WAVOC20周年記念インタビュー
~身近にあるものに熱意を持ち続けること~ 大藤 将太(おおふじ しょうた)さん
WAVOCでは、設立20周年記念事業として「今、つながる/つながりなおす」をテーマに、学生リーダーが、早稲田大学在学中にボランティアに関わり、現在は社会人として活躍されている方々にインタビューを行っています!
学生リーダーの鈴木は、 合同会社Teal Hokkaidoの代表である大藤将太さんにお話を伺いました。学生時代は農楽塾ほか数々の地域交流イベント・授業に参加されていました。
地域を開発するときでも、出発点はいつも「身近」なところから。学生時代から持ち続ける考え方をお聞きしました。
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目次
1.学生時代①:農村への興味
2.学生時代②:農楽塾での経験
3.北海道へのUターンと就職
4.退社と独立
5.持続可能な事業を作る
6.WAVOCへのメッセージ
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学生時代①:農村への興味
----当時のWAVOCについて教えてください。
その時はまだWAVOCができたばかりで、設立3年目ぐらいじゃないですかね。
まだ当時はそんなに大量にプロジェクトあった訳でもないから、大体どのプロジェクトに誰がいるか把握できる範囲くらいでした。
----学生当時はどのような活動をされていましたか?
メインは農楽塾にいたんですけど、大きくは農村に関わるようなプロジェクトに概ね参加していました。
----農村のプロジェクトに関わり始めた背景はどのようなものだったのでしょうか?
高校まで札幌に住んでいました。僕はずっと野球しかしてこなかったので、大学でも野球をやろうと思って入学しました。しかし、甲子園に出た先輩方でさえ六大学のベンチ入りさえもかなわないという状況を見ていて。その先輩からは「お前がやるんだったら本当に覚悟してやれ」って言われて、やっぱり厳しいだろうなと感じて、自分の信念がそこで折れてしまいました。
だから「はて大学で何しようかな。」みたいになっちゃった訳ですよね。その時に、実家が入植者の家だった僕は農地とかも家にあって、ばあちゃんが畑作ってたのを思い出したんです。
「あんまり畑のこととか考えたことなかったけど、あのおいしいトマトどうやって作ってたんだろう」と考えていたタイミングで農山村体験実習という授業を見つけて。受講したら授業後に農楽塾の先輩方がいらして、「田んぼ来なよ」と言われて。これがきっかけで、そこから農とか地域という分野にとても興味が出て、色んな経験をWAVOCでさせてもらったという流れですね。
学生時代②:農楽塾での経験
----農楽塾ではどのようなことをされていたのでしょうか?
設立の一年目は田んぼを作ろうというのがメインでした。僕が入った二年目は地域と関わろうというテーマがあって、田んぼを中心に早稲田幼稚園の子どもたちと食育をするみたいなことを一年間やってましたね。その次の年は、僕らでグリーンツーリズムを自主企画して実際に参加学生を引率して、農村に興味関心を向く方法・何かきっかけを作ろうということをやっていました。

農楽塾で開催した稲穂ロードの様子
三年生のときは僕が農楽塾の代表で、ちょうど早稲田125周年ですごい大きなイベントがあったんですよね。それで農楽塾では、バケツ稲に早稲田の125年を祝うシールを貼って、それを南門通りの商店街の店主たちみんなで稲を育ててもらうという企画をしました。これを稲穂ロードと名付けて、商店街の角から南門に向かう商店街の協力してくれるお店の軒先で稲をばーっと育ててもらって、稲が育つ過程を一年間見てもらうという企画をやりました。また同じように、参加したいというサークルを集めて、南門から8号館の法学部にかけて大隈銅像側に向かうまでの道に一個ずつバケツ稲を育ててもらうこともしました。
グリーンツーリズムは旅ということもあり、関心がないと行かないものなので、よほどなにかインセンティブがないと参加しないなと思っていたので、身近で何かが育つ風景を見てると、僕みたいに農に興味を持つ人がいるかな、と。僕ももともと実家にある畑をただ見てたというだけで、結果それが原体験になって農に関わっていたので。三年生のときはそんなことをやってました。
それから、三芳村プロジェクトというWAVOCのプロジェクトが昔あったんです。千葉の三芳村という、有機農業のとても盛んな地域の、有機農業の先駆者の人たちと早稲田の学生が交流をするというプロジェクトでした。1泊2日で気軽に農村体験ができるプロジェクトですね。1日目は有機農業のグループの農作業を手伝い、2日目は菅沼さんという、昔校長先生だったおじいちゃんの家に行って、菅沼さんが日々やってる里山保全のフィールドを一緒に森林整備したり、わんぱく塾という子ども達の遊び場を菅沼さんが作っていたので、そのわんぱく塾の子供達と遊ぶボランティアだったり、学生側から企画を持っていって遊びを一緒にやるみたいなことをしてました。結果的に、三芳村には4年間で10回以上行ったと思います。

三芳村プロジェクトで交流した現地の方との写真
そんな感じで、サークルでも授業でも、似たようなことをずっとやってました。
----他団体との交流もあったのでしょうか?
