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【学生の声】人道について考える 杉原千畝スタディツアーを終えて

人道について考える 杉原千畝スタディツアーを終えて

国際教養学部4年 三国 萌恵

 私は、留学中にリトアニア・カウナスにあるスギハラハウスを訪れたことをきっかけに、杉原千畝の人生について興味を持ちました。今回のスタディツアーに参加した理由は、彼の人生を振り返ることで、当時の厳しい世界情勢の中、なぜ杉原は『命のビザ』を発行するという決断ができたのかを知りたいと思ったからです。また、スギハラハウスで杉原のほかにも多くのリトアニア人がユダヤ人を手助けしていたことを知り、日本に到着したユダヤ人がどのように日本人に受け入れられたのか、実際にユダヤ人が到着した敦賀に赴いて学びたいと思いました。

リトアニア・カウナス SUGIHARA HOUSE

 ツアーは2泊3日で行われ、杉原千畝ゆかりの地を3か所めぐりました。1日目は、愛知県の瑞陵高校にある「センポ・スギハラ・メモリアル」です。瑞陵高校は、かつて杉原千畝が通っていた愛知県第五中学校です(当時の場所は現在の瑞穂ヶ丘中学校)。高校の校門横の半円状の広場に杉原千畝の足跡が掲載されたパネルが並んでおり、同校インターアクト部の生徒の方々がガイドしてくださいました。第五中学校は自由闊達な校風で戦時中でも英語の授業があり、面白い英語の先生に出会ったことが杉原のその後の人生に大きな影響を与えたというエピソードが、私自身高校で英語の面白さに気づいたことで人生が大きく変わったため、印象に残りました。

杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル

 2日目は、岐阜県八百津町の「杉原千畝記念館」を訪れました。最初に、杉原千畝に関するビデオを視聴し、館長の山田和美様が杉原の人生について詳しく語ってくださいました。彼が、カウナスに赴任するまでにどのように外交官になり、どのような外交実務を経験していたのか、当時の世界情勢と合わせて教えていただきました。日本と満州、ロシアとリトアニアの複雑な国際関係について知ることで、杉原がビザを発行した当時がいかに厳しい状況だったのかより理解することができました。
 また、記念館には、『命のビザ』のきっかけとなった「キュラソービザ」を発行したオランダ領事のズワルテンダイクの展示などもあり、杉原のほかにユダヤ人に手を差し伸べた人たちについて学ぶことができました。

岐阜県八百津町 人道の丘公園モニュメント

 3日目は、福井県敦賀市へ移動し、まず国土交通省港湾業務艇船に乗って敦賀港を一周しました。もちろん建物などは変わっているものの、80年以上前にユダヤ難民が見た景色を見ていると思うと、感慨深いものがありました。そのあとは、「人道の港 敦賀ムゼウム」を訪れ、敦賀高校創生部の生徒の皆様と交流しました。
 ムゼウムとはポーランド語で資料館という意味だそうで、敦賀に上陸した1920年代ポーランド孤児、1940年代の命のビザによるユダヤ難民に関する展示を、創生部の生徒達が一つ一つ丁寧に説明してくださいました。特にポーランド孤児については初めて知ることばかりで勉強になりました。また、戦争中という苦しい状況の中でも外国人であるポーランド孤児・ユダヤ難民を暖かく受け入れ支援した敦賀の人々について知り、日本人として誇らしく思いました。
 創生部の皆様のガイドが素晴らしかったのはもちろんですが、杉原千畝や人道の港についてさらに多くの人に知ってもらうために、精力的に活動されていると知り感動しました。ムゼウム見学後の交流会における生徒達のプレゼンの中で、「差別をなくすためには傍観者でいてはいけない、一人一人に当事者意識を持ってもらわなければならない」と言っていたのが印象に残っています。特に、多くの人にポーランドと敦賀に関心を持ってもらうため、まずは誰にとっても身近な『食(ポーランドの伝統菓子ポンチキ)』というところからアプローチをするという取り組みが興味深かったです。私も社会課題に取り組むインターンをしていて、無関心の人に社会課題を自分ごととして捉えてもらうことの難しさを体感しており、この視点を自分のインターンにも取り入れたいと思いました。

人道の港敦賀ムゼウムにて 敦賀高校創生部の生徒達との交流

 私が、このツアーを通して杉原から学んだことは、現状にとらわれずに世界の先を見据えて判断することの重要さです。杉原は鋭い洞察力も持っており、日独伊三国同盟締結間近や世界的な反ユダヤ主義という厳しい世界情勢の中でも、「人道」を忘れず、世界に千数百万いるユダヤ人を助けることは、戦後の日本の国益になることでもあると考えました。私は、ユダヤ人を助けることはドイツの同盟国である日本の国益を損ないかねない行為としてしか見ていなかったため、この考えに目を開かされました。

 彼のような洞察力を身につけるためには、日本国内外で起こっている出来事をもっと『自分ごと』として捉える事ができるようになる必要があると思います。そのために、今後は『現場』に行く、実際に自分で経験するということを大切にしたいです。『現場』に行くというのは、実際に戦場に行くというわけではなく、今回杉原千畝について学ぶために日本各地を巡ったように、実際に関連している場所に行ったり、身近な人に話を聞いたり、できることから体験するということです。杉原が、あの時ユダヤ人を助けるという判断ができたのは、カウナスにいてユダヤ人と対峙していたから、彼のおかれている状況を把握していたからだと思います。彼と同じような大きな決断をする日が来るかは分かりませんが、決断の連続である人生の中で誰かの判断をただ待つのではなく、自ら赴いて自分の目で見て耳で聞いて、自分が“正しい”と思える判断ができるような人を目指したいです。

 最後に、私たちの為に貴重な時間を割いて杉原千畝と人道について教えてくださった、瑞陵高校の皆様、杉原千畝記念館の皆様、人道の港敦賀ムゼウムの皆様、敦賀高校創生部の皆様、国土交通省敦賀港湾事務所の皆様に心より御礼申し上げます。

人道について考える 杉原千畝スタディツアー
第二次世界大戦中、リトアニアに赴任していた外交官の杉原千畝。ナチス・ドイツに追われたユダヤ人に対し、日本の通過ビザを発給し、約6,000人の命を救った人道的行為は国際的に高く評価されてる。外務省の命令に背きながら、なぜあのような行動がとれたのか。事前学習のうえ国内の関連施設を訪問し、千畝の勇気ある決断やその背景、人道について考え、学び、そして千畝について、戦争の悲惨さや平和の尊さを発信するスタディツアー。

中日新聞掲載記事
早大の先輩 杉原千畝学ぶ 学生5人がムゼウム見学 地元敦賀高生が案内

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