第一・第二文学部を経て今日の文学学術院に至っている。

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