【開催レポート】キャンパスの隣で活動!新宿・戸山プレイパークボランティア
学生スタッフリーダー 南部 耀之介
2025年2月22日(土)と2月28日(金)に、早稲田大学西早稲田キャンパスのすぐ隣にある戸山公園の大久保地区で開催されているプレイパークのお手伝いボランティアに参加してきました。長年、戸山公園でプレイパークの運営をされている新宿・戸山プレイパークの会の皆さんと一緒に活動させていただきました。
「プレイパーク」というのは子どもたちがのびのびと自分の責任で遊ぶことを主眼に置く遊び場所のことです。何か問題が発生した時も子どもたちの間で考えて行動することで解決することが多く、プレイリーダーという大人が見守ってはいますが、子どもたちに対してなにか干渉することは少ないです。
活動させていただいたプレイパークですが、実は従来の活動場所とは違うところでの活動となっていました。もともとは戸山公園の大久保地区の南の方で開催していたのですが、公園施設改修工事に伴う土壌調査の結果、基準値を超える鉛や水銀及びその化合物などが検出され、プレイパークを開いていた場所も11月の初旬から封鎖され立ち入り禁止になってしまったのです。過去にその一帯の土地が長らく軍用地として使用されていたということもあり、地元の人やプレイリーダーの方々は驚くことではないとおっしゃっていましたが、本来の形とは違った場所での活動を検討する必要が出てきてしまったのです。
場所は封鎖をされても子どもたちは前と同じようにプレイパークに遊びに来るため、子どもたちに遊び場所を提供したいという思いで、公園の中の封鎖されていない場所でプレイパークを開催する方針をとっていらっしゃいました。
プレイパークに遊びに来た子どもたちに話を聞いてみると、今の場所での遊びを楽しみながらも、元の場所でも遊びたい!といった声が散見されました。
プレイパークでは、遊具の安全管理や子どもたちの見守りが主な活動でした。遊具の安全管理については木の間にロープとスラックラインを張った遊具を設置していたのですが、それの設営や強度チェック、片付けなどを行いました。ロープやスラックラインが緩んだり、何かの拍子に外れてしまうと、掴まって遊んでいたり乗って遊んでいたりする子どもたちが危険なため、我々大人が掴まったり乗ったりして強度を確認しました。
事故防止のための工夫だと感じたのがスラックラインの設置方法でした。専用の金具を使って張るのですが、金具の部分に転んでぶつかってしまうとケガをしかねないため、余った紐を金具にぐるぐると巻き付けて、ぶつかっても大丈夫、かつ乗って遊べるようにしていました。
プレイパークにある遊具全般に対してですが、子どもたちの自主性に任せるとはいえ、任せたときにけがをしない、しにくいような遊具を置いているというふうにも感じました。
また、このプレイパークでは七輪に火おこしをすることもあるため、その火が危険にならないように見ておくことも大切な役割でした。通常、公園での火の利用は禁止されていますが、プレイパークでは子どもの豊かな体験のために特別に許可をもらって実施しています。子どもたちに火おこしはとても人気で、火が付くと子どもたちがみんな集まってくることもありました。マッチに火をつけ、新聞紙に火を移し、小さな枝から燃やしていくというのを上級生が中心となって小さい子たちにも教えている様子が見られ、「こっちに紙を置いた方がいい」「ここに枝を置きたい」とみんなで試行錯誤しながら協力していることもありました。火が付いた後には棒に刺したマシュマロを焼いてみんなで食べていました。葉っぱを焼いてみたりミカンの皮を焼いてみたりなど実験のような遊び方をしている子もいました。
子どもたちと過ごす中で一番印象に残っているのが子どもたちがボールでミカンをとる遊びをしていたことです。公園の近くにミカンがなっている木がいくつかあり、子どもたちはそれにボールをぶつけて取ることを協力して楽しんでいました。特に印象に残っているのが、ボールを投げるうちに木にボールが乗ってしまった時のことです。ずっと投げていた小学校高学年の子どもたちがボールをとるのをあきらめてしまった後で、輪に入れず遠くから見ていた低学年の子が木に近づいてきてボールに興味を示し始めました。私に「あのボールを取りたいから木につかまらせて」とせがんできたため、木につかまらせてあげました。最初は登るのも降りるのも怖いから抱えておろしてくれと頼んでいましたが、次第に自分から登れるようになっていき、最後にはボールを下におろしたのに加えて、自分一人で難しい木登りをできるようになっていました。私は途中、(危険そうだからおろしてあげようか)と迷いましたが、手を貸しすぎないことで、子ども自身の自分でこなす力が伸びる瞬間を見ることができて、嬉しく思いました。
活動後の振り返りでは、新宿・戸山プレイパークの会の皆さんからは、「大学生が来ることで、子どもたちがキラキラとしているように見えた。とても嬉しかったんだと思う。一つ一つの会話に興味を持って聞いてくれることが、なかなかない経験だったのかな。」「我々職員よりも年代の近い皆さんとともに過ごすことで我々も知らない側面を見せてくれていたようにも思える。やはり我々と話すものと大学生と話すものは違う。いつも話すことができないようなことが話せてうれしかったのではないか。」といったお言葉をいただきました。
また、全体の振り返りで、「月の終わりの金曜日ということで疲れており、親も子どもも言葉にトゲのあるような雰囲気がしていた。プレイパークで遊んでいるときは親御さんたちも我慢されていたが、遊び終わると行動について叱っているような場面が散見された。例えば、親があまりしてほしくないことを子どもがしてしまっていた時に、見守っている自分はどう関わるのかなど、考えてみてほしい。」というお話がありました。
プレイリーダーの方からは、「色々やってみることを見守るとはどういうことなのか、考えてみてほしい。例えばロープに乗ってみる子ども、火を起こしてみる子ども、マシュマロを焼いてみる子ども。その『やってみる』を見守っている時に、どんなことを感じたのかを考えてほしい。大人になると、どんなことを感じたのか、何を思ったのかということをしっかりと考える機会は減ってしまう。『あの時楽しかったな』や『あの時嫌だったな』ということをしっかり反省することを、プレイパークを通して学んでほしい。」とのお話をいただきました。
確かに、自分が経験したことに対して先入観なく自分の感情を持つということは大人(大学生ですが)になると難しく、控えてしまうことだと思います。しかし、自分の感情を直接伝えてくれる子どもたちとの関わりから、「自分は今どう思っているのか」というものを見つめ直すことができたと思います。
それを受けて自分の活動を反省してみました。前述の通り柑橘類をボール投げで取っている子どもたちを見守っていました。みんなで協力していて、楽しい雰囲気ではありましたが、ボールが木に乗ってしまったり、木を傷めてしまっているのではないかという不安から、自分自身としては「やめたほうがいいんじゃないか」・「やめてほしい」といった感情があったことに気が付きました。また、子どもたちの遊びにはよくあることですが、仲良しのグループでまとまってしまってその輪に入れない子や、入らせないようにしている子を見たときに、「いやだな」と思うことが多々ありました。その感情を受け止めたうえで「見守る」とき、何をするのが正解なのかはわかりません。ただ見守るだけではなく、「木が傷ついちゃうからやめようよ」や、「あの子も仲間に入れて一緒に遊んであげなよ」と声をかけることももちろんできたと思います。しかし、自分なりの「見守り」を通して、子どもが成長していく様子を見られた側面もあります。何が正解だったかはいまだにわかりませんが、子どもたちを通してそういった自分の感情を可視化できたことは、貴重な経験だったと思います。
ご協力いただいた新宿・戸山プレイパークの会の皆さま、ありがとうございました。