WAVOCの色々なメンバーのプロジェクトに参加したりもしました。農楽塾の体験をしたらアトム通貨をあげるとかもやってましたし、他のプロジェクトとの関わりが結構多かったと思います。全プロジェクトみんなでミーティングをして、ボランティアフェアに関する企画をしたり、就職相談会企画などもしていました。
だから、色んなプロジェクトの人と一緒に企画をやる機会は結構あった気がしますね。
ほんとにいろんなことをWAVOCにさせてもらったというか。今仕事していることに近いことをずっとやらせてもらってました。
----学生生活全体で、印象に残っていることはなんですか
1年生の時の農山村体験実習、六月に山形の高畠という地域に行きました。有機農業の盛んな街で、有機農業をやっている人もいれば、イオン水を使う電子農法をする人もいるし、普通に慣行農業やっている人もいたんですけど、どの人の作物を食べてもおいしかった。
なぜ美味しいのだろうなと考えた時に、ある農法だからおいしいってわけじゃないなと思って。三種三様の作り方をしてるけど全部おいしかった。
だから何が確かなものなのか。おいしさの価値はなんなのか。有機農業=素晴らしいといった価値観の基準みたいなものを押し付けず、考えを持って判断しなきゃいけないなと思いました。
----大学生活を通して、感じたことはなんですか
農村を起点に地域をどう考えるかをずっと考えていて、学部に関係なく地域の学びにつながるような授業をとっていました。当時付き合った人たちと色んな関わりをしていく中で、勉強になっていることがいっぱいあったなと思いますね。
最終的にまちに興味が出て、「都会に出ると地方にどうして戻れないのか。移り住めないのか。」という課題の原因を「仕事がないから」というところに落ち着けていいのかということはずっと思っていました。
北海道へのUターンと就職
----その後北海道に戻って就職されたんですね
このまま東京にいてもしょうがないなということをすごい思ってたので、最初から北海道に帰った方がいいなというのと、帰らないと北海道の現状はわからないなと思って、帰ろうっていうのがまずスタートですね。
そして、戻って最初JR北海道に入社するんですけど、北海道の鉄道ってかなり赤字なんですよね。そこで、鉄道を維持する中で収益をどうやって生んでいくのか、一番早く様々な課題を背負う北海道でチャレンジしたいというところを含めて入社しました。
僕が大学3年生くらいの時に、夕張市が破綻するというできごとがあったんですよね。だから、結構こういうニュースが情報に入ってる中で就職先を選んでいましたね。線路を潰すんじゃなくて、今ある線路を残すために線路の先の場所をどう開発するのか、という視点で開発しないとそもそも鉄道の意味もないし、開発事業の将来性がない。ただ単に駅周辺をスクラップアンドビルドしても全然面白くないし、田舎であっても鉄道を使ってもらう何かを作るためにその開発をしなきゃと思っていたので、そういう視点がやっぱり必要だなと思っていました。
----札幌にこだわりがある訳ではなかったんですか?
