WAVOC20周年記念インタビュー
~学生時代のボランティア経験から、起業へ~ 白石 達郎さん
WAVOCでは、設立20周年記念事業として「今、つながる/つながりなおす」をテーマに、学生リーダーが、早稲田大学在学中にボランティアに関わり、現在は社会人として活躍されている方々にインタビューを行っています!
学生リーダーの伊藤は、株式会社アノテーションサポート・共同代表である白石達郎さんにお話を伺いました。白石さんは人間科学部に在学中、ボルネオプロジェクトに参加されていました。
なぜ、ボランティアではなくビジネスが必要だったのか。
インタビュー中は、ボルネオに懸ける白石さんの熱い情熱が溢れていました!
――始めに、白石さんの会社について教えてください!
私たちの会社の対象者は、マレーシアに不法滞在していてフィリピンに帰りたいと思っている人です。フィリピンに帰ることができない理由は、フィリピンに仕事がないからです。そのため、マレーシアでもフィリピンでも、どこでもできる仕事が必要だと考えました。アイデアの着想は、知り合いのプログラマーの人からです。具体的には、高度なスキルがなくてもAIを作る上で必要なデータを作ることができる仕事です。条件として考えていたのは、どこでもできて、高度なスキルがいらないこと。そしてちゃんと雇用を生まれるような市場があることでした。その条件に当てはまったのが、アノテーションだったんです。
ボルネオプロジェクトについて
――ボルネオプロジェクトへの参加の経緯について教えてください
一言でいうと「部活動の挫折」がきっかけでした。
高校の時、陸上の長距離をやっていて、陸上にありとあらゆる情熱をかけていました。裸足で登校し、先生に怒られることを繰り返していたような「陸上」の人間でした。当時は、ケニア人になりたいと思っていました(笑)
大学は指定校で入学し、早めに大学の部活動に参加していました。早稲田の陸上部はめちゃくちゃ強豪校に対して、自分が卒業した高校の陸上部は弱小も弱小でした。大学から高校へ、環境がガラッと変わった時に、「なんか自分と合わないな、面白くないな」と思い、「やめよう」と決断をしました。それが、大学1年の4月でした。その時に、中期的な目標がなくなってしまいました。当時の私にとって、中期的な目標があることが、生きる上で大切でした。
陸上を辞めた後は、WAVOCの短期のボランティアで福島の浪江町に行ったり、早稲田の障がい学生支援室に行ったりしていました。「新しい世界を見たい」、そして、「長期的な目標を見つけたい」と思っていました。 たまたま浪江町に行ったボランティアの引率の先生が、WAVOCの岩井先生でした。その時に自分の状況を岩井先生に話したところ、ボルネオプロジェクトを勧めてくださいました。もとから教育に関心があったわけではなく、社会に対して何かできることがないかと探していたので参加しました。岩井先生がいなかったら、他のプロジェクトに参加していたかもしれません。岩井先生は今でも恩師です。
――ボルネオプロジェクトで印象的に残っている経験を教えてください
最初にボルネオの子どもたちに会った時のことが印象的で、今でもそれが、原体験です。当時日本の学童で働いていたのもあり、日本の子どもたちとボルネオの子どもたちとで、対照的だと感じました。学校に行けず、警察から逃げている子どもたちと会った時が、一番感情が動いた瞬間でした。
――ボルネオの子どもたちはどこに住んでいるんですか?
ジャングルに隠れているので、そこに行かないと会えません。森のようなところに隠れて、スラムのように集まって住んでいます。
「ソーシャルビジネス」を知る
――休学をし、1年間マレーシアで学校の先生をやっていたということでしたが、ボルネオプロジェクトを通して無国籍問題を解決することができなかったから、起業をしたということですか?
そうですね。帰国後、学校の先生をやっているだけでは何もできないなと思いました。
マレーシアの子どもたちが、学校に通えて警察に追われることなく、それぞれの可能性に突き進んでいくためにはどうしたらいいかと考えていた時に、ソーシャルビジネスという考え方に触れました。
起業に至るまでは、もう少し経緯があります。起業の前に、ボーダレスアカデミーという起業家を養成する塾に参加しました。しかし、ボーダレスアカデミーは、勉強する場所であって、起業するところまでは行いませんでした。「プランはあるけど、実施しないのはどうなんだろう」と思いました。
その後、国籍取得の方法を模索しましたが、自分の実力や資金不足で、子どもたちの人生を変えるために継続的なアプローチができませんでした。そのため、3年生の終わりに株式会社ボーダレス・ジャパンで、1年間修行をしました。
――修行って、何をするんですか?
いわゆる、滝に打たれるみたいなことはしませんでした(笑)
株式会社ボーダレス・ジャパンは40くらいの会社を束ねる会社です。修行の最初の3ヶ月間は、既存の事業に参加していました。その後、新卒の起業家の5人で、9ヶ月間の中で1つの事業を資金1000万円で立ち上げるというのをやっていました。そこで、起業の経験値をつけました。当時は、コロナが流行し始めの時期でしたが、福岡で一人暮らしをしながらオンライン授業を受けて、卒論を書いていました。
ボルネオプロジェクト時代の活動を糧に
――今の活動に活きているボルネオプロジェクトの活動があれば、教えてください
ボルネオプロジェクトの全ての活動が今に繋がっていることが前提ですが、ここで活動していて思うのは、一番は、最初に子どもたちに会ったときの感情です。私は、人間は経験したことや感情から、未来に何をするべきか決まってくると思います。そのように考えた時、ボルネオプロジェクトとして最初に会った子どもたちの表情や、子どもたちに会ったときの自分の感情は、「あの時があったら、今の活動をやっているんだな」と死ぬまで振り返るものです。
――最初に子どもと会ったとき、白石さんはどんな感情だったんですか?
子供たちが学校に通えないということで、「なんて不条理な世界なんだろう」と思いました。感情として、「怒り」と「悲しみ」、子供たちへの「愛情」がありました。
当時の19歳の時の感情を今考えると、フィルタリングされている感情だと思います。しかし、大学生として「助けよう」という感情が爆発していたときだったので、この3つの感情は記憶として、しっかり残っています。
――最後に、今後の目標を教えてください!!
2040年までに、マレーシアのサバ州とフィリピンとの間にある無国籍問題が解決されている状態をつくることが目標です。この問題は国家間の問題なので、自分1人の力だけでは解決できないと思っています。数字としては、2026年までに400世帯がフィリピンに帰国できている状態をつくることが目標です。解決の流れとしては、フィリピンに帰りたい人を返す事業を立て、またマレーシアに住みたい人たちに対しての解決策を考えたいと思います!!
【編集後記】
大学時代に夢中になるものを見つけた白石さんの表情と言葉は、インタビュー中、非常に輝いて見えました。私も心の底から夢中になれるものを大学生活の中で見つけたいと思います。私自身、WAVOCのプロジェクトである「ソーシャルビジネス起業プロジェクト」に参加し、起業に関心のある仲間と切磋琢磨しています。最近は、私を含め、起業に関心のある学生が増えています。20周年以降のWAVOCには、白石さんのような社会起業家が増える予感がしたインタビューでした。白石さん、貴重な機会をありがとうございました。
取材・文:WAVOC学生リーダー 伊藤 夕妃
【プロフィール】
2021年3月 人間科学部卒業。
現在、株式会社アノテーションサポート・共同代表。マレーシアに住みながら、無国籍問題を解決するために奮闘中。
学生時代は、マレーシアで公教育を受けることができない子どもたちに教育支援をするボルネオプロジェクトに参加。
趣味は、音楽を作ること。