特に札幌で何かしたいことがあったわけでもなかったですね。
北海道は、国土の五分の一を占めているんですが、北海道民のうち三人に一人が札幌の人なんですよね。日本の20%もある土地なのに三人に一人は札幌にしかいないんです。北海道がとんでもない人口集中だなということを改めて大学の時に思っていました。さらに言うと、北海道は寒いですよね。だから暖房費とかも圧倒的にかかりますよね。
結果、北海道で最初にいろんなサービスがどんどん破綻していくだろうから、そこを何とか凌駕してでも機能が回るようにしていくっていうのは、小さいモデルから始めていかないといけないんだろうなということはすごく感じますよね。
退社と独立
----その後JRを辞めて、独立されたとのことですね
自分で考えて決断する機会も増えた中で、自分のもっと身の回りをどうするかみたいな本当に小さなことをしたいと思いました。WAVOCでも同じだと思うんですが、何か小さな課題でもそれをどうやったらいい方向に行くかということを、みんな真剣に考えて学生も職員も活動していると思います。その取り組むべき「課題」がまさに身近にあり、アレルギー対応お菓子の事業をはじめました。
僕の子どもがアレルギーを持っていて、乳も卵も小麦も食べられず、食べるおやつもご飯もなくて。米もちょっとアレルゲンでしたからね。結局もう全部自分で作るしかないというのが、今のお菓子の事業にもつながっています。
基本的には自分の身近にあって、地域なのか食なのか自然なのかみたいなところに帰着して、その課題感がいい方向に向くようにずっと活動している感じです。思いとしては全然変わってません。自分がどうするか決断する機会が増えていくようになって、独立することになった感じです。
----学生時代色んなフィールドを経験されて感じられた「地域で仕事を作る」という地域の課題に対して、社会人になっていざ実現しようとしたときのハードルはどのようなものでしたか?
人的資源を確保するということがとても重要です。もちろんリモートでできる仕事もありますけど、土着してる仕事はたくさんあります。そういう意味でやっぱり人のリソースが足りないことが多々あります。ただ機械的に働いてもらいたいわけじゃないことも多々ありますから、結局は、「○○という面白いことをしている場所で働きたい」と思ってもらえるような、仕事の作り方がすごい大事かなとは思います。
持続可能な事業を作る
----今後の目標をお聞かせください
自然だったり農村だったり森だったり、次の世代に残すべき貴重な一次産業、自然資源というものを次にどう繋げるかという、持続可能な事業を作っていくところが目標としてあります。会社を上場するぞというような気持ちでやってるというよりは、本当に身近で大切なものをどう守るかみたいなことを大切にして、それがちゃんと回るモデルになっていけばと思っています。
WAVOCへのメッセージ
----最後にWAVOC20周年へのコメントをお願いいたします
本当に20周年おめでとうございます。
僕が利用していたころ、WAVOCの職員の人たちも学生もみんな熱意を持って取り組んでいたと思います。今もそうだと思いますが、WAVOCで過ごして色々ぶつかりながら一つ一つ積み重ねていくことは、社会人になっても同じように活きてくると思います。WAVOCは社会的意義のある、次に羽ばたく人材を育成輩出できる本当に素晴らしい組織だと思いますので、今後も末長く続くように何か応援できることがあれば応援したいと思います。頑張ってください。
取材・文:WAVOC学生リーダー 鈴木 渉悟
【今回のインタビュイー】
大藤 将太さん
2005~2009年 早稲田大学社会科学部に在学
在学中に農楽塾に参加
2009年~ JR北海道に入社
2011年~ NPO法人 大沼・駒ヶ岳ふるさとづくりセンター 設立に参画
2015年~ どさんこミュゼ株式会社 設立・取締役に就任
2019年~現在 合同会社Teal Hokkaido 設立・代表に就任
【プロフィール】
北海道出身。2005年入学2009年卒業。
在学時は農楽塾をはじめ、WAVOCの農山村体験実習、農に関する授業など、農村について多角的に活動を行う。卒業後すぐにJR北海道に入社し、事業の中でNPO設立に携わる。その後、NPOを引き継ぐ形で法人を設立し、観光、酪農、ネイチャーサウナ、アレルギー対応菓子など、様々な会社を経営している。
編集後記
自分の興味あることを身近なところから取り組んでいる学生時代のお話は、とても魅力的に聞こえました。また、その姿勢が社会人となった現在でも変わらないことに衝撃を受けました。
自分の学生生活を振り返り、まだまだ自分は活動への積極性が少ないなと感じています。自分の興味にまっすぐ向き合い、とことん満足するまで全力を尽くす大藤さんの姿勢を、目標としたいと思いました。大藤さん、ご協力いただきありがとうございました。